表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
純喫茶ぎふまふ奇譚  作者: 勢良希雄
3/19

3 エスニック・カスタマイズにゅうめん

 七月三日水曜日。

 朝六時。枕元のメモを見て、夢を思い出した。

 …サッカーよりも訳の分からない夢だったな。

 リビングに行くと、母さんが朝食を作っていた。

 六枚切りの食パンを二枚、オーブンへ。その間にコーヒーをドリップ。パンが焼けると平皿に移してマーガリンを塗る。ここからが母さんの変なところ。福神漬け、ナスの浅漬け、キムチなどをトッピングの具材として出す。我が家では定番だが、久しぶりだ。

「今日はどうするん?」

「あの喫茶店に行って、武瑠と塾長のこと聞いてみる」

「あんまり、邪魔しちゃダメよ。ナスは醤油つけた方が美味しいよ」

「今日、休みなんだって。味が()いいなる」

「お店の人いうのは、どんな人?」

「君島三佐子という若い女の人。武瑠の知り合いじゃったみたい。僕が兄いうことに気付いてね」

「へえ」

「あ、そうよ。母さんと僕にも会うたことがある言うんじゃけど、思い出せん。母さん、覚えとる?」

「私にも会うたことがある言うて?」

 母さんは薄い冊子を取り出して開いて見せた。

「これ、今年の初めのこの辺のミニコミ誌なんじゃけどね。この人?」

 インタビューを受ける女性の写真、間違いなく三佐子さんだ。

「うん。この人」

「この人が私らを知っとる…」

「うん」

 母さんが「思い当たる節」を話す。

「武瑠がおらんようになってすぐに、友達がたくさん、お見舞いに来たことがあったじゃない。あの中におったんじゃないんかね」

「ああ、十人くらいで来てくれたよね。あの中に?」

 自分でそう言うと、友達がお見舞いに来てくれたときの光景が蘇った。一番後ろに立っていた鎮痛な表情の女子。あれが三佐子さんか。あまりに不謹慎なので封じ込めたが、「わ、めっちゃタイプ」と思って、目がハートになったので、覚えている。

 …これは今も言えないな。

「そうそう、元は薬剤師じゃったと言うとったよ」

「ここにもそう書いてある」

 母さんは目をパチパチしながら、確信を持ったように言う。

「それたぶん、武瑠の彼女じゃ」

「え!」

 衝撃を受けながら、そういうことかとも思った。店の前で初めて僕を見た時、あんなに驚いたのは武瑠の兄だと分かったからなのだ。それならそうと、言ってくれればいいのに。

「あんたは、武瑠から聞いてないん?」

「男兄弟、そんな話はせんよ」

「お父さんの納骨のあと、武瑠が、薬剤師じゃという女の子の写真を、スマホでチラッと見せてくれたんよ。彼女じゃとは言わんかったけど、『今度、連れて来る』と言いよったけん、付き合うとるんかなとは思うた。顔は思い出せんのじゃけど、ベッピンさんじゃったいう覚えはある」

「で、連れて来たん?」

「ううん。武瑠自身がおらんくなった」

 朝から重い話になってしまったが、ここで止めるわけにもいかない。

「武瑠の失踪と彼女には、何か関係があるんかね?」

「おらんようになった夜、飲み会が終わって、広島駅から電車で矢野駅まで帰って、友達と分かれたあと、足取りが分からんというのは、警察から一緒に聞いたよね」

「うん、聞いた」

「たぶん、最後に分かれた友達いうのが、その子なんよ」

「そういえば、警察はその友達のことを『女性のご友人』って言いよったよね」

「誰かに聞きゃあ、その子の名前くらい分かったじゃろうに…私、逃げとったんよ」

「自分を責めんのよ」

 母さんが武瑠のことを忘れたことなど一日もないと思うが、痛みに麻酔をしなければ、日常を生きていくことができない。

「僕がしっかりせんといけんかった」

 あの夜、武瑠が帰って来ないので、母さんは翌朝の早くに電話をしたが、携帯は不通。岡山の山奥の交番に勤めていた僕に、連絡をしてきた。僕はむしろ、家族に心配をかける武瑠に腹が立った。夕方になっても連絡が取れないというので、上司である交番の所長に相談をした。「捜索願いじゃ。早い方がええ。あんたもすぐ広島に帰られえ」と言う。

 警察には全国で年間八万件もの行方不明届が出る。特に二十代男性は数が多い。家庭や職場のトラブルで行方を暗まし、ネットカフェで何日かを過ごして、お金がなくなって戻って来るというようなケースが大半である。なので、弟の家出くらいで、勤務のシフトを乱したくなかった。

 所長は「あんごう! こがいな一大事をお袋さん一人に背負わせるんか!」と、僕を叱った。「あんごう」とは岡山弁で「ばか野郎」という意味である。こんな愛情のある上司なら、いくら叱られてもうつ病になんかならない。昔気質の面倒見のいい人だった。後日、ほかの人から聞いたのだが、広島県警の知り合いの幹部に「よろしく頼む」と連絡をしてくれたりしたらしい。

