【番外編:マリーとグレイ】君までの距離
恋焦がれるトラヴィスと見せかけてからの、グレイとマリーがお酒を飲んでるだけの番外編。
お酒の席なので、ややIQ低めの会話文が多いです!
「引っ越そうかな」
闇落ちしかけた瞳で窓の外を見るトラヴィスに、グレイはたっぷり十秒沈黙した。
何か言わなければと口を開いたが、何も言えずにまた閉じた。
「………………」
「王都に引っ越せばいつでも彼女に会える」
ちなみに主君は二週間前、婚儀の衣装の打ち合わせとやらで王都に行ったばかりである。
グレイの逡巡に気づかず深くため息を吐く彼の机を見ると、書類は全て綺麗に処理されていた。
(仕事に関しては完璧なのに……)
そう思い、気付かれないよう嘆息した。思いが通じた婚約者と遠距離恋愛は辛いだろうが、両思いなんだからどんと構えておけどんと。と言いたい気持ちもある。
しかし、主君の気持ちを安らかに整えるのも部下の役目だろうと、グレイはぎこちなく笑みを浮かべた。
「婚儀はもう、ニヶ月後ではないですか。今はお互い準備で忙しいでしょうがあと二ヶ月後には一緒に暮らすのですよ。来月は一度婚儀の打ち合わせに来られるそうですし……」
「待ちきれない。そしてここで一緒に住んだら……父上の視線がうるさい」
「ああ……それは、まあ……はい」
否定はできない。
もしも自分に恋人ができたとして、親にあんな目で見られたら居た堪れない。
シャロンが婚約者に収まってからと言うもの、トラヴィスだけでなくセドリックもどこかそわそわウキウキしていることはグレイにもわかる。
先日もシャロンがデュバル邸に訪れた時、地獄の鍛錬を眉ひとつ動かすことなく騎士に強いる鬼公爵がいそいそとシャロンを出迎え、若い二人を慈愛に満ちた瞳で見つめていたことを思い出す。その日一日デュバル公爵家の騎士たちは、明日空からどんなものが降ってくるのだろうと戦々恐々と震えていたのだ。
「……引っ越し、いいかもしれませんね」
「そうだな。よし、王都に行こう」
「お気を確かに。あなたの領地はここです。シャロン様もこの領地に住むのです」
恨みがましい目でこちらを見るが、グレイは至極真っ当なことを言っている。建設しているうちにここに嫁いできてしまうではないか。そう呆れていると、トラヴィスは不快そうに口を開いた。
「お前はいいな。毎週浮き足立てて」
「べ、別に浮き足立ってなど!」
「シャロンがここにくるまで、毎週残業しろ」
「言っておきますけどそんなことをしたら、シャロン様に筒抜けますよ」
グレイがそう言うと、トラヴィスはうっと言葉に詰まった。効いている。
◇
「……っていう事があって」
「あっはっは! なんて上司だ!」
浮足立ってると言われたことは伏せて、包み隠さず話した内容にマリーが口を開けて無邪気に笑う。
彼女が手に持ったビールのジョッキをぐいっと飲むと、やたらに白い喉が動いているのが見えた。
「変わらないねえ……シェリーのことになると目の色変わるの。あれでシェリーに婚約者がいて諦めたっていうの信じらんないな」
「それも愛情だったんだろうな。そしてその、反動がきたと」
「愛が深い……その分反動も大きいね」
もぐもぐと、砂肝の塩焼きを口に運ぶ。筋肉に魅入られているらしい彼女は、食事の時は大体鶏肉を中心に食べる。とは言っても、ビールも飲むし炭水化物も摂るのだけれど。
「それにしても、ト……ヴィンスさんだけじゃなくて、パパ上までメロメロにするなんてシェリーってすごくない?」
なぜか自慢げにグレイを見る。
しかしグレイは、パパ上と呼ばれているセドリックが浮かんで吹き出した。
「パ、パパ上様はメロメロというか、親バカを楽しんでいる感じがあるからちょっと違うけど」
「ふうん。私が男だったら、シェリーにメロメロになるのになあ。いやでもヴィンスさんに殺されるか……あ! 男になるならグレイさんになりたいな。かっこいいし」
かっこいい。一瞬胸がドキリとした。平静を装い「へえ」と味のしないビールを流し込む。
「俺になって何するの?」
「とりあえず美女を侍らせる。両腕に巻きつけたりなんかして、悪い男を楽しみたい」
「そんなアクセサリー感覚で巻くもんじゃないよ」
「へへ、だって色男が勿体無いじゃん。毎週貧乏職人の私に合わせてこんなに安い酒場で呑んで。遊び放題だろうに」
確かに、毎週訪れるこの酒場は、公爵家に所属する騎士が訪れるには、些か庶民的な店だ。けれども、マリーはけして奢られたくないというのだから仕方ない。女性に奢るのは騎士の嗜みだ、としつこく奢ろうとしたのだが、「飲み友達は対等でしょ!」と強く拒否されてしまった。それ以上言えば下心があると思われそうで、しぶしぶ割り勘にしているのだ。
「女遊びはしません」
「え? なんで?」
顔を顰めて言ったグレイの言葉を聞いて、不思議そうな顔をするマリーに少し傷つく。男が全員女遊びが好きな生き物だと思って欲しくなかった。
「巻きついてくれる女の人は好きな人だけでいい。……次もビールでいいか?」
マリーがちょっと驚いたように頷く。店主に飲み物を二つ頼み、自分も手元のビールを飲み干した。
すぐにやってきたビールで何となく乾杯をして、二人でグビグビと勢いよく飲む。頬が少し熱い。酒が回ってきた。
少し考えたように、マリーが言った。
「じゃあどんな人が好きなの?」
「真面目で快活ながらやや陰のある女性です」
「なんで敬語。そして何その趣味!」
ツボに入ったのか笑い転げる。そのマリーに恥ずかしくなって、もごもごと言い訳のように呟いた。
「俺は仕事が優先だし、恋愛とか趣味とか今はあんまり考えてない。マリーと一緒に飲んでるのが一番楽しいし」
「あ、私も一緒! 見習い中だし、少なくとも三年は他のことに手をつけないようにしてるんだ。今はこうしてグレイさんと飲むのが一番気楽で楽しい!」
知ってる、とは言わずに頷いた。
短い時間を共有した、気心知れてる飲み友達。週に一度の週末に、二、三時間飲むだけの。
「よし。今日はとことん飲もう」
「言ったな! 飲み比べは受けて立つ!」
そう言って笑う彼女に頷きながら、手を伸ばせば触れる距離に好きな人がいる自分は幸せだなと少し思った。
生きている限り俺たちは、大事な誰かといつも少し距離を持つ。思いが通じて一緒に住んでも、もしかしたら姿を変えて距離は存在し続けるのかもしれない。それでもやっぱり、好きと言える主君を少し羨んだ。
他作品とはなりますが、「婚約破棄の十分前に、前世を思い出しました」がコミカライズして頂けることになりました(シャロンの兄の話です)
もし良ければ、こちらもお読み頂けると嬉しいです!