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純喫茶ぎふまふ奇譚  作者: 勢良希雄
16/19

166 がんす・やおぎも・せんじがら

 一月十二日日曜日。

 リンダさんが、「今日は三佐子と食事に行く約束しとったんよ」と言い、店が終わってから二人で食事に出かけた。三連休の中日なので、デートは明日でも良い。

 僕は一人で、三佐子さんの叔母さんのスナックに行ってみた。もらった名刺の住所をマップのアプリに入れてみると、国道を挟んで、自衛隊の正門の向かいに導いた。

 小雪が舞う寒い夜。内照式の看板に店名がある。

 …スタンド君島。

 叔母さんの苗字も、三佐子さんと同じ「君島」。叔母さんは、三佐子さんのお母さんの弟のお嫁さんである。名刺をもらったときには深く考えなかったが、君島は三佐子さんのお母さんの苗字なのだろう。

「こんばんは」

「あら、山翔君。来てくれたんじゃね。ありがとう」

「約束しとったのに、なかなか来れんでごめんなさい」

「岡山におるんじゃろ? 帰ったらデートせんといけんけんね」

「そうですね」

「今日は一人ね? 占うてほしいことでもあるん?」

「いえ、三佐子さんのこと聞きたくて。ご両親のこととか話してくれんもんで」

「話しとうないんかもね」

「まだ信用されてないんでしょうか」

「家族に犯罪者がおったりしたら、警察官としてはやっぱり、まずかったりするん?」

「そういう意味じゃないです。もし、そうだとしても受け入れます」

「いや、別にそういうのはないけど。ほうよねー、まあ、結婚するんじゃけんねえ」

「ええ。普通、結婚するときご両親にお許しをいただきに行くじゃないですか。亡くなっているにせよ、せめて、お墓参りくらいはしたいなと思うんですよ」

「そりゃあそうじゃね。分かった。私が知っとることは教えたげる。私が話したこと内緒よ」

「はい。絶対、言わんです」

「臨時休店にしょうか」

「え? すごいお邪魔してますね。出直しましょうか」

「ええよ。日曜日の夜はお客さん来んけん」

 叔母さんは、看板の電気を消して、扉の外に「クローズド」の札を掛けた。


 冷蔵庫からいろんなおつまみを出してくれる。

「これ、知っとる?」

 魚のすり身をフライにして、さらに味付けしたような丸い物体。

「あ、見たことあります。あげはん?」

「ブブ。あげはんにはパン粉が付いてないよね。これは、がんすいうんよ」

「がんす? 古い広島弁の?」

「ピンポン。『ございます』いう敬語らしいよ。今は誰も使わんけど。まあ、摘まんでみんちゃい」

「ございます、ござんす、ごあんす、がんす…なるほど」

 一口食べてみる。

「うん、美味しい。ちょっとピリ辛」

「旨いでがんすー言わんにゃあ。じゃあ、これは?」

「するめ?」

「ブブ。広島名物せんじがら。豚の胃袋を茹でて、時間かけてカリカリに揚げたもんよ」

(かた)!」

「噛めば噛むほど味が出るいうやつよ」

「そんな人間になりたいですね」

「ほうじゃねー。じゃあ次、これは?」

「これ、知ってます。やおぎも」

「おお、正解。牛のどこの肉か知っとる?」

「きもじゃけ、肝臓?」

「ブブ。肺らしいわ。臭いけん、捨てるしかなかった部位を、生姜と醤油で何回も煮込んで、食べれるようにしたらしいよ。これも広島人の開発じゃって聞いたよ」

「豚の胃袋にしても、牛の肺にしても、命をいただくんじゃけん、無駄にしちゃあいけんいうことでしょうね」

「ほうなんかねー、ほうじゃねー。命は大事にせんとね」


 おつまみ談義をしながら、水割りを二杯作り、カウンターに座った僕と自分の前に置いた。自分のをググっと飲み干して話し始めた。

「三佐子ちゃんの母さんはね、この店のママじゃったんよ。店の名前はママの苗字じゃけん」

「え、そうなんですか。叔母さんの苗字かと思いました」

「ま、同じじゃけんね。でね。私の大恩人なん」

「何かしてもろうたんですか」

「『してもろうた』いうようなもんじゃないんよ。今でも感謝、感謝。私が今、こうしておられるのは、お義姉(ねえ)さんのおかげよね」

「そんなんですか」

「私自身も親と縁が薄うてね、施設で育ったんよ。高校を卒業したあとは、就職できずに路上で占い師したりしよったん」

「叔母さんにも、凄い過去があるんすね」

「はは、でね、今日みたいに寒い日。お義姉さんが私の前に座ったんよ」

「三佐子さんのお母さん」

「うん。三十歳くらいじゃった。今の三佐子ちゃんとそっくりの、背の高いべっぴんさんよ」

