帰路へ
シャロンは別室に控えていたグレイとともに、邸宅を後にした。
トラヴィスが用意した馬車に乗り、フルールフローラに向かう。
「すっかり遅くなってしまいましたわ。カミラさんに何も言わずに出てきてしまったから心配しているかしら。言付けをもっと早くに出せば良かったのですが」
「早馬に乗った連絡が二人向かっています。もうついてるでしょう。荷物も纏めなければなりませんから、その二人もお使いください」
「ありがとうございます。急なお別れで寂しいですけれど、こうなってしまった以上自宅のほうが安心しますもの」
フルールフローラまでは馬車で急いで1時間ほどだ。シャロンは窓から流れる景色を見る。サンタルに来てからほぼ娼館から出なかったシャロンには見慣れない景色であるが、しかしもう見ることはないと思うと、寂しかった。
そんなシャロンに気づいたのだろうか、グレイが微笑んだ。
「シェリー様のお輿入れの際にはこちらでパレードを行いましょうか」
「まあ。グレイ様までわたくしを揶揄いますのね」
シャロンの抗議にグレイが笑う。基本的に寡黙な男だったが、今日は機嫌が良いようだ。
セドリックがシャロンを見送る際、未来の奥方に粗相のないように、とグレイに告げた。
おそらくセドリックはシャロンを気に入ってくれたのだろう。社交嫌いのデュバル家と交流ができたことは、フォンドヴォール家に良い土産になった。
おそらく王妃になるだろうシャロンにとっても、心強い縁である。
そう。セドリックが言ったとおり、シャロンの婚約破棄は撤回されるだろう。
いくら魅了の石に洗脳されたとはいえ、一連の流れでアンドリューの評価は間違いなく落ちるはずだ。
聖魔導士が黒幕にいるが、魅了の石を使っているのは間違いなく男爵令嬢だ。
身分の低い者に騙された王太子は侮られるだろうし、何の非もないフォンドヴォール公爵家を切り捨てようとした王太子を信用できなくなった貴族も多いはずだ。
失われた求心力を取り戻すためにはシャロンとの婚姻が必要だろう。現時点で王国の王子は一人だ。王位継承権第二位にアンドリューの妹であるエリザベス王女がいるが、女王を良く思わない高位貴族は多い。
アンドリューが洗脳されただけの被害者である以上、廃嫡はまずないだろう。
しかし、アンドリューが魅了の石の効果を失くし正気に戻ったとして、彼が自分と良い結婚生活を築こうと思えるかは疑問である。
シャロンとて、尊敬もできない、愛してもない男を一生支え重い責務に耐えることは辛い。
きっとお互い、これからの人生は今まで以上の覚悟が伴う。
そんなことを考えて、ふっと自嘲気味に笑う。
セドリックがシャロンを気に入ってくれたものだから、シャロンらしくなく淡い期待を抱いてしまったのかもしれない。だからこんなに気が重いのだ。
(こんなことを考えてる場合ではないわ。いよいよ大詰めなのですから)
気持ちを切り替え、グレイと取り止めのない会話をしていると、思ったより早くフルールフローラへ着いた。
グレイとシャロンが降り、馬車をこのまま待たせておく。貴族の馬車は目立つが仕方ない。
「ただいま帰りました――カミラさん?」
フルールフローラの中へ入ると、いつも入り口付近で書き物をしているカミラの姿はない。
いつも整頓されている書類は散らばり、青磁の花瓶が床に落ちて砕けている。赤い薔薇が不吉に床を飾っていた。
グレイが厳しい顔でシャロンの前を進み、シャロンも思わず胸元を握りしめグレイの後ろを歩く。
ロビーに出ると、マリーとカミラとナディアが縄でぐるぐると縛られていた。
横にはおそらく手紙を持ってきたのであろう従者が二人倒れている。
そしてその中で三人、立っている男がいた。
二人はシャロンも見たことのある、シャロンを拉致した男たち。
そうしてもう一人は、シャロンの知らない男であった。手袋を嵌めている。
燃えるような赤い髪に漆黒の瞳だ。歳は二十半ばだろうか。地味で目立たない顔をしている。
柔らかく微笑むその男を、シャロンはどこかで見たことがあったような気がした。