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チョコレート(英: chocolate)は、カカオの種子を発酵又は焙煎したカカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココアバター、粉乳などを混ぜて練り固めた菓子である。
ーーウィキペディア「チョコレート」より
佐々本 瑞樹は、あくびをかみ殺しながらエレベーターに乗りこんだ。
お隣さんがパタパタと走ってきたのが見えたので、瑞樹は『開』のボタンを押して待った。すみません、と言いながら乗ってきたお隣さんに、瑞樹は軽く会釈する。お隣さんは同い年くらいの女性だ。かわいいなとは思うが、だからと言ってこんなところで声かけるわけにもいかない。1階に着いて『開』のボタンを押して彼女を先に通すと、瑞樹はゆっくりと駅まで向かった。
後ろから男がぴったりとついてきたらキモいだろうからなー。
駅までは徒歩8分。抜かしてしまえばいいだけの話だが、今朝は時間に余裕がある。そういえばお隣さんが引っ越してきたのは春ごろだったなと瑞樹は思い出していた。
隣はファミリータイプのマンションで、夫婦と一人娘が住んでいた。ときどきおばさんがお裾分けを持ってきてくれるので、瑞樹も実家から気まぐれに大量に送られてくるあれこれをお裾分けしていた。今時なかなかないご近所付き合いだが、これには訳がある。それはおいておくとして…
隣の家族はオーストラリアに引っ越すことになったらしい。姪っ子がここに住むことになったからよろしくね、とおばさんに言われた。
「もうママったら!和葉ちゃんは独身で彼氏もいないんだからね!もう20代後半なんだから!知らない人にそんなにペラペラ話すのはプライバシーの侵害なんだからね!」
とおばさん以上に個人情報を流してぷりぷり怒りながらダンボールを移動させているのは、中学生くらいの娘だ。
瑞樹とおばさんはそれを見て苦笑いしたが、おばさんにくれぐれもよろしくね、と笑顔でダメ押しをされた。
あ、これは『変なことすんじゃねーぞコラ』っていうやつだな、と瑞樹はお行儀よく頷いた。
それから間も無く引っ越して来た女性は、小動物のような可愛らしいタイプだった。一見地味そうだが、なぜか惹きつけられる。瑞樹は彼女を見かけては、無理やり意識から剥がすということを繰り返していた。
日もすっかり短くなってきた頃。久しぶりに定時で帰れた瑞樹は、弁当の入ったビニール袋をぶら下げながら家に着いた。
今日も廊下で美味しそうな匂いがする。お隣さんが料理をしているらしい。
いい匂いだな。醤油の匂い。煮物かなー、汁物かなー、最近全然自炊してねえな。一人分つくるのも億劫だしな。あー、誰かが作ってくれた飯食いたいな。『あなた、ご飯にする、お風呂にする、それともわ・た・し?』ってやつなー、一度でいいから経験してみたいもんだ。男のロマンだな。
瑞樹は今夜の夕食の弁当をちらりと見ると、味噌汁くらいつくるか。わかめと味噌を碗に入れてお湯をぶっこむだけだが。と思いながら鍵を開けた。
一人寂しく夕食を食べていると、上司から『急ですまないが明日から出張に行ってくれ。泊まりだ。』との指令が入った。
ちなみに味噌はなかった。