「お母さんは、何を占ってほしいと言うたんですか」

「それがね、何にも言うてんないんよ。辛そうな顔して黙って座っとるん」

「何があったんですかね」

「何にも言うてくれんのよ。私、駆け出し占い師で、まだ二十歳そこそこじゃったけん、何かええこと言うてあげることもできんでね。手を握ってあげたんよ」

「…」

「涙がポロっとこぼれたん。しばらく黙ってそうしとったら、『ありがとう』と言うてくれたんよ」

「不思議な出会いですね」

「うん。でね。それから何回か会いに来てくれたん。そのたびに手を握り合うた」

「不思議な関係、言葉じゃなくて分かる仲ですね」

「じゃね。一生のうちでもそんなにおらんよね。『妹みたいじゃ』言うてくれた。家族のおらん私には、ほんまにうれしかった」

「分かるような気がします」

「ほいでね、『うちの店で働かんか』言うてくれたんよ。よほど有名にならんと占い師で食べていけるわけもなし、これも縁じゃ思うて、お義姉さんの胸に飛び込んだんよ」

「それでこの店に」

「そう。ほいでね、勤め始めると毎晩、お義姉さんの弟がここにご飯を食べに来るんよ。それが私の死んだ旦那」

「叔母さんと旦那さんは、ここで出会うたんじゃ」

「うん。で、結婚することになった。お義姉さんは『本当の妹になってくれた』いうて、喜んでくれたよ」

 水割りのおかわりを作りながら、旦那さんとのことを思い出しているのか、しばらく沈黙となった。そして唐突に言う。

「その頃、三佐子ちゃんが生まれた」

 また、一息ついた。

「話を戻すけど、たぶんね、お義姉さんが最初に占うてほしいと思うた悩みはね」

「あ、はい」

「三佐子ちゃんがお腹に出来たことじゃないか思う。産むべきかどうか…」

「三佐子さん、『お父さんはおらん』と言うとりました。叔母さんは知っとるんですか、お父さんが誰か」

「私も知らんのよ。お義姉さん、とうとう墓まで持ってっちゃったよ」

「誰も知らないんですか」

「うん。ただね。私、ピンと来たんよ」

「占い師の勘ですか」

「私の勘は、占いより当たるいうて誰かが言いよったじゃろ」

「郷土史会の会長です。何がピンと来たんですか」

「三佐子ちゃんに言うちゃダメよ」

「約束します」

「この店、自衛隊さんがよう来るんよ」

「正門の前ですもんね」

「一応、その辺の居酒屋より高いけん、ちょっと偉い人しか来んのんよ」

「なるほど」

「まだ、私がここで働きだしたばかりの頃じゃったんじゃけどね。お義姉さんがお産で休んで、私一人でお店をやった時期があるんよ。その時、あるお客さんが、一緒に来た人のことを『さんさ』って呼ぶんよ。聞いたことのない言葉じゃけん、それは何か聞いたんよ」

「自衛隊の階級じゃないですか」

「あ、よう分かったね」

「僕も階級社会の人間です。そこは陸自じゃけ、三等陸佐ですね」

「さすが。昔の少佐じゃと教えてもろうた。で、その時、その偉い方の人が『ママは?』って聞いたんよ。もちろん、産休中とは言わんよ。相手は誰かいうことになるけんね」

「それはそうですね」

「そのとき、ピンと来たんよ」

「その人がお父さん?」

「じゃけ、知らんて。ピンと来ただけよ」

「その人は常連じゃったんですか」

「いや、私が見たのはそれ一回。その前には来たことがあったんじゃろうね」

「どんな感じの人じゃったんですか」

「三十代後半かね。もう、顔は思い出せんけど、八重歯が見えた記憶がある」

「八重歯…」

「あのね、『さんさ』って漢字で書いてみて」

「三佐…。あ」

「そう、三佐子」

「なんか、僕らの世代の名前にしては地味な字だなと思ってたんです」

「そういやあ、そうじゃね」

「認知してほしいとか言おうと思わんかったんですかね」

「それ、私も言うたんじゃけど、相手には『絶対に言わん』って」

 …「絶対に」か。三佐子さんに似てる。

「この店やりながら、女手一つで、三佐子ちゃんを育てたんじゃけどね。三佐子ちゃんが中学を卒業した後、病気で死んだんよ。癌、見つかってから早かったね」

「ええ? そんな…」

 …僕と出会ったあのキャンプのときには、もうお母さんもいなかったのか。

「三佐子ちゃんと大事なこと話す時間があったんかねえ」

 …大事なこと…お父さんのこと…。

「惨いよね。君島家の墓は瀬戸内海の小さい島にあって、私の旦那の骨もそこに入れたんじゃけど、、三佐子ちゃんが納骨したかどうかは聞いとらん。母親思いの子じゃったけん、もしかしたらまだ、手元に置いとるんかも」