 実家で一週間、母さんと一緒に過ごしたが、武瑠は帰って来なかった。防犯カメラや携帯のGPSも確認したが、当たりがなかったらしい。まさに、忽然と消えた。最後に姿を見たという「女性のご友人」、つまり三佐子さんも警察に、失踪や自殺の可能性を感じさせる様子など、いろいろ聞かれたはずである。

「三佐子さんも、辛かったじゃろうね」

「そうね、そう思う。その三佐子さん? その子に武瑠のことで悩まんでええよと、私が伝えんといけんかったんよ」

 僕は立ち上がった。

「今から、一緒に行こうや!」

「どこへ?」

「三佐子さんのお店に」

「…ええんかね」

「夢で、塾長に『ヤマショウ、お前の出番じゃ』言われたんよ」

「夢で塾長さんに?」

「塾長のことも聞きたいけえ」


 二人はバスに乗って、矢野駅まで行った。徒歩で店に向かう。極楽橋の欄干に黄色い蝶が止まっていた。一昨日にここで感じた違和感のことを思い出した。

 カランコロン。

「おはよう!」

「お兄さん、おはよう」

 三佐子さんは湯気の中で何かの下ごしらえをしている。八時を過ぎているが、定休日なので客はいない。顔を上げると、僕の後ろに人がいることに気付いたようだ。キッチンからエプロンを外しながら慌てて出てきて、三角巾を取って深々と頭を下げた。

「あ、お母さんですね。初めまして。君島三佐子といいます」

 僕に向かって助けを求めるように、「先に言うてよ」と言うので、「ごめんごめん」と言ったが、連絡する方法を知らない。

 母さんもかしこまった感じで答える。

「三佐子さんといわれるんですね。山翔と武瑠の母です。二人がお世話になったようで」

「はい。あ、いえ、私こそ。あの、私をご存じなんですか」

「今朝、山翔と話していて、この店をやっているのが、武瑠と最後に会った友達じゃないかと思ったんですよ。間違いない?」

「ごめんなさい。そのとおりです」

「あ、こちらこそ、ごめんなさい。そういう意味じゃないのよ」

 ちょっと気まずい感じになった。

 キッチンから湯気が上がっているのに気づいた。

「あ、吹きこぼれる!」

「キャー!」

 三佐子さんは、慌ててコンロの火を止めた。

「ごめんなさい。お忙しいところ、お邪魔して」

「いえいえ、今日は休みですから」

 これを機に、一旦話題を変えた。

「何を作っとるん?」

「ランチの新メニューを開発中」

 母さんもそれに乗って、「私もメニューの開発中を見たい」と興味を示すと、三佐子さんが微笑み、雰囲気が良くなった。僕が「どんなメニュー?」と聞く。

「今日、あの人たちを呼んどるんよ。この辺、東南アジアからの技能実習生がいっぱい暮らしとって、時々、来てくれるんじゃけど、焼きそばくらいしか食べれるものがないんよね。一昨日、お兄さんにスパイスの話をしながら、これだけ、調味料が揃うとる喫茶店いうて、ほかにはない思うたん。お国や地方で味が違うはずじゃけ、お好みでスパイスを入れてもらえるようにしたらどうかなあって考えたん。でね、ベースをあったかいおソーメンにしてみたんよ。クセがないけえ、いろんなスパイスに合うんじゃないかなと思うて。安くできるしね」

 …三佐子さんの広島弁、かわいい。

 母さんが割り込んで来た。

「なるほど、カスタマイズにゅうめんね」

「お母さん、ネーミングセンスありますね。その名前で、ふわっと描いていたものが固まりました」

 母さんはうれしそうな顔をした。試作品の実験台を買って出る。

 イメージが固まると、三佐子さんの行動は早い。武道着の帯を締めるように、エプロンの紐を結び、「はい!」と気合を入れた。

「今、鶏肉を茹でていました。丁寧に灰汁(あく)(すく)い、茹で汁は捨てずに小分けして冷凍しておくんです。いろんな料理の出汁に入れるんですよ」

 鶏肉は水から茹でる。少し沸いてきたところで、沸騰しないように弱火にする。

「お兄さん、灰汁を掬いながら見張っとってね。丁寧によ」

 その間に別の鍋でソーメンを茹でて、茹で上がったら氷水と流水で冷やし、水を切る。最初の鍋の鶏肉に火が通ったら、これを取り出して半口くらいの大きさに切る。鍋には鶏ガラスープの冷凍ブロックを投入して混ぜる。

