純粋な狂気
男の紋様から浮き出た黒い煙は男の腕や首に巻きつくように細く長く伸びていった。
「初めて見せるよね。これは僕の友達、闇の精霊。闇といっても怖くないよ。純粋でまっすぐな人間が好きなんだ。でも照れ屋だから本当の姿は見せたくないみたい」
精霊は加護を授けない人間に姿を見せることはほとんどない。シャロンも例外ではなく、姿形が定まらない煙のような姿でも精霊を見るのは初めてだった。
シャロンが隙を与えないよう表情を変えずに男と精霊を見ていると、途切れ途切れに(純粋ってさ……)(やっぱり……)(童……)との囁きが聞こえてきた。
マリーとナディアが小声で話しているようだ。この状況なのにと、肝の据わり方に感心してしまう。シャロンのほうがヒヤヒヤした。
幸いにもそんな彼女たちの声は届いていないのか、男は精霊を身に纏ったまま、ゆっくりとシャロンに向かって歩き出す。
「近寄らないでくださいませんか。わたくし、暴力的な方は大嫌いですの」
口調に嫌悪を滲ませて冷ややかに言い放つと、ショックを受けたのか、男がうっと胸を押さえる。
先ほどから思っていたがこの男、なかなか打たれ弱そうだ。
王族の洗脳への関与、おそらくは公爵家令嬢の拉致の指示、公爵家の立ち入り禁止区域への不法侵入、異物混入、盗聴、傷害、監禁。重犯罪の数々に手を染めているというのに、シャロンの一言一言に傷ついている場合なのだろうか。
しかしこういう人間は、追い詰められた時が非常に怖い。
「ぼ、僕は彼女たちには指一本触れてない!カミラには世話になってる
し、シャロン様と婚姻の儀を結ぶ間邪魔されないよう彼らに縄で縛ってもらっただけだ!男のほうはちょっと精霊に頼んで眠らせただけで…」
急に話を振られて、傍に立っていた、かつてシャロンを拉致したカールとダニーが驚く。違う、とか脅されて、とか慌てふためく様が見苦しい。
シャロンが眉を顰めて口を開こうとした、その時。
「いやいや。触れてないからOKです!って通るわけなくない?」
「むしろ人に命令して手を汚さずに悪事を働くってかなりの外道よ」
「うっわまじ無理。大体婚姻の儀って結婚でしょ?邪魔されないようにってことは友人から祝福されないって自覚はあるんだ」
「そこに関しては現実が見えてて逆に安心するわよね」
堪りかねたのかマリーとナディアが口撃する。カミラが焦り、静かにおしっと小声で叱った。マリーたちはやべっと言うふうに口をつぐむ。
「…あの、聖魔導士様。婚姻の儀とやらについてお聞きしたいのですけれど。それは一体、どういう……」
マリーとナディアの言葉に完膚なきまでに叩きのめされた男は膝から崩れ落ち、ぶつぶつと何かを呟いている。
その様子にほんの少しの憐れみと不穏さを感じて声をかけると、男は顔を上げずに話し出した。
「…精霊が仲介となった婚姻はお互いの魂に楔を打つ。僕が君に触れ祈りの言葉を唱えれば、君は僕の魂の伴侶として精霊に認められる。具体的には相手から遠く離れたり、他の異性に触れられると心臓に鋭く強い痛みが走り、続くと徐々に生気を失っていく」
「うわえっぐ」
マリーが突っ込んだ。シャロンもあまりの内容にさすがに絶句する。あんなににこやかに近づいてきて、シャロンに断りもなくこのような婚姻を結ぼうとするなんて、根っからの犯罪者ではないか。
「……君が王太子を愛してないことは知っていた。愛してない男と結婚できたなら、相手は僕でもいいはずだ。それなら君を誰より愛している僕と結婚したっていいじゃないか!!」
男が激昂し、立ち上がる。
体に纏う黒い煙の量が目に見えて増えた。同時に男の周りに火花が散る。怒りによって力のコントロールができなくなっているのだろう。
「シェリー様、こちらへ!」
グレイが男から守るようにシェリーの前に立つ。
闇の精霊は夜の安息を司る精霊だ。人を安らがせ、人に財を齎すがどんな精霊でも暴走すると嵐を呼び火を起こす。それが高位の精霊ともなると威力は大きく、過去には一夜にして街一つを壊滅させた聖魔導士もいた。
「邪魔だ!」
男が一喝し、グレイ目掛けて矢のような炎が飛ぶ。炎を突風で飛ばしたのだろう、構えていたグレイが飛ばされ壁に強く叩きつけられた。
男がゆっくり笑って一歩一歩近づいてくる。
「シャロン様。――いや、シャロン。君は我が妻。さあ、誓いの言葉を唱えよう」
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