「お母さんの話もほとんどしてくれてないです。辛い思い出なんですね」

「そうじゃね。あの子、そんなに食べんのに、太ったんよ。それと視力が落ちてね。なんか悪い病気じゃないか思うて、お医者さんに連れてったんじゃけど、原因は分からんかった。ストレスじゃろうね」

 …「ぽっちゃりメガネの女子高生」には悲しい理由があったんだ。

「高校時代は、私ら夫婦が面倒をみたげたんよ。面倒いうても、お義姉さんの買うたマンションにそのまま一人で住んどったし、公立高校の学費は無料じゃったけん、お金も手も掛からんかった。大学も奨励金をもらいながら、自力で卒業したね。自分のことは全部自分でできる子じゃった」

「三佐子さん、頑張り屋さんなんですね」

「うん、気持ちも優しいしね。むしろ、子どものおらん、うちら夫婦の娘役をやってくれたりして、ドライブしたり、レストランに行ったり」

「三佐子さんも、家族の雰囲気に浸ってたんじゃないですか」

「ほうかね。確かに、あの頃が私ら夫婦の一番幸せな時期じゃったかもしれんね。旦那が五年前に病気で死んでからは、三佐子ちゃんが唯一の家族なんよ」

 …叔母さんにとっても、三佐子さんは大切な人なんだな。

「あ、塾長のことも、親代わりじゃったと言うてたような気がしますが」

「菊池さんね。そうじゃね。お義姉さんとも仲良かったみたいよ。死んでからは無料で大学受験の勉強を見てくれたんよ。国立の薬学部が、自宅から通えるところにあったけんね」

「塾長と三佐子さんの間には、そんなことが」

「恩返ししたよね。えらいよね」

「はい。いくら恩があるとはいえ、大変だったと思います」

「まあそこには、リンダちゃんという無二の親友もおったしね」

「三佐子さんとリンダさんは特別な友達みたいですね」

「リンダちゃんは、とにかく言葉の勉強。何か国語も喋れるんじゃろ?」

「確かに国際派ですね」

「大学生のときお母さんが亡くなって、一人になったんよ」

「それは聞いたような気がします」

「このお母さんも、またハーフみたいな美人じゃったね。女の勘じゃけど、菊池さんとできとったんじゃないかな」

「え?」

「あ、分からん。邪推(じゃすい)邪推。ごめん、今のはナシ。聞かんかったことにして」

「あ、はい。分かりました」

「どっちのお母さんも、女優さんみたいなべっぴんじゃったよ。娘らも美人になったね」

「三佐子さんもリンダさんも、モテたんじゃないか思います。彼氏とかの話は聞いたことないですか?」

「へへ、気になる? ほんまはそれが聞きたかったんじゃないん?」

「いえ、そういうわけじゃ」

「ふふん。二人とも聞いたことないね。男子に興味がなかったんかね」

「そうですか」

「うーん。実はね。薬剤師の頃、三佐子ちゃん、誰かおったんじゃないか思う」

 …武瑠だ。知らないながらも、叔母さんの勘は働いてたんだ。

「山翔君じゃなかったん?」

「え、なんでですか? その頃はまだ」

「そう。大学生の頃、三佐子ちゃんが年下の山翔君のことを好きじゃったこと、私、知っとったよ」

「え?」

 …それは知ってるんだ。

「言わん方がええか思うて言わんかったけど。武瑠君は山翔君の弟よね」

「はい」

「三佐子ちゃんもうつ病みたいな時期があってね。武瑠君が行方不明になった時じゃったけん、もしかして、武瑠君? とも思うた。まあ、仲良しではあったけど、好きじゃった人の兄弟じゃけん、三佐子ちゃんの性格からして違うかなあとか…」