「ここで、ナンプラーを入れるとフォーの出汁になるんじゃけど、日本醤油でクセは消しておくかな」

 (つぶや)きながら、味見。

「ちょっと物足りんけど、この段階ではこれくらいでよし」

 茹でて冷やしたソーメンを投入して沸騰させた。手間も時間もコストもかからない。火を止めて、スープと麺を小ぶりなお椀に取る。母さんと僕に差し出した。

「ちょっと食べてみてください」

 一口啜(すす)る。

「旨いけど、確かに物足りんね」

「そうね。水炊きを付けだれ無しで食べてるみたい」

「ですよね? じゃあ、これを入れてみてください」

 小鉢の液体をたらりと流し込み、なんかの葉っぱを乗せる。

「どうですか?」

「うん、美味しい。酸味と辛み、異国の味ね」

「液体の正体は、ライムとナンプラーとレッドペッパー。パクチーとミントをトッピングしました」

「エスニックにゅうめんじゃね! 美味しいよ」

「ほんと? じゃあこっちは?」

 お椀にもう一杯、スープと麺を入れ、別の液体を入れた。

「甘くなった。これも旨い! これはこれでまたエスニックじゃ」

「美味しい。これはココナッツミルクとナンプラーじゃない?」

「お母さん、すごいです。それに黄な粉を入れてみました」

「え、なんで黄な粉なん?」

「直感です。シンプルなスープと麺に自分の好きな味付けをするんですよ」

 十時頃、東南アジア出身と思われる男性が二人現れた。

「紺の服がグエンさんで、緑の服もグエンさんよ」

「こんにちは、こんにちは」

 大人しそうな二人は、少し不安げなまなざし。母さんと僕は安心してもらえるよう、いい笑顔を作って、グータッチで挨拶をした。

 三佐子さんは英語で、今できたばかりの料理を試食してほしいと説明した。

 シンプルにゅうめんを、それぞれ三つの小さい椀に分け、二種類の液体を垂らした小皿と一緒に、盆に乗せて出した。二人の真ん中に、使えそうなスパイスの缶とトッピング野菜の大皿を置く。

 グエンさんとグエンさんは、シンプルにゅうめんを一口啜り、頷く。

「美味しいです」

 二人は、片方の液体を入れ、スープを一口飲むと、レモンで酸味を増し、一気に啜り込んだ。

「ワタシの国の味に近くなりました。美味しい」

 紺の服のグエンさんはそう言って、二杯目にはもう一つの液体を入れた。

「食べたことない味だけど、懐かしい感じね。これも美味しい。でも、さっきの方が好き」

 すると、緑の服のグエンさんは「いや、ワタシはこっちが好きです」と言った。

 三杯目。一人は酸味系、一人は甘味系の液体を要求した。それぞれ、スパイスの缶を手に持って、匂いを嗅いだりしながら、カスタマイズを始めた。クローブや八角など、日本人が使わないスパイスを選ぶ。そして、スープまで飲み干した。

「美味しかった。そして、楽しかった。ありがとう。いくらですか」

「試食会なので無料です。もし、良かったら、今度、お友達を連れて来てください。一緒にメニューを作ってください。日本でいい思い出を作ってほしいと思っています」

「ありがとう。日本に来て一番、うれしい言葉ね。友達、連れて来るね。ありがとう、ありがとう」

 二人は切なげな笑顔で目頭を押さえながら、店を出て行った。その光景を見ていた母さんも涙を流していた。

「ほんと、うれしそうじゃったね。三佐子さん、偉いわ。ああいう立場の弱い人に心配りができるんじゃね。ただの同情じゃなくて、本当に喜ばれることを考えとる」

「あらあら、お母さん、大袈裟ですよ。ただね、思うんです。例えば、自分が外国に行って、ハンバーガーしか食べるものがなかったら、寂しいだろうって。人間の生きる意味の半分は食べることだと思うんです。それに、いつか彼らにも本場の味の話を聞いて勉強したいなって」

「三佐子さんは一生懸命に生きているのね。本当にまっすぐな人。心が洗われる気がする」

「褒め過ぎですよ。でも、ありがとうございます。誰に褒められるよりうれしいです」

 二人の間の敷居が一段下がった。

「実はね、ミニコミ誌であなたの写真を見たとき、武瑠が『今度連れて来る』言うた人じゃないかとは思うとったん。警察が『最後に会うた女性のご友人』いうのもこの人じゃないかと。確かめに来たかったんじゃけど、私が行くと、どうなのかしらと思うたりして」

