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七十七 戦闘の後
英介達メンテ員は戦闘が終わって大国の兵士の遺体の片付けを手伝わされた。
バラバラの死体を避難口に放り込んだ。
そして、ダンプカーで土を被せた。八か所あり石碑を建てて大国の戦士の
墓と文字を彫った。
地下施設を作ったときに北側の山の斜面に五千人程入れる墓地を災害での死者
を想定して首相が作ってあった。
門から北に向かって橋がありその先は道路になり二百メートル程行くと横に
通っている道路にT字に繋がり、その奥に細かく区切られた墓地があった。
其処に兵士を埋葬することした。
臨時政府では駐屯地から千五百名が帰ってきて千名の元暴徒の民兵が合流して
五千名になっていた。
国会の出入口は数を減らして三か所にしてあった。
大国軍は一か所当たり五百名で攻めたが臨時政府軍に3倍以上の人数で
防がれ苦戦した。
そして、祐介の副官の率いる兵士がトラックで戻って来て重機関銃とミサイル
で攻撃した。
大国軍は外と内から攻撃され指揮を失い降伏した。
捕虜は八百名程だった。大国人の兵士が素直に捕虜になることが変だとは
誰も気が付かなかった。




