二十五 大国の工場、宿泊施設
月曜日の午後に英介は上京した。二十年近く東京には行っていなかった。
新幹線が東京駅に近づくと密集した住宅街が見えて来た。暫くするとビル群が
目の前に迫って来た。日本語と英語のアナウンスが聞こえて急いでいる人達が
降り口に並び始めた。
ホームの両側に車両が停まり人々が放出されホームが人で一杯になった。
何処に行くか迷っていると階段を目指して人々は進みそれに従って
階段を降りていった。
広い通路に出て山手線の案内を見つけ安心した。
その通路も人で溢れ速足で目的のホームに向かっていた。
規律だか規則か人々は川の流れのように並んで歩き流れに逆らう人はいなかった。
英介は今地震になったら此処にいる人々は如何するのだろう。
また、如何なるだろうとふと考えた。
流れに押され山手線のホームに行き私鉄を乗り継いでメーカーの工場には
夕方頃に着いた。
工場の塀は高く作られていて五メートル近くはあるようだった。
中は見えない構造でそれだけでも異常に見えた。
門の守衛も厳しそうで名前を知らせると書類を出して英介の顔と見比べていた。
書類に写真が貼ってあるようだった。
何処で私の写真を入手したのか? 不審に思っていると守衛は何処かに電話して
一番手前の宿舎の事務室へ行くように指示された。
宿舎の玄関に入ると直ぐ横に事務所があり受付と表示された窓を開け声を掛けた。
近くにいた事務員らしき男がたどたどしい日本語で中に入るように話した。
中に入ると宿長らしき男が出て来て英介を奥の個室に案内して宿舎の規則を
説明した。外出は基本的に遠慮して頂いている。もし必要なら、日曜日の
午前十時~午後四時の間だけで行き先と用事の内容は必ず記入する事。
それでは不自由だと言うと日用品を売る店舗とか自販機もあるので普通に
暮らすなら大丈夫だと言われた。
それに極秘事項の仕事で、外出は遠慮するようにと聞かされると何も
言えなくなってしまった。
他には携帯電話は繋がらないので宿舎にある固定電話を使うようにと言われて、
どうして繋がらないと理由を聞くと、この工場は政府から依頼された特殊な実験
をしているので、と説明されたが納得できる答えになっていなかった。
後は通常の規則であった。そして部屋を教えられ鍵を渡された。
やはり、日本語は流暢だがイントネーションがおかしかった。
部屋は1Kで小さいが、それが幾つも並び又背中合わせに並んでいた。
三階建で一棟に三百部屋もあり一番奥が食堂だった。
その宿舎が十棟もあり、満室なら三千人収容できると思うと驚いた。
指定された部屋に行き玄関の鍵を開け中に入ると左側にユニットバスと
キッチンがあった。その奥が6帖程の部屋だった。
ベッドと小さい机があり空調機もあったが窓がなかった。
手荷物を置いて途中で買ったコンビニの弁当を食べ始めた。
歳を取りこんな知らない処に来て一年間も暮すのかと思うと不安と寂しさに
襲われた。今まで余裕もなく貯蓄も出来ないで生きて来たので生活費を稼ぐ
ために仕事を請けたので仕方がないと思った。
考えたら妻が亡くなってから地元以外で暮らす事や、旅行以外で外泊するのも
初めてだった。
試しに娘に携帯電話で連絡しようとしたが通じなかった。
妨害電波が出ているようだった。
場所が変わったので暫く眠れずにいた。目覚ましで朝六時に起きた。
七時に朝食を食べに行くように言われていた。
八時からは工場勤務の人の食事時間で現場作業員は七時と七時三十分で二回に
分けてあるそうだ。食堂に行くと百名程が座れる広さだった。
入口近くで並んで置いてあるトレイを取って器に入って並んでいる食べ物を
幾つか取った。席に着いて廻りを観察すると皆十八~四十歳位の男性だった。
短髪か坊主で髪の毛を染めている人もいなかった。
真面目なのか? 規律なのか? 不思議な光景だった。
会話はなく食器と箸の音しか聞こえて来なかった。
三十分以内で食事をするように言われていた。食器を下げに入口に行くともう
第二陣が並んでいた。
工事現場行きのバスは七時三十分と八時の二回に分けているそうだ。
各現場に二台ずつ向かった。
現場の数は二十箇所もあった。工場の外にバスの大駐車場があった。
そこに行き自分の現場行きのバスに乗れば良かった。
二千人位の人が移動する騒々しさと、決まったようにバスの席に着く人、
それは無表情でロボットように思えた。