「お気遣いありがとうございます。私もお母さんには、お会いして、ちゃんとお話ししなくちゃいけないと思いながら、三年も経ってしまいました」

「あなたも心痛めたよねえ。あなたのせいじゃなんて、最初からこれっぽっちも思うてないけん。私がそのことを伝えてあげんといけんかったんよ。苦しんだよねえ。ごめんね」

 三佐子さんの涙が堰を切って溢れた。僕はどうして良いか分からず、ただ見ていた。母さんが三佐子さんのそばに行き、自分が使っていたハンカチを差し出した。

「お母さん」

 甘える仕草をすると、母さんは半身で受け止め、自分よりかなり背の高い三佐子さんの背中に手を置いて、(さす)るようにした。

 …何だ、この展開は。

 母さんは三佐子さんの左手に指輪がないことを確認した。

「失礼だけど、年はいくつ?」

「こないだ三十になりました」

 …ええええ! 三十? 三十! 年下だと思っていたのに三つも年上。

 母さんは僕の動揺には目もくれずに、三佐子さんを摩っている。

「結婚してないん?」

「はい…。でも、でもそれは、武瑠さんとは関係ないので、心配しないでください」

「そう? こんな綺麗でしっかりした娘さん、武瑠にはもったいないわ」

「そんなことないですよ」

 二人は目を合わせて、泣きながら笑った。いつの間にか僕ももらい泣きをしている。

 …しかし、三十歳とは。

「山翔、三佐子さんに会わせてくれて、ありがとうね。私は先に帰るね。言いたかったことは伝えたけん」

「そんな、もっといてください」

「三佐子さん、ありがとう。武瑠はあなたに会えて、幸せじゃった思うわ」

「武瑠さんは生きています。信じています」

「私もそう思うとるよ。でも、あなたはもう縛られんとって。悪いのは武瑠なんじゃけん」

「そんな…」

 母さんはもう一度、三佐子さんに笑顔を送り、カランコロンとカウベルを鳴らして、店を出て行った。

「お母さん、気分を壊された?」

「そんなことないよ。たぶん、午後からパートに出るけんじゃ思う」

「そうなん」

「三佐子さんのこと気に入ったんじゃと思うよ」

 しばらく、沈黙があった。

「三佐子さん、三十歳なん?」

 母さんに渡されたハンカチで、もう一度、涙を拭っていたが吹き出して笑った。

「そこ? この流れで」

「いや、ずっと年下じゃ思うとった。二十三か四か」

「言い過ぎよ」

「美魔女じゃね」

「美魔女って、三十五歳以上の人に使う言葉らしいよ」

「ごめん。でも、二十歳(はたち)じゃ言われても信じるわ」

「ほんま? うれしい」

 …魔女といえば。

「三佐子さん、魔法使えるん? 指でランプに火を点けるじゃん」

「ふふ。種明かしはせんよ」

「呪文を唱えたり、秘密の粉を入れたり。もしかして、本物の魔女?」

「かもよー」

 三佐子さんのお茶目な笑顔に心がとろけてしまう。しかし、三佐子さんが三十歳であるということ、そして、武瑠の彼女だったらしいこと。この二つをいまひとつ受け止められない。

「三十ということは、武瑠とは五つ違うんよね。いったいどこで出会うたん?」

「何回も三十言わんの。私、塾長が塾を始めたときの最初の中一なんよ。塾を卒業するのと入れ替わりにお兄さんが入塾したんよね。それで、武瑠君が中二のとき、アルバイト講師で戻って来たけん、お兄さんが塾にいた三年間だけ、ここを離れとったことになる」

「武瑠の先生じゃったん?」

「先生とは呼ばれんかったけど」

 中二の武瑠と女子大生の三佐子さんの姿を、並べて思い浮かべようとするが、自分にとっては実写とアニメくらい別次元の二人である。うまく同じ画面に重ならない。

「お兄さん。…お兄さんて言うのも変じゃね。なんて呼ぼうか」

「山翔でええよ。僕の方が年下なんじゃけ」

「年のことはもうええって。兄弟でヤマトタケルになるんよね」

「そう。でも、ヤマショウって呼ばれとったよ。塾長が付けた」

「私も、塾長にはあだ名で呼ばれとったよ。塾の同級生にもう一人、美沙子という子がおってね。その子は苗字が林田(はやしだ)じゃけ『リンダ』、私は漢数字の三に佐藤の佐じゃけん『サンザ』」

「サンザちゃん…」

「結局、そう呼んどったのは塾長と武瑠君だけじゃったけどね」

「塾はいつから、喫茶店になったん? 長いこと、この辺に来てないけえ知らんかったよ」

「塾は武瑠君が中学を卒業した年で止めたよ。私の講師も二年だけ。半年くらい準備期間があって、喫茶店になった」

「じゃあ、僕が高校を卒業して岡山の大学に行った年くらいかね。じゃけ知らんのじゃね。その時から三佐子さんが、店長をやりよるん?」

「いやいや、店は塾長が一人でやっとった。最初は忙しくて、塾講師の継続で、私とリンダをアルバイトで雇うとったん。就職してからも、私は時々、顔は出しとったけど、塾長が体調を崩してからは休店が()いくなった。いよいよ立てんようになって、入院することになったんじゃけど、家族がおらんけえ、、私が手続きした」

「大変じゃったね。親子みたい」

「病院では孫じゃと思われとるみたいじゃけど、私、一応、塾長の成年後見人なんよ。書類の続き柄にはそう書いたんじゃけどね。私も仕事、何日も休んだよ。意識がなくなる直前に、『机の引き出しにエンディングノートが入っとるけん、その通りにしてほしい』と言うたん。部屋に行くとノートがあったわ」

