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【マリー番外編】振り子

シャロンが娼館にやってきて少し経った頃のお話です。

 


 ゆううつ。



 私は、生まれてからずっと憂鬱だった。

 幸せだった頃は気づかなかったけど。いつでも何か、昏い陰のようなものが生活に立ちこめていた。

 それは、私を産んでから病弱になったというお母さんの体調だったり、お父さんの仕事がうまくいかなくなってきた、そんなことから始まったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 それでも家族三人で暮らしてた頃、憂鬱はほんの微かな霧でしかなかったのだ。たまに、すこうし濃くなるだけの。私は幼くて、世界はこんなものだと思っていたし。


 お母さんが血を吐いて亡くなったとき。

 その憂鬱は急激に質量を増し、濃霧となった。

 全く、何にも見えやしない。

 見たいものなんて、何もなかったけど。



 フルールフローラに売られたとき。

 その頃にはもう憂鬱は、私のデコボコに欠けた心にぴったりと寄り添う、無くてはならない友のような存在だった。

 君がいれば私はもう、人生に希望を持たなくてすむのだから。



 ◇



 希望を持つのは、怖い。

 ここのサンタルの下町は、治安がいいほうだというけれど、私みたいな境遇の子はいっぱいいた。

 特に花街は、そんな奴で溢れてる。取り立てて自分のことを話す奴は多くはないけど、大体みんな自分を傷つけるような生き方をして早死にする。

 みんな、努力するほど人生に価値を見出してないんだと思う。



 不幸は甘い麻薬だ。

 神は不公平だと嘆いていれば、努力をせずにすむのだから。



 最初にシェリーが来たとき、きらきら光る金髪にささくれ一つない指先を見て、不思議な気持ちになった。

 宝物のように育てられたことが一目でわかるこの女と私は、一体何が違うのだろう、と。



 ◇


「はい、頑張りましょう、きつくても、辛くない、あとすこし、もう一回!」

「くそがっ………」

「はい、あと三回。あと三回しかできません。やりきりましょうね、はい、三、ニ、一」

「足がっ……死んだっ……」


 シェリーの地獄の特訓がようやく終わった。このお嬢様は綺麗な顔をしてむちゃくちゃな美の磨き方を押しつけてくる。とんだサディスト脳筋野郎だ。


 しかし文句を言おうにも強制されてるわけじゃない。本人は涼しい顔でこなしてるし途中でやめるのも癪に障る。あらん限りの弱音を吐きつつ、最後までやる。確かに体は引き締まったし、体調は良くなった。効果が出ると嬉しい。筋肉は裏切らないのだ。


「……なーに?」


 地べたに這いつくばったまま、水を飲む私をシェリーがじいっと見つめる。行儀が悪いと言いたいのか。先ほど痛めつけた太ももとふくらはぎがぷるぷるしているのだ。立ち上がる元気はない。


「マリーさんって、わたくしが嫌いでしたでしょう」

「ぶふぉっ」


 吹き出した私に、まあ大変、と言いながら甲斐甲斐しくタオルで口や服を拭いてくれる。品の良いおかんか。


「でも、そんな気持ちを隠してマリーさんはわたくしに良くしてくださいました。そしていつも、何事にも呪詛を吐きながら付き合ってくださるものですから、色々とつい甘えてしまって」

「待って。やっぱり痛いマッサージとか辛い体操、私で試してるでしょ」

「ふふ。効果はピカイチですのよ」


 いや笑い事じゃねーわ。めっちゃ痛いんだぞあのマッサージ。

 むくれていると、シェリーがふっと真顔になる。


「マリーさんのこと、わたくしは尊敬しています。あなたはいつも努力して、人を気遣って、自分の感情をコントロールしてる方ですもの。普通は、嫌いな人にあんなに優しくすることなんてできませんわ」

「……まあ、ねえ。感情で振る舞ってよいことないからねえ。でもシェリーにはバレたかあ」

「空気を読むことは得意ですの。今はそれを、あえて活かさないだけで」


 ふわっと笑うシェリーは美しくて、私は一瞬見惚れた。表情の読めない笑顔。

 基本、何考えてるかわかんないんだよな。どんな人生を送ってきたのか、なぜここにいるのか、何を考えているのか。



 ぷるぷるする足が落ち着いてきて、私は起き上がる。そろそろ休憩しとかないと、夜はまた仕事だ。


「それでは疲れのとれるマッサージを致しましょう。痛くないものを」

「あの気持ちいいやつね、やったあ!」

「はちみつレモンのジュースも作りましたのよ、飲んでくださいね」


 小躍りする。シェリーを嫌いになれないのは、たまに作ってくれるはちみつレモンのおかげでもある。シェリーがきてから初めて食べたはちみつは、甘くて美味しい。でも高い。金色に光る、あの甘い甘いとろりとした蜜。幸せの象徴のようだ。


「そういう希望というか、お楽しみがないと頑張れませんよね。もっと嬉しいもの、たくさんご用意致しますわね」



 シェリーの言葉に、ほんの少し、強張った。シェリーの菫色の瞳が私をじっと見る。

 きっとこの聡い少女には、希望を持つのが怖い気持ちはわからないんだろうな。生きてきた世界が、違うから。


 そんな風にやさぐれながらも、シェリーは幸せなだけで生きてきた砂糖菓子のような子じゃないのはもう知っていた。



 本当に仲良くなるまで、あと少し。









その後のマリーや不憫なグレイの短編も来月までにはあげる予定です。おひまなとき覗いてくださると嬉しいです!

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