二 英介の場合
英介は三十歳半ばで一級建築士の免許を取得している。
早い結婚と使命感が薄いのが少し取得に時間が掛かった理由だった。
早速、会社を辞めて個人で設計事務所を始めたが、仕事を請け負うコネもなく
開設場所が田舎で仕事が少なかった。
先輩や同僚だった設計事務所の仕事の手伝いをしてやっと暮していける状態だった。
バブルが始まり東京の大手設計事務所に仕事が貰えるようになり少しは裕福に
なったが何年か後にバブルがはじけて以前と同じ様な生活に戻っていった。
多忙と暇を繰り返し貯蓄も余り無く今日に至った。
家族面では二十代半ばで結婚して長女が生まれ、三歳違いで次女が生まれた。
バブルが始まる前に少し裕福になり長男が生まれた。
妻がもう一人欲しいと三女が生まれたがバブルがはじけて徐々に苦しい生活に
戻って行った。
そして、大手メーカーの地方工場で仕事が順調に貰えるようになり生活も楽に
なって来た時に妻が病気で亡くなった。
十万人に何人かしか罹らない肺の病気だった。
医師に待合室に呼ばれた。
余命が無い事を知らされ直ぐ親族を呼ぶように言われた。
絶望して思わず天井を見上げた。
下がり壁に描かれてあった中東の絵が今でも目に浮かぶその場の失望感とはほど
遠い世界のように思えた。英介が五十歳の時だった。
長女と次女は成人を過ぎていたので家事のことは困らなかった。
何時かは嫁に出さなければと思い後妻の話を持ち出した。
しかし、当時小学生の三女がテレビドラマの影響で反対して、その後は後妻の話は
なくなった。
何年か過ぎて娘らは嫁に行き。長男も東京の音楽関係の処で仕事がしたいと
出て行った。
六十代半ば頃にお腹に違和感がある事に気が付き病院で大腸がんと診断され手術した。
抗がん剤を呑み今も定期的に病院に通っている。
英介は早く年金を貰い始めていたが個人事業主で月七万円が欠ける金額では仕事を
しなければ食べていけなかった。
そんな時、知りあいの建築業者Aから仕事が入った。
依頼の内容はマンションの各戸のプランニングで極小タイプから贅沢な
タイプまでだった。
全ての種類の面積は決まっていて、それに玄関、トイレ、浴室、キッチン(K)、
食堂(D)、居間(L)、部屋などを配置する仕事だった。
住居も極小と豪華なものでは差がある。それが同じマンションの中にあり種類も
多くちょっと違和感があった。
作業している時に英介は疑問に思ったことがあり業者に電話で確認した。
「外に開放できる窓はあるの? 図面には壁だけで窓が無いようだが、これでは
建築基準法違反では?」と建築士の常識だと考え聞いた。
「行政関係の工事なので特例で許可になっている」と業者Aは面倒臭そうに答えた。
英介は(地方の行政が特例で基準法違反を? あり得ないし、共同住宅では
なおさらだ!)と思ったが、仕事が切られると考えて口を噤んだ。
「柱が無くて壁が厚いが構造は?」
「壁式構造だと聞いている」
壁式構造はコンクリートの壁だけで建物を支える構造で、高くても三階建まで
今時に三階建のマンションはあり得ないと英介は思った。
「もう工事は始まっていて、壁のコンクリートも打ち終わっている。
その後の内部の間仕切工事のためにプランニングを依頼した。
あまり細かい事は考えないで欲しい」と言われた。
(建築士は直ぐ基準法と騒ぐ金を払うのは俺だから文句を言うな)と思っている
だろうと想像してしまった。
窓が無い事と壁が厚い事を業者と行政が承知していれば問題がないのでそれ以上の
質問はしなかった。
まるで地下にでも造るようだと思ったが作業に没頭した。