気づいた後は。
トラヴィスはカミラとマリーを部屋に戻るよう促し、男に今後フルールフローラに父親としての責務を果たす以外の用事で関わらないように念押しした上で捕縛を解いた。男は何も言わず、そのまま出て行った。
「…さて、シェリー。話があるのだが」
トラヴィスが凍りつくような笑みを浮かべた。
青い瞳に微かな非難の色が宿っている。怒っているのだろう。眉根が寄っている。
「君は本当に、何をしでかすかわからない。何度も言うが、君はか弱く美しい女性だ。今回私たちがいたからよかったものの、もし怪我でもしたらどうするんだ」
確かに、もしもトラヴィスたちが来てくれなかったらシャロンは殴られていただろう。自分だけではなくカミラやマリーにまで被害がいってたかもしれない。
自分や自分の周りに対してあのように貶められる事は我慢ならなかった。シャロンにとって感情を制御できないことなど初めてのことだ。
己の気持ちを優先して周りを傷つけては意味がない。わかっていたはずだった。
本当に、ここにきてから自分は勉強ばかりだと息を漏らす。
「申し訳ありませんでした。…でも、グレイ様がいつも近くにいてくださいますもの。きっと守ってくださると信じていました」
暗にトラヴィスのおかげだと仄めかしたつもりだったが、トラヴィスは微笑んだまま固まる。その背中に吹雪が吹き荒れているのが見えるようだった。
そうして獲物を狙う鷹のような目でグレイを見て、信頼関係が築けているようだな、と部下をねぎらった。
グレイがサッと青ざめ、フルフルと首を振っている。
不思議に思い小首を傾げると、何でもありませんよとトラヴィスが微笑んだ。
シャロンは頬に手を当てて、ほう、とため息をつく。
(さっき、助けてもらって…とても格好よかった)
顔を見てると胸が苦しくなりそうだ。全く、何度見ても見目麗しさに慣れることはない。
一層のこと他の女性みたいに素直にきゃあきゃあと表に出せれば良いのだろうけれど、シャロンがそんなことをしたらきっと目の前の男性の顔は引きつるに違いない。マリーが言うところのドン引きというやつだ。
絶対にそんな姿は見たくなかった。きっと三日三晩は落ち込むだろう。
ふむ、と考えにふけっていると頰に視線を感じた。
「…何かついてまして?」
「いえ。シェリーが大きくため息をつく姿を見るのも初めてのことだなと」
そう言って、トラヴィスがシェリーの唇に細く長い指先を当てる。
「悩みがあるのならば、聞かせてもらえないだろうか?」
茶目っけたっぷりに言う彼に、シャロンの頰がサッと赤く染まりかけ――シャロンは固まった。
(わたくしが、感情を抑えきれず行動し、大きくため息をつく…)
確かにフルールフローラに来て以来、シャロンは感情を表に出すことを以前より気にしなくなった。
初恋のトラヴィスと再会してからは、思わず動揺が顔に出てしまうこともあった。
しかし、シャロンは幼い頃から感情を表に出さないよう強く躾けられてきた王妃候補である。
その自分が大事な者を面前で傷つけられたからと言って、自分や大事な誰かに実害を被りかねないようなことをするような人間では絶対になかった。
もしもそのように感情のままに動く人間であったなら、あの婚約破棄の舞台上でアンドリューとミレルダをその場で完膚なきまでに口撃していただろう。
今までの自分の努力やアイデンティティそのもの、それを惨めにも貶められたあの瞬間、シャロンは初めて屈辱を知った。
しかしシャロンが我を忘れて詰らなかったのは、自分やフォンドヴォール家に万が一にでも不利益を被ってはいけないと思ったからだ。
「悩み…今、それがなくなりましたわ」
シャロンがにっこり笑う。トラヴィスが息を飲んだ。
「わたくし、王都に戻ります。けれどもその前に一つ、わたくしの些細な悪戯に付き合って頂けませんか?」
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