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◯月×日
おかしい。明らかに、成長するのが早すぎる。
まだ一週間も経っていないのに、あの奇妙な物体から生まれた赤ん坊は、一人で立つことができ、私達と同じようなものを食べられるようになっていた。
赤ん坊、と呼ぶのももはや変か。多分、もう、5歳かそこらくらいの体の大きさになっている。
「どういうことなんだろうね?」
私達がちょっと目を離すと、次見たときに、明らかに背が高くなっている。逆に言えば、目で捉えているときにはちっとも変化する様子は無い。
だけど、不思議と、この子供を捨てたり突き放したりしたい、という気は起きない。
□月◎日
「桃太郎、と呼んでください。」
初めて喋ったと思ったら、その子は自分の名前を自分で決めたのだった。
最近は体の大きくなるペースが極端に落ち、そろそろちゃんとした服を用意してあげよう、と、毛皮を縫って、着物の形に整えている最中のことだ。
「!!」
びっくりして言葉が出ない。
「も、も、た、ろ、う、です。おばあさん、いつもぼくの世話をしてくれてありがとう。言葉に出してこそいませんでしたが、ずっと感謝していました。」
「…どう、いたしまして?」
想像より大人びすぎていて、なんだか返答に困る。
「あれ?もっと幼くしていた方がいいですか?そうだな…じゃあ、どこかに遊びにいってきていいですか?ぼく、友達が欲しいんですよ。」
「…はあ…」
「じゃあ、行ってきます!ちゃんと戻ってきますからね!」
そう言って、子供、改め、桃太郎は、家を飛び出そしていこうとする。
このままだとちょっとまずい気がする。大事なことを伝えなければ。
「…桃太郎、だれかと遊ぶのはいいけど、ここの家の子だってことは、あんまりおおやけにしてはだめよ。いいわね?」
「…?わかりました。」
ちょっと立ち止まってうなずいた後で、桃太郎は出かけていった。
帰ってきた夫に話をした。少しは驚いていたけれど、桃太郎は普通の子ではないということを、色々な出来事から感じ取っていたからか、彼はそれほど動揺していなかった。
それにしても、おばあさん、か…。
□月#日
あれから、私と夫はそれぞれ、桃太郎に、おじいさん、おばあさん、と呼ばれるようになった。
少し悲しいようで、しかし、この方が良いという感じもする。
「友達ができたんです。」
と桃太郎が言うので、何をして遊んでいるのか、と聞いたら、鬼退治ごっこだと言う。その「友達」とやらに教えてもらったそうだ。
てっきり、桃太郎はもっと沢山のことを知っているものだと思っていた(自分で名前を決めたあたりから、桃太郎は、神様から私達夫婦の情報を全部受け取った上で生を受けたんじゃないか、と勝手に思いこんでいた)が、その話を私にしてくる様子を見る限り、どうやら勘違いだったらしい。
「…もしかして、わざと、なんじゃないか?」
夫のこの言葉を受けて、ハッとした。
そうか、変な先入観が無い方が、桃太郎にとっては良いに違いない。
「桃太郎は、僕達には出来なかった鬼退治を、代わりに果たすためにやってきたんじゃないか?」
もしかすると、そうなのかもしれない。けれど…。
×月&日
とうとう桃太郎が「鬼退治に行く」と言い出した。
どうすればよいのだろう。いざそういう時が来てみると、やはり、行かないでほしいという気持ちになる。
夫も同じようで、ずっと頭の跡を触りながら考えこんでいる。
「僕、どうしても行きたいんです!」
と、固い意志を見せる桃太郎。
「どうして?本当に危険なのよ?」
思わず反対するようなことを言ってしまう。
「…ばあさんの言う通りだ。」
と、夫も同調してきた。
すると、桃太郎はしばらく逡巡する様子を見せた。
全員が無言の時間が少しだけ続く。
桃太郎はゴクリと唾を飲み込むと、意を決した様子でこんなことを言った。
「…おじいさんとおばあさんは、村のみんなにすごく嫌われていますよね。僕、それが許せないんです。こんなにも優しくて、頑張って働いてもいるのに、どうして?……だから僕は、村の人達が心から望んでいる鬼退治を成し遂げて、おじいさんとおばあさんが、村のみんなと仲良くできるようにしたい…。」
…桃太郎は、私達の嫌われようを、とっくに知っていたらしい。
友達と遊んでいる時、桃太郎は、うっかり、私達の家で育てられている子であるということを口にした。その途端、友達は怪訝な顔をして、「もう一緒には遊べない」と伝えてきた。
それからはずっと、一人ぼっちで過ごしていたみたいだ。
可哀想なことをしてしまった。
やっぱり、早い内に、村の人たちにこの子を預けるべきだった。
「…少し、ばあさんと考えさせてくれないか。」
夫が静かにこう言った。
×月//日
精一杯の準備を桃太郎に持たせた。いよいよ今日、桃太郎は鬼ヶ島に発つ。
結局、私達は桃太郎を鬼退治に行かせることにした。
今回の鬼退治が成功したところで、たぶん、村の人たちが私達を見直すなんてことはない。
…桃太郎だって、私達から離れていくに違いない。
それでもやっぱり、私達にとって桃太郎は大切な子だ。少しでも幸せな方向に向かってくれるように、この子が進む道を整えるのが、親としての義務だろう。
「…桃太郎。最後に…。これを、持っていきなさい。」
私達は桃太郎に、2つの宝玉を渡した。
「もしも鬼達の動きを止めたいなら、これを見せるといい。困ったときに、役に立つかもしれない。」
二人で話し合って、桃太郎に預けることに決めた、宝玉。私達の迷いの証であって、かつ、私達にかけられた呪いでもあった。
桃太郎は、
「ありがとうございます。」
と言って宝玉を受け取り、それからペコリと頭を下げて、
「では、行ってきます。」
と言って、鬼ヶ島へ向けて歩き出した。
私達は、桃太郎が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
×月◯日
焦げ臭い匂いで目が覚めた。
火事だった。
なんとか逃げのびることはできたけれど、私たちの家は燃え、跡形も無くなってしまった。
…もう、帰る場所はない。
裏山の方に、雨がしのげそうな場所があったので、夫と二人で、しばらくそこで過ごすことにした。
夫は黙っていた。
見ると、静かに泣いていた。
夫が泣くのを見たのは、いったい、いつぶりだろう。
彼が、私を心配させまいと思って、いつも無理に明るく振る舞っていてくれたというのは、ひそかに知っていた。
そんな彼を見ていて、私もけっこう泣いてしまった。
…桃太郎の鬼退治は、今どうなっているんだろう。
もうそろそろ、あのことにも気付いただろうか。