「エンディングノート。お葬式のやり方の遺言みたいな?」

「うん。財産のことも書いてあったけん、すぐに弁護士さんに預けて、私はコピーを持っとる。この店を、私に引き継いでほしいいうのも、そのノートに書いてあった」

「昭和趣味のオーナーって塾長のことじゃったんじゃ。薬剤師止めて店を継いだん? そこまで縛られんで良かったんじゃないん?」

「大学では、薬剤師と一緒に管理栄養士も取ったん。健康料理のお店を出すのが夢じゃったけん、この店を手伝いながら調理師免許も取っとったんよ」

「たくさん資格を持っとるんじゃね。塾長が夢を叶えてくれたいうことになるんかね?」

「うん、そう思うことにしとる。喫茶店から飲食店の営業許可に切り替えて、塾長のコンセプトは残しながら、メニューは変えた」

「ああ、郷土史会の会長さんが『美味しくなった』言うとったね。三佐子さんの料理、本当に美味しい」

「ありがと。それで、ノートには延命治療をするかという項目があってね」

「今の状態じゃね。普通、そういうもの書く人は延命治療はせんでええって書くみたいじゃけど」

「逆。財産が続く限り、生かしておいてくれって」

「へえ。財産ってたくさんあるん?」

「現金はないよ。でも、病気が指定難病いうやつらしくて、個人負担がないんよ」

「じゃあ、植物状態をずっと続けるわけ? 塾長、可哀想じゃない?」

「本人がそうしてほしいいうて書いとるけんねえ。そこには、変な理由が書いてあってね」

「どんな理由?」

「自分は倒れても、夢で縁者に思念を送るからって」

「確かに変。塾長らしいけど、なんか怖いね」

「そうよね。お兄さんが見た夢もそうじゃないかね」

「う! 僕もその縁者?」

「もともと塾生じゃし、一番可愛がっとった武瑠君のお兄さんじゃけん、立派な縁者じゃない? お前の出番じゃ言うたんじゃろ。ほんまに、塾長の最後の切り札なんよ」

 夢と言えば…。

「実は昨夜も、また夢を見たんよ」

「どんな夢?」

 鞄からメモ帳を取り出して、思い出す。

「神社の境内みたいなところで、時代劇のコスプレイヤーがショーをやっとった。女子のファンがいっぱいおったよ」

 三佐子さんは、「え?」というような表情をして、カウンターの横の飾り棚にあった写真立てを出した。

「もしかして、こんな感じ?」

 十数人の集合写真で、お姫様や武将、忍者や僧兵の恰好をしている。

「あ、何これ? そうそう、このとおりよ」

「小説のキャラクターのコスプレイベントよ」

「夢では、コスプレイヤーが次々と飛び出していって、演武をやるのを後ろから見よった。昨日もカラス天狗の塾長がおった」

「塾長の小説は読んだことあるん?」

「ない。読書苦手」

「このイベント自体、小説のラストシーンで、仲間が現代に集結するエピソードを再現したものなんよ。この写真は尾崎神社の境内なんじゃけど、小説には極楽天神と書いてある」

「そういえば、夢の中で、塾長はその名前を言うとった。それってほんまにあるん?」

「山の中にある、幻の(やしろ)らしいよ。私は行ったことないけど、塾長と武瑠君は見つけたみたい」

「そうなんじゃ。でね。そのコスプレイベントでね。いざ出番いうときに、武瑠がいなくなっとるらしいんよ。猫もおらんとか言うとった」

「小説のタケルもイベントの武瑠君もそこでいなくなったりせんよ。あ、イベントのとき武瑠君、猫を連れて来とったわ」

「いろんなことが混じっとるんかね。でね。塾長が『最後にヒーローの登場』って紹介したら、背中を押されて、僕が出て行くんよ」

「お兄さん自身が?」

「うん。なんと、背中を押したのはお姫さんの恰好をした三佐子さんで、僕は日本神話の男なんよ。確かアゲハと、えーっと…」

「サヌ?」

「それそれ」

「その二人が小説の主人公よ。不思議なね、ほんまに読んでないんよね」

「その二人はどういう関係なん?」

「夫婦…」

 三佐子さんと僕の間に、照れくさい空気が流れた。

「そういえば、三佐子さんの夢で、僕の背中を押して『行くよ!』言うた言いよったじゃん」

「そうじゃね。私の夢とも重なっとる」

 塾長が夢で思念を伝えているということ、三佐子さんも受け入れ始めたようだ。

「それで、最後に僕が神社に向かって、サッカーボールを蹴ったんよ」

「そんなシーンはないわ。で、ボールはどこに行ったん?」

「神社の扉が開いて、そこに入って行って、夢は終った」

「続きがありそうじゃね」

「じゃね。その小説って、時代劇なん?」

「歴史SFファンタジー言うとったよ。弥生時代から現代までを行ったり来たりする。恐竜時代にも行く。ある意味、無茶苦茶な話よ」

「塾長は、よくSFの話しよったよね」

「子どもの頃から空想壁があったらしいけえね。このコスプレイベントは、喫茶店を始めた頃のことなんじゃけど、塾長が小説のPRのために、自腹で衣装を作って、いろんな人に着てもろうたんよ。主役の二人は広島のタレントさん。お金かかっとると思うわ。周りは殺陣やコスプレのマニアさんたちなんじゃけど、塾長と武瑠君と私とリンダも入っとるんよ」

