【番外編】甘い傷薬
総合日刊一位頂きました。ありがとうございます……!
御礼の小話として、今回はその後のシャロンとトラヴィスです。
「ぎゃーはっはっは!!! いけー!!!」
「きゃー私も私も!!」
「やめろ! 髪を引っ張るな!」
子どもたちのはしゃぐ声が響き渡る。
主に犠牲となっているのはグレイだ。よじ登られ、髪の毛を掴まれ、勇者に使役される怪獣役をやらされている。
その様子をシャロンとトラヴィスが、微笑んで見ていた。
慰問のためにサンタルに訪れたシャロンのために護衛として付き添ったグレイは、子どもたちから絶大な人気を誇っている。
ここはカミラの経営する娼館フルールフローラから、やや離れた場所に位置する孤児院フローラだ。
押しも押されもせぬ人気店となったフルールフローラだが、現在はやや規模を縮小しのんびりとやっている。ナディアを始めとする十名前後の女性が誇りを持って働いていた。
カミラは孤児院の他に職業斡旋所も立ち上げた。転職したい人たち、職にあぶれた人たちをサポートするのだという。
デュバル公爵家も補助金を出し、半ば公的な機関として運営していた。デュバル公爵家の後ろ盾があると、求人の集まり方も信用度も違う。悲しいことだが、カミラはありがたい! 利用させてもらうよ! とにかっとシャロンの好きな笑顔で笑っていた。
「あっ! シェリーじゃーん!」
マリーが右手をぶんぶんと振ってやってきた。髪を短く切った彼女の左手には、マリー手作りのお菓子が入った袋が入っている。
マリーは今、花街から離れた場所でパティシエの見習いをやっている。修行はなかなか厳しいようだが、人懐っこい性格と弱音を吐きながらもやり遂げる真面目な性格が功をなして、うまくやっているようだった。
休みの日は、こうしてお菓子を持ってフローラに遊びに来る。ノリの良いマリーは子どもたちから大人気だった。
「あっマリー姉ちゃんだ!!」
マリーに気づいた子どもたちが一目散に駆けてくる。ようやく解放されたグレイはヘトヘトだ。副団長ともあろう騎士が形無しだ、とトラヴィスがからかうと、グレイは恨みがましい目で主君を見た。
「トラヴィス様……剣を振り回すのと、落とせば死んでしまう子どもを振り回すのとでは、神経の使い方が違うのです」
シャロンと婚約してから異常に機嫌の良い主君に、グレイは疲れ切った顔を向ける。
「本当に長年の初恋が報われて良かったですよ……俺は何度嫉妬にまみれた八つ当たりをされたことか……」
「あっはっは! グレイさんを見るヴィンスさ……いや、トラヴィス様か、やばかったよね。場が凍って」
「そんなこと、ありましたか?」
シャロンはきょとん、と三人を見た。あの頃、シャロンはあまりトラヴィスを見ないようにしていたのだ。
トラヴィス本人からグレイのことが好きだと思った、嫉妬した、と言われたこともあったが、実際に嫉妬している姿に気づいたことはなかった。
(たまに不穏な空気が流れているなとは思っていましたけど……何か職務上問題があったのかと……)
微笑みを浮かべたまま、シャロンの形の良い眉がほんの微かに寄る。菫色の瞳が非難の色を宿し、トラヴィスを見据えた。
「ヴィンス?」
その一言に、トラヴィスが苦い顔で頷いた。
自分で護衛をお願いしたのに理不尽な態度を取るなど言語道断だと、シャロンが思っていることが伝わったのだろう。
(可愛くない女だと、思われてしまうかもしれないわ)
ふと、寒々しい気持ちが湧く。
きっと自分のこういうところが、元婚約者を追い詰めた原因の一つなのだろう。愛する人に嫉妬されて嬉しくないわけがないが、自分はいずれトラヴィスに嫁ぐ身である。婚約者の、高位貴族としてあるまじき行いには目を瞑るわけにはいかない。
