フォンドヴォール公爵家
シャロンの言葉にトラヴィスが破顔し、シャロンの指を手に取り口づけをした。
ぽっと顔が赤くなる。
今日は一体、何という日だろう。
シャロンの顔を見て、はーーと深くため息を吐いた。
「君を抱きしめたい……」
「!」
シャロンが慌てて首を振る。
婚約もしていないのに、それは許されない。ましてやシャロンはまだアンドリューとの婚約破棄も、宣言されただけで手続きはすんでいない。そしてそれも撤回されるだろうと予想している。
思い出して暗い気持ちになっていると、トラヴィスが自身の手の中の小さな指をきゅっと握る。
「十年も捨てられなかった恋心なんだ。このことは僕に任せてほしい」
柔らかく微笑むトラヴィスの顔は自信に満ちている。
「全てが解決した暁には、君に改めて伝えたいことがある。その時は、僕はもう我慢しない」
「……はい」
甘く幸せな気持ちのまま、指を包むトラヴィスの手をもう一つの手でぎゅっと握った。
世界で一番幸せで、何でもできるような気がした。
「それではトラヴィス様。一連の事件の流れと今後についてのお話をさせて頂きたいのです。またマーリック様……聖魔導士様ともトラヴィス様立ち会いの元、事情聴取を行わせてくださいませ」
自分の恋心が通じた今、やるべきことはさっさとやらねば。
シャロンは仕事モードへ気持ちを切り替える。この喜びに溢れた無敵感を、活かさねば勿体ない。今なら通常の三倍仕事が捗るだろう。
「……」
トラヴィスが今までで一番長いため息をついた。
それでも顔を上げた時、その顔は笑っていた。
◇◇◇
「お前はっ……本当に……バカ娘!」
実の父であるフォンドヴォール公爵――デリク・レイ・フォンドヴォールが、頭から湯気が出そうなほど怒っている。母であるオフィーリアが横で控えめにその様子を眺め、兄のエリックも額に青筋を立て、弟のアーサーは肩をすくめていた。
「お父様、申し訳ありませんでした」
何度目かわからない謝罪を述べるシャロンからは反省の色がない。
トラヴィスとセドリックがシャロンの父を宥めているが、社交嫌いのデュバルは社交が得意ではない。つまりあまり効果がない。
普段は冷静なデリクだが、愛娘が婚約破棄され、行方をくらまし、ヤキモキしているところにデュバル公爵と共に帰ってきたと思ったら、拉致された後娼館に売り飛ばされそうになり、そこで犯人を探していたという話に感情が抑えられなかったようだ。
ひとしきり怒った後、一気にやつれたデリクがセドリックとトラヴィスに礼を言う。
「娘は、自制心は強い筈なのですが……本来苛烈な性格でして、一度タガが外れるととんでもないことをしでかすのです。娘の我儘に付き合って頂いた挙句、護衛までつけてくださり、トラヴィス卿には何度も助けて頂いたと。心より感謝致します」
「いやいや、聡明で自分の為すべきことを理解していらっしゃる、非常に素晴らしいご令嬢です。苛烈、大いに結構。剛毅さもデュバル家にとっては何より尊い才能だ。いやはや羨ましい」
セドリックは良い笑顔だ。何としてでもシャロンを嫁に、と思ってくれているらしい。
デリクも社交嫌いのデュバル家と親しくなれたこと自体は喜ばしいと思っているようだ。セドリックの心を掴みにいっている。
男二人が盛り上がり始めると、美しい声が響いた。
「それで、シャロンはどうしたいの?」
鈴の鳴るような声に含まれた怒気に、場が静まる。たおやかに微笑むオフィーリアだ。
「わたくしはね、本当に怒っているの。あのお尻の青い坊やにも、その聖魔導士とかいう甘えん坊さんにも、洗脳してまで王妃になりたい資質のない女の子にもね」
場が凍りつく。シャロンが年齢を重ねたらこうなるだろう、と思わせる美貌のオフィーリアは、優雅に微笑んではいるがその瞳は紫色の怒りに染まっていた。
普段は優しくたおやかな女性だが、社交界に君臨する彼女の本性は苛烈極まる。
この国の王太子をお尻の青い坊やと呼んで許されるのは、オフィーリアだけであろう。
この国の貴族であれば、この女性だけは敵に回してはならぬと全員が知っていた。
「もちろん、頂きました悪意は全て、きっちりお返し致します」
シャロンもにっこりと微笑み答える。
その様子は傍目から見ると、仲の良い母娘が優雅にお喋りを楽しんでいるようにしか見えなかったが、オフィーリアとシャロン以外の全員が冷えた汗をかいていた。
怒れる獅子の如き迫力に、デリクが引き攣った顔で尋ねる。
「それで、具体的にはどうするんだ?」
シャロンは母譲りのたおやかな笑みで、父を見つめた。
次か次の次からようやくざまあ回です。