 そう言われて、じっくり見ると、主役と(おぼ)しきお姫様と神話の青年の後ろに、山伏の恰好をした塾長、その横の足軽は武瑠である。

「三佐子さんはどれ?」

「左の女忍者よ。その横がリンダ」

「ん? あ、ほんまじゃ。三佐子さんじゃ。わあ、くノ一。かっこええ!」

「キクチとタケルとサンザとリンダは小説に出てくるけん、モデルになった本人がコスプレしとるんよ。その恰好、恥ずかしかったあ。リンダは着飾っとるけど、私の衣装、露出度が高いじゃろ。セクハラだよ」

 確かに、ちょっとセクシーだ。

「でも、タレントのお姫様よりかわいいよ」

「そんなことないよ。ふふ、でも、ありがと」

 また、照れくさい空気になった。

「今の髪型、その時からなんよ」

「ああ、それ、忍者のちょんまげじゃったんじゃ」

「そういえば、小説の出だしの辺りに、タケルの兄、ヤマトというのが名前だけ出てくるよ」

「え、そうなん? ヤマトはちょい役か」

「『快活なサッカー少年の兄、ヤマトと違って、タケルは鬱屈(うっくつ)のあるマニアックな少年である』という一文だけじゃけど」

「そのまま、うちの兄弟じゃんか」

 二人は笑った。


 三佐子さんが「あ」と言って時計を見て、買い出しを手伝ってほしいと言う。軽バン「ぎふまふ号」に乗って、まず、農協が運営するマーケットに行き、注文しておいた生野菜を積み込む。次に、国道三十一号を北に向かい、海田町のお肉屋さん。海田の旧市街地を通って矢野に戻る。

 正面に矢野三山。「山」という漢字の成り立ちを示すかのように、三つの峰が並ぶ。

 町境にある業務用のスーパーで、冷凍食材や調味料を買い込む。

 …食材を選ぶ女とカートを押す男、仲の良し夫婦に見られるかも。見られてもいいけど。

 しかし、上下二段のカゴに山盛りの食材は家庭料理の量ではない。

「野菜はできるだけ地元産の新鮮なもの。肉は特に高いものを使うていないんよ。冷凍や缶詰も使うし、麺も市販のもの。ただ、味が着いとるものは買わん。良い食材を使うのがA級グルメじゃとしたら、うちは調味料で食べさせるB級ね。じぇけ、スパイスや調味料にはこだわっとるつもりよ」

「庶民の味方。味はA級」

 料理の話をする三佐子さんの目はキラキラしている。今まで会った女性の誰よりもきれいだと感じる。弟の彼女だったのかもしれないという抑制を超えて、明らかな恋心が首をもたげてきていた。

 しかし、今、僕の心をこの恋に解放することはできない。「山翔でいい」と言ったのに、三佐子さんは「お兄さん」と呼び続けている。僕は「武瑠のお兄さん」なのだ。その武瑠は三佐子さんの前からも突然消えた。何もかもが途中のはずだ。それを決着させるためには、何らかの形で武瑠が現れなければならないが、すでに三年も経っている。待つしかないのだろうか。どこかでどうにかしなければ、僕のことを抜きにしても、三佐子さんが前に進めない。

