4、崩壊の始まり
「君は強いね」
顔を真っ赤にしている名無し令嬢を背にして、急に褒められました。
「私が……ですか?」
そんなことを言われたのは初めてです。私はずっと、自分は弱い人間だと思って来ました。
嫌な事を言われても、ヘラヘラと笑って受け流して来ました。心の中で傷ついているのに、平気なフリをしていたのです。そうでもしないと、心が壊れてしまいそうだったから。
私には取り柄がありません……努力しても、お姉様には勝てない……だから、逃げていたんです。
そんな私に、エルビン様は結婚して欲しいと言ってくれました。エルビン様の妻として、恥ずかしくないように振る舞いたかっただけです。
エルビン様がいてくださるから、私は強くなれるようです。
「君が妻で良かった」
優しい目をして見つめながらのその言葉、破壊力あり過ぎです。好きが大きくなり過ぎて、エルビン様の負担になりそうで怖い。
エルビン様は、どうしていつもそんなに甘い言葉がスラスラ出てくるのでしょう? このままでは、私の心臓が持ちそうにありません。
「今日はもう帰ろうか」
まだ来たばかりなのに、先程の事を気にしてくださっているのでしょうか?
「デイク侯爵に、ご挨拶しなくてもよろしいのですか?」
「さっき、トーマスに連れて行かれて、挨拶はすませたよ。何だか今日は、疲れてしまったんだ」
エルビン様が帰りたいということでしょうか? 珍しいですね。
「疲れがたまっていたのではないですか? 早く帰って休みましょう」
顔色が良くありません。体調が優れないのでしょうか……
そのままデイク侯爵邸を後にして、邸へと帰って来ました。エルビン様は、今日はおひとりで休みたいとの事でしたので、私は自室で休む事にしました。結婚してから、こんな事は初めてです。
今日はひとりぼっちです……
心細くなっていた時、ドアをノックする音が聞こえて来ました。
こんな時間に、誰でしょう?
ドアを開けると、新しい料理長のルークが立っていました。
「こんな時間に、どうしたの?」
それに、どうして私の部屋に?
まさか、昨日の文句を言いに来たのでしょうか!?
「お腹が空いていらっしゃるようでしたので、夜食をお持ちしました」
はい!? そんなの、頼んでいません。
「今日は夜会だから、夕食はいらないと伝えたはずだけど?」
「夕食ではなく、夜食です」
だから何よ……という顔をすると、
「お腹、空いてますよね? そんなお顔をしています」
確かに、夜会では何も口にしていないから、お腹は空いています。空いてるけど……この人、私を犬か何かだと思ってるのでしょうか!? お腹が空いてる顔って……
「あなた、私をバカにしてるでしょ!?」
「そんなつもりはありません。俺はただ、昨日俺が作った料理を美味しそうに食べてくれた奥様に、感謝をお伝えしたかっただけです」
感謝? 料理長の食事を美味しくいただくのは、当たり前の事だと思うのですが?
「あなた、変わってるわね」
その時、ぐうううぅぅぅぅぅぅぅぅっと、盛大に私のお腹がなりました。
「ぷッ!! ……っ」
笑うなんて、失礼じゃないですか!?
「………………」
何も言わず、彼を睨みつけました。
「っ……これ、召し上がってください……ぷぷッッ」
「……ありがとう」
彼は笑いながら、料理を渡して来ました。
夜食を素直に受け取り、ドアを閉めてテーブルに置きます。
……でも、いい匂い。
……悔しいけど、料理は美味しい。
エルビン様、大丈夫でしょうか……
様子を見に行きたいけど、ゆっくり休ませて差し上げたいし、今日は邪魔しないようにしましょう。
食事を終え、自分で食器を片付けようと厨房に行くと、ルークは朝食の下ごしらえをしていました。
「夜食、ありがとう。美味しかったわ」
お礼を言いながら、食器を返します。
「全部食べてくれたんですね。良かった」
そう言って食器を受け取り、下ごしらえに戻って行きました。
「下ごしらえしてくれてるのに悪いけど、エルビン様がお疲れのようなの。だから、朝食は胃に優しいものにして欲しいの」
「かしこまりました。
奥様は、本当に旦那様がお好きなのですね」
「な、な、な、何なの急に!?」
急に変な事を聞かれて、びっくりしてしまいました。
「すごく微笑ましいと思っただけです」
変な人。妻が夫を愛するのは、当たり前の事です。そうじゃない人もいますが……。
そうじゃない人……それは、お姉様の事です。
お姉様はブライト公爵に嫁ぎました。ブライト公爵は52歳で、お姉様との歳が32歳離れています。
歳が離れているから愛していないというつもりはありません。ブライト公爵に地位も名誉もお金もあるから、お姉様は結婚をしたのです。
貴族令嬢なら、政略結婚は当たり前なのですが、政略結婚でも夫に尽くすのが妻だと思っています。ですが、お姉様は違います。
他の男性と関係を持っている……それは、1人ではありません。
ブライト公爵は、それを知っているのでしょうか……
私はお姉様とは、仲が良くありません。というより、お姉様が私を妹だとは思っていないのです。
「アナベル、元気だった? いつ見ても、ブサイクね」
そんなお姉様が、翌日、突然邸にやって来ました。