十二 英介の生い立ち
祖父は県都で製材所を経営していた。母親は一人娘だったので大事にされ
裕福な環境で育った。
戦後に製材所の規模も縮小され以前のような裕福な生活も出来なくなった。
父親は婿で堅実な性格だった。
お金の事で頻繁に夫婦喧嘩をしていた。
原因は母親の浪費の所為で子供達も巻き込まれていた。
もし離婚したら父親と母親、どちらに付いて来るかと聞かれて子供心に返事に
困っていた。その影響で英介は顔色を窺うようになり、顔色を見るのも得意に
なっていった。
小学生の頃は貧乏な家の子や成績の悪い子供達と分け隔てなく遊んでいた。
小学校五年の時に二人の男の子がクラスに転校してきた。その一人と仲良くなり、
その子の家に遊びに行くことになった。
その場所は子供なりに驚いた。
県都の西側に一級河川があり、昔から洪水が多い場所で高い土手が造られてあった。
その土手下に幅五メートルの砂利道が並行して通っていて、それから幅五メートル
程の空地を介して高いフェンスが建っていた。その中は県立の精神病院だった。
同級生の家はその空地に建っていた。
家は長屋のように何件も並んでいる内の一軒だった。まだ端の方は造りかけで皮の
付いた丸太の骨組みが見えていた。
今になって考えると簡易な建物だった。
同級生の家は一階が床屋で二階の一間が住居だった。みんな同じで雑貨屋、
菓子屋、八百屋等が並んでいた。
その転校生とは仲が良くなり家には度々遊びに行った。
床屋代も他より安くそこで一度髪を切って貰ったこともあり、別世界の小さな町
にいるように感じて楽しかった。
しかし、三カ月程経った頃に同級生は急に転校して行った。
長屋があった場所に行って見たが家も何もなかった。
後で聞いた話では、あそこに住みついたのは日本人ではない人達で、県の土地を
不法に占拠したので追い出された。そして、又別の処に集団で移動したと聞いた。
子供の心に差別する気持ちは無かったが、当時の大人達の言葉から差別している
ことが伝わって来た。
他にも真っ黒い顔をして何時もニコニコしていた坊主頭の同級生の友達がいた。
黒い顔は風呂にも入らず顔も洗って無いからと他の友達が話していた。
その時代には水道はなかった。手こぎのポンプで井戸の水をくみ出していた。
家の手伝いとして良く風呂に水を溜めさせられた。貧しいとそれも無かった。
その黒い顔の友達の家にも遊びに行った。
その時も驚いた。一級河川の土手の内側にあった。つまり河川の中だった。
やはり丸太で骨組みをしてある簡易な家で、玄関らしい入口は厚い布の袋を
垂らしてあるだけだった。
窓は板を棒で押して開けるようになっていた。
家の横は砂利道で川砂利を積んだダンプカーが砂埃を舞い上げ何台も走っていた。
当時は高度経済成長期で土木・建設工事が増加し始めた時代だった。
コンクリートの材料として砂利を使用するので、河川の至る所に、砂利を
採掘した跡があった。
そこに湧水が貯まり、深い所で二メートル以上もあった。
透明で綺麗なので英介や子供達は、夏はそこで泳いで遊んでいた。
ある時、そこで小学校低学年の女の子が溺れて死ぬ事故があった。
原因はV型に掘られた底に足が付き、その振動で廻りの砂利が崩れて足が
埋まって水面に顔が出せずに溺れるという悲惨な事故だった。
発見された時の状況を見た人の話では、水の入ったコップの中でゆらゆら
揺れている水中花のようだったと聞いた時は子供心に痛ましさを感じた。
責任は何処にもなく親は泣き寝入りするしかなかった。
その後、何回か同じ様な事故があり、教育委員会と学校は河川での水泳は禁止した。
やはり弱くて小さい者が犠牲になり、規則が出来る見本のようなものだった。
黒い顔の友達が1カ月ほど学校に来ない時があった。
友達に聞くと、この前の大きな台風で川が増水して家が流されたと聞いた。
子供心にあの場所では当然と思った。
暫くして、他の場所に簡易な家を建てたと学校には通って来た。
英介は給食で嫌いな物が多かった。
脱脂粉乳や野菜の煮込んだ物で嫌いな野菜をポケットに入れて隠してよく途中の
川に捨てていた。その為ポケットが汚れ良く怒られていた。
でも彼は給食が好きなようで何時も残さず食べていた。
給食が近くになると何時もニコニコして喜んでいた。その顔が今でも浮かんでくる。
それが貧乏だとその時は気が付かなかった。と言うより気にしていなかったと思う。
だいぶ後で同級会の名簿で彼が死亡した事を知った。
二十二歳の若さだった。同級生の誰も詳しい死因は知らなかったが、事故では
無く病気だったと聞いた時に彼の子供の時の状況が影響したと感じた。
この時代は弱い者、貧困者を振り落として経済が成長していった。
友達を選ぶようになるのは知識が付いて来てからだと思う。高校生になると
似たような家柄とか成績などで友達が出来ていた。
それは高校、大学と進むと廻りが同じ状況の仲間になって必然なことだった。
その仲間同士でも家柄と成績などで順位が決まった。大学でも田舎の地方出身者
は成績が良くても馬鹿にされていた。