 恋愛には疎いが、刑事の「筋読み」のように考えれば、僕にもストーリーを組み立てることはできる。

 車に戻ったときに、提案してみた。

「あの、仕事を休んでいる間、お店を手伝わせてくれん?」

 …なんとか、武瑠とのことを聞き出したい。何よりも三佐子さんと一緒にいたい。

「え? 私は助かるけど、そんなことしててもええん?」

「自宅療養が原則じゃけど、ずっと家におったら、もっと病気になりそう」

「そうじゃね、それは分かる。でも、後ろめたい感じも嫌じゃけん、お医者さんと、それから職場に相談して、許しをもらってもらえんかね?」

「う、うん」

「バイト代は安いよ」

「公務員じゃけ、もらえんよ」

「そうなん? じゃあ、潰れそうなお店を支援するボランティアということで」

「あ、うん。分かった。明日一回、岡山に戻る」

「じゃあ、着替えも持ってこんとね。今日のも武瑠君のシャツじゃろ?」

「実はパンツも」

「ばか、そんなこと聞いとらんし」


 店に戻って、食材と調味料を、冷蔵庫とストッカーに整理した。

「お腹空いたね。何か作ろうか」

「うん! 何でも食べる」

「お兄さん、子どもみたい。かわいい」

 その言葉に、また心がキュンと締め付けられた。

 三佐子さんは、冷蔵庫を見て、余った市販の焼きそば麺を取り出した。

「地球のためにも、お店のためにも、フードロスは出しとうないけんね」

 と言いながら、焼きそばを作り始めた。フライパンを胡麻油で熱して、余り野菜、続いて麺を二玉放り込んで菜箸で炒める。

「グエンさんたちには、ここで自慢のカレーパウダーを入れとったんよ。そしたら、気に入ってくれたみたい。あ、そうじゃ。私たちもカスタマイズしてみよう」

 軽く塩だけして、二人前を大皿に移してカウンターに置いた。三分もかかっていない。取り分け皿を三つずつと、いろんなスパイス缶を並べた。

「素人には、何を入れたらええんか分からんよ」

「そうじゃね。よし、私が三種類作ったげよう」

 ガラムマサラとターメリックとレッドペッパーを混ぜ込んでカレー風。ガーリックパウダーをオリーブオイルで混ぜ、鷹の爪を乗せてペペロンチーノ風。醤油と鰹節と刻み海苔で和風。

「どう?」

「全部、美味しい。楽しいし」

「これ、三点セットでも食材原価三十円だ。売り値は百円じゃ」

「客単価がどんどん下がるね。五百円は取れるよ」

「暴利だ」

 二人はニコニコしながら食べ切った。

「明日、上司と主治医にOKをもろうたら、すぐに報告するね。SNS交換しよ」

「やってない」

「うそ。じゃあ、携帯の番号」

「私、携帯もスマホも持ってないんよ」

「ええ?」

「用事があったら、店に電話して。これ、電話番号。はい」

 渡されたのは、昭和の喫茶店らしいマッチ箱。そこに、電話番号が書いてあった。電話はダイヤル式の黒電話。

「絶滅アイテム。飾り物か思うとったけど、実用なんじゃね」

「夜もこの電話で大丈夫じゃけん」

「夜もここにおるん?」

「家は別にあるんじゃけどね。夜も遅くなることがあるし、朝は早いけん、今はここの三階に住んどるんよ」

 …ここに住んでる。

 そんな基本的なことさえも初めて知った。僕は三佐子さんのことを何も知らない。

「ごめん。今日は仕込みがあるけん、車で送れん」

「仕込み、手伝おうか」

「いや、明日は岡山に行くんじゃろ。寝坊せんように早う寝んちゃい」

「うん。じゃあ、岡山から帰ったら、すぐに来るけんね」


 バスに乗る。

 家に帰ると線香のにおいがした。母さんは仏壇の前に座っていた。

「おかえり。今日は連れて行ってくれて、ありがとね。三佐子さん、ほんまにええ子じゃね」

「う、うん」

「今日は、山翔と武瑠と三佐子さんのこと、お父さんと何度も話をしとったんよ」

「大丈夫?」

「大丈夫よ。あんたみたいに心を病んどるわけじゃないんじゃけん」

「酷いな。あ、明日、岡山に戻るわ」

「あら、まだ、三日目じゃない」

「いや、医者と上司と寮長に会うて、話をしてくる。三佐子さんの店、手伝うてもええかいうて」

「ふーん。じゃあ、また帰って来るんじゃね」

「うん。日帰りで、なるべく早く帰る」

 ネットテレビでグルメドラマを見ていると、十二時近くになっていた。母さんはいつの間にか寝ている。小腹が空いて、台所に行くがすぐに食べられそうなものがない。仕方なく、黒っぽい吉備団子を二つ食べた。

 自分は本当にメンタルを病んでいるのだろうか。現状、全然、普通。むしろ元気。しかし、治ったことにしたら、三佐子さんのお店に行かれなくなる。そんなことを考えながら、二階の自分の部屋に行く。夕方、エアコンを付けたままだったらしく、涼しい。電気を消してベッドに仰向けになると、天井の一部が(ほの)明るい。

