【番外編】夢のあと(アンドリュー)
コミカライズ連載記念SSです。
一番下からコミカライズ読めますので、ぜひお読みください!
「わたくし……王妃様みたいになりたいです!」
菫色の瞳をキラキラと輝かせて、かつて婚約者はそう言った。
その彼女を見て浮かんだ感情が、苦しみではなく親しみや友情や安らぎで――アンドリューは、夢だと悟った。
(……ああ。これは、昔の夢だ)
それを裏付けるように、目の前の元婚約者――シャロンは幼い。四、五歳くらいだろうか。
いずれ国王とその王妃になるアンドリューとシャロンは、その当時から王宮で肩を並べて教師から授業を受けていた。
夢の中の、この時もそうだ。
これは、レニーニャ夫人の帝王学の授業が終わった休憩中だった筈だ。王宮の庭園に出ていたアンドリューとシャロンはベンチに座り、将来自分たちは王様、お妃様になるんだと話していた。
「君はどんなお妃様になりたい?」
そう尋ねると、彼女は悩む間もなく瞳を輝かせて――母のようになりたいと、言ったのだ。
「いつも堂々としてらして、民のことも一番に考えて」
「シャロンならなれるよ」
心からそう思った。
当時から努力家だった彼女は、王妃教育の他にもフォンドヴォール公爵家の娘として心理学や外交や、その他様々な教育を受けていた。
そんな忙しい中でも弱音を吐かず、植物が水を吸うように物事を吸収していく聡明さ、そこにいるだけでも惹きつけられるような存在感は、上に立つ者に相応しい。
……対して、自分は。
「僕は父上のような国王になれるかな……」
不安になって思わず弱音を吐露する。
この婚約者は本音を出せる友人であり、一緒に頑張る戦友であり、ライバルでもある特別な女の子だった。
「なれますわ!」
アンドリューに、シャロンはキラキラと輝く菫色の瞳をアンドリューに向けた。
アンドリューが良い国王になると、信じて疑わない顔で。
「ふたりで頑張ったらきっと大丈夫ですわ」
その言葉に救われながら、それでもその強さに『敵わない』と思った自分は、あの時どんな顔で彼女を見ていたのだろう。
◇
廃嫡され王太子……いや、王族ですらなくなったアンドリューが貧しい領地と伯爵の爵位をもらってから、半年が経った。
「アンドリュー様。今日も視察に行かれますか」
「ああ。支度してすぐに行く」
幼い頃からアンドリューに仕えているヨハンが物静かな口調で頷いた。
今やアンドリューの側にいる人間は、このヨハンだけだ。
今まで仲良くしていた者たちは、アンドリューがシャロンに婚約破棄を告げた時点から少しずつ距離を取り始めた。廃嫡された今となっては、誰一人として連絡を取り合うことはない。
支度を整え馬車に乗る。ヨハンが「お気をつけて行ってらっしゃいませ」と変わらぬ態度で頭を下げたが、目の奥には微かに心配の色が浮かんでいる。
苦労も心配もかけている、と罪悪感を抱いた。
この地では――、いや、この地でも、アンドリューは招かれざる客だった。
統治していくために裕福な商家や、町長などと行う会談で。視察に訪れた先で声をかけた農民や市民の反応で、自分がどう思われているのかはよくわかる。
それはふとした時の視線に混ざる、怖れや侮蔑の瞳。ヒソヒソと交わされる会話からも察することができた。
公衆の面前で婚約破棄を告げた婚約者を、娼館へと落とそうとした非道な元王太子。
恐れられ、疎ましがられている。自分は名ばかりの領主として屋敷に引きこもっていた方が皆のためだろうと、当初はそう思っていた。
(しかし……これは父上が、最後に与えてくれた仕事だ)
凡庸だったとはいえ、幼い頃から受けた教育は頭に残っている。
貧しい土地は豊かに、豊かな土地はより豊かにしていくことは上に立つ者の務めだ。
今までも、そしてこれからも父に認められることはない自分だが、これ以上失望させるわけにはいかない。
『殿下。上に立つ者は、何事にも支配されてはなりませんわ』
まだ仲の良かった頃のシャロンの言葉が浮かんでくる。
『それは、例え自分の感情であってもです。動揺も不安も外に出してはなりませんわ。背筋を伸ばして、深く息を吸って、微笑んでみてください』
あれはいつのことだったか。幼い頃、自身の能力に焦りと不安を覚え始めたアンドリューに、シャロンは優しく言ったのだ。
『わたくしは不安なとき、いつもそうしておりますわ』
『……シャロンにも、不安なことが?』
『もちろんですわ。落ち込むことも、悲しいこともたくさんあります』
『……そうか』
一瞬ほっとしたものの、すぐにこの聡明な彼女の嘘なのだろうと思った。
彼女ほど全てに恵まれた者が、光り輝く道だけを歩いてきたような人間が、不安や悲しみを感じることなどあるわけがない。
それこそが間違いだった。彼女はまだ、幼い少女だったというのに。
「……シャロン。申し訳なかった」
小さな声で呟く。
自身の行いを魅了の石のせいだと、言い訳することはできなかった。例え劣等感を抱えていても彼女を敬愛していれば、妬まなければあんなことをしでかすことは無かっただろう。
一体自分はどれほど彼女を傷つけたのだろう。
謝罪を拒否されたことで、ようやく彼女を傷つけたことを心から知ったのだ。
今彼女は、とても幸せなのだと聞く。
願わくばずっと、彼女が幸せでいられるように。
祈ることもおこがましいかもしれないが、それでも今日もいるかもしれない神に懺悔をした。
「アンドリュー様、到着しました」
馬車が止まり、御者の声がする。
おそらく今日も、視察先でアンドリューは冷ややかな視線を受けるだろう。
しかし自分は領主であり、上に立つものとしてやらなければならないことはたくさんあった。
背筋を伸ばして深く息を吸い、アンドリューは馬車の扉を開けた。
以前焦がれるように憧れた、少女のように微笑んで。