 …やはり、この叔母さんの勘というか観察眼は鋭いんだ。

「親友のリンダちゃんの姿が見えんようになっとったし、可愛がっとった猫までおらんようになってね。落ち込むのも当たり前よね。ひどく沈んどったよ」

「あの明るい三佐子さんが…」

「うん。何を聞いても『大丈夫』言うて、作り笑い。私、悲しかったよ。最後のところでは心を開いてくれん。お義姉さんと一緒」

 叔母さんは切ないため息をついた。どう反応したらいいのか分からない。

「薬剤師をやめて、菊池さんと一緒に料理に打ち込むことで立ち直ったね」

「そうじゃったんですね」

「去年の夏よ。『三佐子ちゃんに運命の人が現れるいう占いが出た』言うたじゃろ」

「はい。聞きました」

「あれ、うそなんよ」

「え?」

「夢で見たんよ」

「夢?」

「菊池さんがカラス天狗の恰好で出てきて、『三佐子に運命の人が現れるけん、繋いでくれ』とか言うんよ」

「カラス天狗の塾長が叔母さんの夢に!」

「うん。そしたら山翔君が現れたじゃん。びっくりしたよね」

「僕、ぎふまふに行ったのは偶々(たまたま)なんです。運命としか思えませんね」

「ほんまに運命の人じゃったんじゃね。私、一生懸命、二人を結び付けよう思うて、『三佐子をよろしく』とか『相当相性がええ』とか言うたじゃろ」

「占いじゃなかったんですね」

「勘はビンビン感じとったよ」

「やっぱり、占いより当たるんですね」

「こら! まあね、三佐子ちゃんには幸せになってほしい。お義姉さんへの恩返しは、三佐子ちゃんに、と思うとる」

「三佐子さん、みんなに愛されて幸せですね」

「ええ子じゃけん、みんなが応援しとる。山翔君、三佐子ちゃんを不幸にしたら、許さんよ」

「あ、努力します」

「努力じゃない」

「あ、あ、絶対に幸せにします」

「よし!」

 叔母さんに「山翔君、歌いんちゃい」と言われて、「草原の乙女」を歌った。

 …ここで、この歌を歌ったような…あ、あれは夢だ。誰にも話してない。

 歌い終わった後、叔母さんにその時の夢の話をした。

「叔母さんにこの店で、タロット占いをしてもらったんです」

「カラス天狗がいました」

「また、気味の悪いことを。ほんまに見たんね?」

「カードも覚えています。恋人、隠者、魔女、女教皇、死神の五枚が出たんですよ」

「へえ、タロット分かるん? そういやあ、いつか『魔女いうカードはあるか』いうて聞かれたね。『ないよ、そりゃ魔法使いじゃろ』いうて」

「三佐子さん、魔法を使いますからね。女教皇はリンダさん、隠者は武瑠でした。あの占い、完璧に当たってました」

「よう分からんけど、武瑠君やリンダちゃんも関係があったん? まあ、ええわ。夢の中の私が占うたことが当たったんじゃね」

 …叔母さんも不可思議の理解者だ。武瑠のこともいずれ話そう。

 叔母さんは、最後のおつまみで「あれ」を出してきた。

「大蘇鉄」

「何それ、デーツよ。買うてみたけど、評判がようないんよ。えかったら、あげるわ」

「あ、いただきます。これを食べると不思議なことが起こるんですよ」

「ほんま。まあ、あげるわ」

 しっかり、頭を下げて店を出た。寒いが、歩いて帰る。

 自宅に帰り、寝ようとしたとき、大蘇鉄をもらったことを思い出した。鞄から出して、半分かじると、甘ったるい味が広がった。

 …ウイスキーには合いそうだが、ちょっとクセがある。


 眠りに落ちると、極楽天神の社が浮かんだ。扉が開く。

 中から、透明で小さいカラス天狗が出て来た。水の入ったペットボトルのようだ。

「塾長?」

「ヤマショウ、久しぶり」

「亡くなってからも、僕に夢を見せることができるんですか」

「夢を見せるのに、肉体は必要ないことに気付いた」

「なるほど、どうせ夢じゃし」

「どうせ言うな!」

 …怒られた。

「まあ、ついて来んさい」

 羽ばたいて舞い上がるカラス天狗。その後ろを、僕の視点がドローンのように追いかける。


 あの夏のキャンプの光景。

 武瑠が股間を押さえて言う。

「お兄ちゃん、早う出てや」

 小学校六年生の伊藤武瑠。キャンプ場に一つしかないトイレを占領しているのは、中学二年の兄、伊藤山翔、つまり僕らしい。前の晩、冷たいものを飲み過ぎてお腹の調子が悪かったのだ。。