 …あ、あの蝶が止まってる。翅が発光してるのか。


 小さな石の鳥居の額には「極楽天神」の文字。その下に神話の衣装の僕が立っている。神社の後ろに、小さな滝がある。

 近寄ると、滝の前にはカラス天狗に扮装した塾長。錫杖をシャンと地面に突いて、「のうまく・さまんだ・ばさらだん・かん!」と呪文を唱えた。

「滝の岩肌に、穴を空けたから覗いて見よ」

 話す声に混じって、酸素吸入器のような音がしている。小さな滝壺に入って、落ちる水を浴びながら、岩肌を探す。ちょうど、目の高さに穴が空いている。

 覗いてみると、この場所とそっくりな空間が向こうにある。鏡の世界か。

 人の姿がある。どんどん増えていく。皆、鎧を着て刀や槍を持って戦っている。

「お兄ちゃん、どこかで見ているのか!」

 武瑠の声だ。天に向かって叫ぶ、足軽の後ろ姿が見えた。

「武瑠! 山翔だ。ここにおるよ」

 叫んだが、聞こえないようだ。

「いるなら聞いてくれ! 僕は今、十六世紀の矢野城で、アゲハ姫を守って毛利元就と戦っている。しかし、劣勢だ!」

 そこまで話すと、槍を構えて戦場に走り出て行った。

 敵将は毛利元就らしい。その上に公家風の衣装を着た魔物が浮遊している。

 …空中に浮かぶ陰陽師。

 目から光線を放ち、味方の兵士を攻撃。黄色い蝶の群れを、レーザービームが横切ると、数匹が燃えて落ちた。その先で、こちらの大将がやられた。絶望的な空気が流れる。足軽が戦場の真ん中に転がり出た。足軽の脇を、三人の忍者が浄瑠璃の黒子(くろこ)のように支えている。陰陽師に睨まれ、光線が一閃。足軽の被り物が飛ばされた。

 …やっぱり、武瑠だ。

 槍や刀ではなく、アラビア風の湾曲した剣を重そうに引き摺っている。黒子に支えられて剣を振り上げ、そして振り下ろす。光線の第二撃を見事に受け止めた。忍者の一人、よく見ると女。

 …三佐子さん?

 だと思うが、右目に眼帯、八重歯が牙のように尖り、野性的な印象だ。

 武瑠より、背の高い女忍者は、後ろから覆い被さり、武瑠の手の上から、左手で剣を一緒に握る。呪文を唱える。

「ナムアフ・サマンタ・ヴァジュラナム・ハム!」

 右手でパチンと指を鳴らすと、湾曲刀の先に火が点いた。

「サンザちゃん、こんな火じゃ勝てないよ」

「タケル殿! 真言(しんごん)を唱えよ」

「真言って何!」

 武瑠はタケルと呼ばれ、三佐子さんはサンザという忍者の役らしい。

「何でも良い。お前様の信じる言葉を放て!」

「ぎふまふ!」

 …なんで?

 火はタケルの「真言」に押され、火炎放射機のように尾を引いて前進を始めた。敵の光線を押し返す。タケルとサンザが手を携えて一緒に戦っている。二人は気の合った同志なのだろう。

 陰陽師が呪文を唱えると、無数の式神が飛び出した。二人に貼り付いて、体力を奪っていく。ついに剣先の炎が消えた。押し込んでくる光線の威力を、辛うじて剣で凌いでいる。

 タケルが叫んだ。

「お兄ちゃん。助けて!」

 …武瑠、三佐子さん。どうすればいい?

 滝の岩肌の穴を覗いているだけでは、どうすることもできない。

 背後のカラス天狗が言う。

「ヤマショウ、火を貸してやれ!」

「僕は煙草を吸わない。ライターなんか持ってない」

「マッチ!」

「だからそんなもの持ってるわけが…いや待て」

 ズボンのポケットをまさぐると、マッチ箱。

「あった」

「貸してみ」

 塾長はそれを奪い取り、両手で包み込んだ。

「のうまく・さまんだ・ばさらだん・かん」

 呪文を唱えて手に息を吹きかける。塾長の手には何もなくなる。穴を覗きなおすと、向こうの三佐子さんが小箱を片手キャッチするのが見えた。それをどうしたのかは分からなかったが、パチンと指を鳴らすと、静電気のような火花が飛び、剣先に火が(とも)った。

 武瑠の表情がたくましくなり、「ウオー」と声を上げて。炎で光線を押し返す。三佐子さんが指を数回鳴らすと、体に貼り付いた式神は、薄い紙のように一瞬炎を上げて焼失した。

 塾長が言う。

「ヤマショウ、とどめじゃ。真言を唱えよ!」

「僕がですか? 真言?」

「何でも良い。思いついた言葉を叫べ!」

「えーっと…」

「早う!」

 口を突いて出た言葉はさっきの武瑠と同じ。

「ぎふまふ!」

 叫ぶと同時に、今度は向こうの世界にある極楽天神の社の扉が開き、砲弾のようにボールが飛び出した。しかも炎を(まと)い、唸りを上げて軌跡を描く。陰陽師の体に命中した。陰陽師は炎に包まれ、その姿は先ほどの式神と同じように、灰になって崩れ消えた。タケルとサンザは救われ、矢野城は守られたようだ。

「お兄ちゃん、ありがとう」

「ヤマト殿、感謝致す」

「ヤマショウ、お手柄じゃ」


 目が覚めた。夜中の一時である。

 前夜の夢で神社に蹴り込んだボールが向こう側に飛び出したということか。タケルは十六世紀で毛利元就と戦っていた。あの小説の中のエピソードなのだろうか。

 今日も夢の内容をメモした。

 …あ、マッチ箱。

 電話番号を教えるために、三佐子さんがくれたが、夢の中で向こう側に送った。もしかして、現実世界から消えたてはいまいかと、脱ぎ捨てたズボンのポケットを探す。

 …あった。ん? 揺すっても音がしない。最初から空箱だったっけ?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