「あ、シェリーがヴィンスって呼んでる!」
マリーがめざとく言うと、グレイが頷いた。
「そういえば、婚約されてからですね。愛称でお呼びになるようになったのは」
マリーとグレイが二人並んで、ニヤニヤと楽しそうに笑っている。
「以前、身分を明かすまでは愛称でお呼びしようとお決めになったのに、二人きりの時はトラヴィス様と呼ばれ、人といる時は名前をお呼びにならないと嘆いてらしたのですよ」
「グレイ」
地を這うような低い声で呼ばれたグレイは「本当のことでしょう」と肩をすくめた。晴れやかな顔だ。きっと今までの憂さ晴らしもあるのだろう。
シャロンが愛称で呼ばなかった理由は単純だ。ただ単に、恥ずかしかったのだ。
婚約者となったのだから、と半ば強引にヴィンスと呼ぶようにお願いされたシャロンだが、やはり今でもほんの少し、こそばゆい。
おそらく、こういう素直でないところも可愛げがないのだろう。アンドリューとの顛末は、シャロンを少し臆病にした。
きゃっきゃと子どもと遊びながらグレイやトラヴィスと快活に笑う素直なマリーを見て、不思議な感情が芽生える。
こんな風に笑う女性は愛らしい。
自分にも何かしらの魅力があるはずだとわかっていても、ほんの少し羨ましかった。
「シャロンさま! 絵本を読んでください!」
キラキラした瞳で何人かの子どもたちが寄ってくる。シャロンは優しく微笑んで、絵本を読むべく室内へと入った。
◇
帰りの馬車の中で、眠ってしまったシャロンの頭を肩に寄せたトラヴィスは、金の髪を優しく優しく梳いた。
優しいその感触に、シャロンは目を開けた。
数ヶ月後に迫った結婚式の準備と、デュバルの領地経営についての勉強に加え、社交嫌いのデュバル家の婚約者として社交に精を出しはじめたシャロンは多忙を極めていた。
精神的には充実していたが、常にトラヴィスが心配しているように体は疲れていたようだ。二人きりになった途端、気が抜けて眠ってしまった。
起きなければという思いと、もう少しこの肩に甘えたいという気持ちとが戦って、後者が勝った。
寝たふりを続ける。嗅ぎ慣れたトラヴィスの香りが、胸を満たす。
トラヴィスが顔を覗き込んでいる気配がした。すうすう、と寝息を立てるふりをする。
「……かわいいな」
トラヴィスがシャロンの額に口付けた。
これは、今更目を覚ませない。必死で目を瞑る。
「頑張りすぎるところは心配だが、いつも正しくあろうと頑張る君が大好きだ。本当に」
声が甘い。
気恥ずかしさと嬉しさに頬が緩みそうになる。
「かわいい。内心恥じらっている姿がとても可愛い。僕の前では休む姿もかわいいな。特に、狸寝入りが」
バレている。シャロンは目を開けて、楽しそうに笑っているトラヴィスを軽く睨んだ。
「意地悪なさるなんて、酷いですわ」
むくれるシャロンを見たトラヴィスはごめんごめん、と笑った。離れようとするシャロンを抱きしめて口を開く。
「かわいくて、ついからかってしまった。でも、全部本当だ」
言い返そうとするシャロンの頬に片手を当て、もう一つの手で顎を持ち上げるとキスをした。噛みつくような、甘い痺れのあるキスだ。
「僕が君をどれだけ愛しく思っているか、うまく伝わってない気がするんだ」
羞恥で何も言えなくなったシャロンに、トラヴィスが優しい、しかしきっぱりとした声で言う。
「今日は絶対にわかってもらうよ」
シャロンを見つめるトラヴィスは、圧のある笑みを浮かべた。
たじろぎながらも、シャロンの体に甘い驚きが広がっていく。
(やっぱり、この方は、)
シャロンの唇が緩んでいく。そんなシャロンの頬を撫で、トラヴィスは、そっと触れるだけのキスをした。