【番外編・セドリック】麗かなる春の日、色変えぬ松
本編の話。セドリックが親バカなので苦手な方は注意でお願いします!
デュバル公爵家には女主人がいない。
トラヴィスの母親であるシルヴィアは、トラヴィスを産み落としてすぐに亡くなった。
妻の柔らかなアルトの声も、いつもすこし冷えていた細く白い手の温度もセドリックは今でも強く覚えている。神に愛されても仕方がないような清らかな、けれど凛々しい女性だったことも。
あの時、母に一度抱かれただけの赤ん坊の行く末をセドリックは泣きながら憂いた。
素晴らしい女性だった、お前の母はもういない。そんなお前がどうやって、愛を知っていくのだと。
◇
そんなセドリックは現在、息子とその婚約者の談笑する姿を満足げに眺めている。
武人たる者口に出しては言わないが、トラヴィスとシャロンが婚約できたのは自分のおかげに違いない。誰が何と言おうとそう思う。自分が一番先に、我が家の嫁へとスカウトしたのだ。
「まあ、個人の能力による人材登用。出自と身分制度が絶対である我が王国では、確かに陛下や貴族からの反発が大きいでしょうね……しかし、これなら間違いなく能力に恵まれた人材が確保できます」
「そうは言っても、能力は養育環境が大きく影響してくる。やはり文官の子は文官となる教育を幼い頃から受けているからね。それに子どもも働かねば暮らしていけない家庭はまだ多い」
「仰る通りです。裕福ではない家庭の子には補助金を出すのも良いかもしれません。どちらにせよ、能力による登用制度は競争心を齎すでしょうから、我が王国にとって有益となることは間違いありませんわね」
「そうだな……、父上、どうなさいましたか」
「家族団欒だ」
会話に加わるわけでもなく、ただただ生温い目で鷹揚に微笑むセドリックをトラヴィスはあからさまに、嫌だなあという目を向ける。
こいつ、こんな顔できるのだな。
疎まれていることは意に介さず、セドリックは機嫌よくそう思った。
◇
シャロンに会うまでのトラヴィスは、後継として立派に仕事をこなす忙しい毎日を送っていた。
しかし何事にも常に一歩引いて物事を見て、感情を動かすことはない。母に似て利発な子だが、どうやら内面は父に似てしまったようだった。
亡き妻の忘れ形見が、こんなに人生に対して斜に構えた男に育ってしまった。
セドリックは妻の墓前に何度も相談に行った。答えは返ってこないが、セドリックは知っていた。
愛する女性と共に生きることができたなら、きっと息子は幸せになれるだろうと。
息子がフォンドヴォール公爵令嬢を連れて来た時は驚いたと同時に、歓喜した。見るからに恋をしている。
これは何が何でも結婚だ。見たところ、令嬢も嫌ではなさそうだ。
王太子が即位するならこの令嬢と結婚せねばならぬだろうが、才のない者が王位についても意味はない。ここは何としても我が家に嫁に来てもらう。
圧倒的な武力を以て、陛下やフォンドヴォール公爵家に真摯にお願いすることも厭わないつもりだったが、幸いにも極めて穏便に婚約は解消された。何よりである。
そしてトラヴィスがシャロンに婚姻を申し込み婚約者となった晩、セドリックは亡き妻に微笑みを以って報告した。
「君に直接報告する日が楽しみだ」
そう呟くと、妻が近くで笑ってくれているような気がした。
彼女が息子の婚約者になったことはこの上ない僥倖であろう。
息子の愛する女性ならどんな女性でも歓迎だったが、真面目で聡明で度胸もあり、武人の妻に相応しい行動力も威厳もある。文句なしの嫁である。
世界で二番目に良い女だ。息子の審美眼を、セドリックは嬉しく思った。
◇
思わず目を細める。
初々しく仲睦まじい二人の姿に、過去の自分たちを連想する。
「父上。シャロンが世界一可愛いのはわかりますが、ずっと見つめられてはシャロンが怯えてしまいます。ご自身の眼力を少しは認識されるべきだ」
「ヴィンス。わたくしは怖くなどありませんよ。それに閣下はあなたの顔を見ていらしたのではないかと思うの」
「はっはっは。二人とも不正解だ」
機嫌の良いセドリックに、シャロンがふふっと笑いトラヴィスは困ったように笑う。その困ったように笑う姿に、誰より愛しい亡き妻の面影を見た。胸が詰まる。
全く、良い春の日だ。