 武瑠は我慢できずに草むらに走った。下半身が隠れるくらいの草丈の中に、おしっこをした。ホッとした顔になった。

 そのとき、前方、十数メートルで、深い草むらに女子が座り込んだ。

「見るな」

 後ろから、誰かに手で目隠しをされ、小声でそう言われた。

「塾長先生じゃろ」

「し! 声が大きい」

 回れ右させられ、目隠しのままその場を離れた。

 目を解放されて、先生を振り返る。さっきの方向に目を戻すと、メガネを掛けた女子高生が立ち上がって、テントサイトの方に戻って行った。塾長と武瑠には気づかなかったようだ。

「あのお姉さん、何しよったん」

「男の場合は『キジを撃つ』と言うが、女子の場合は『花を摘む』と言う」

「お花を摘んどったん?」

「そう」

 「…あのお姉さんが好きになったかも」。武瑠の心の囁きが聞こえた。

 たぶん、武瑠は女子高生が何をしていたか分かっている。異性に興味を抱き始める頃、変な妄想が膨らんだのかもしれない。

 昼食の時間、武瑠は塾長先生と一緒にカレーを食べていた。兄の山翔は、さっきのメガネのお姉さんと二人で食べている。楽しそう。

 「あのお姉さん、お兄ちゃんのことが好きなんじゃ」と呟いた。


 武瑠が三佐子さんを好きになったときのことか。僕と違って人の心に敏感なようだ。

 「花摘みの乙女」の妄想。ちょうど、「草原の乙女」という歌が、流行っている頃だった。

 いつかのストーカーの言葉を思い出した。「下着が見えただけで、その女に執着してしまう。男とはそういうものだ」。

 …武瑠の三佐子さんへの思いの始まりは、そんなことだったのか。

「違う!」

 暗闇に武瑠の姿が浮かんだ。侍の恰好をしている。

 …あ、すまんすまん。

「この時から好きになったのは間違いないけど、エッチな気持ちじゃないよ」

 …小学生だもんな。

「それも違う。サンザちゃんの、お兄ちゃんへの切ない気持ちを感じているうちに、僕がのめり込んでいったんよ。横取りなんかしとうなかったけど、お兄ちゃんが全然気づいてあげんけん」

「…」

「キャンプのときから、ずっとずっと、お兄ちゃんのことが大好きなのに」

「言うてくれんかったけん」

「僕とリンダちゃんだけは分かってたけど、サンザちゃん自身は誰にも言わんかった。でも、サインは出しとったよ。サッカーの試合をキャーキャー言って応援したり、カレー作ってくれたり」

「カレー?」

「僕が鍋を持って帰ったこと、覚えてないんじゃね。『お兄ちゃんを好きな女子が、お兄ちゃんにも食べてほしいって』って伝えたよ。キャンプのときと同じカレーを作って、思い出してもらおうとしたのに、お兄ちゃん、『ふーん』って、冷たかった。誰が作ったかくらい、聞けや!」

「覚えとらん」

「がっかりしたよ。サンザちゃんには『美味しかったと言うとった』と嘘を言うしかなかった。お兄ちゃん、どんだけ鈍感なん」

「穴があったら入りたい。じゃが武瑠、お前も三佐子さんが好きじゃったんじゃろ?」

「大大大好きじゃった。でも、サンザちゃんはお兄ちゃんが大大大好きじゃった、ということ」

「三佐子さんは間違いなく武瑠を愛しとった。今でも、忘れたわけじゃない思う」

「じゃとしたらうれしいけど、それ、絶対に言うちゃいけんよ。サンザちゃんがまた分裂する」

「分裂?」

「…サンザちゃんを幸せにしてあげて。不幸にしたら許さんけん」

「努力する」

「努力じゃダメ」

「分かった。必ず幸せにする」

 武瑠は微笑みながら消えて行った。


 場面は緑の草原に変わる。

 ハーブを摘む三佐子さんの姿が浮かび、エンドロールに「草原の乙女」のメロディが流れ始めた。


 ―風に吹かれて 揺れるメリッサの 花のような

  君の笑顔に 出会えた喜びを 神様に感謝して

  小さな魔法をかける 君の背中に

  この気持ちが終わらないように

  夢で見ていた 君との口づけに ときめきを解き放つ

  地平に消える長い道 緑の草原に

  透明な風 青い空 真っ白なメリッサの花

  君が好き 君が好き

  溢れる思いをもう止めない―


 三佐子さん…。

 武瑠…。

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