炎よ踊れ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
――風! 受けずにはいられない!
いや酷暑だよ酷暑。もう風しか浴びたくない。
エアコンはすげえありがたいけど、どうもここのところは、人工の風に抵抗を覚えるんだよ。鳥肌立って、喉かわくし、頭がぐらーんぐらーんしてくるし……クーラー病ってやつ、これ? 自然の風が、やっぱり一番身体に向いているのかなあって、感じる今日このごろだよ。
僕たちはしばしば、身体をなでる風に気持ちよさを見出している。一説には、身体にかいた汗が、いい具合に乾かされることによる清涼感にはまっているかららしい。
けれど、本当にそれだけなんだろうか? この吹いている風には、もっと別の作用があるんじゃないのか?
ちょっと前に、風に関して気になる話を聞いて、ふと思ったんだよねえ。こーちゃんも耳に入れておかないかい?
これはお父さんが小さいころの話になる。
お父さんは焼きいもが好物でね。冬に限らず、食べたいと思ったときには自らたき火の用意をするほどの、熱中ぶりだったとか。
お父さん自身は、いもを食べることもそうだが、火が燃えていく様を見るのが好きだったとも話していたよ。少ない薪に火をつけて、火が燃え盛る姿を見ていると、どこか心が落ち着く感じがしたのだとか。
その日は、純粋にたき火に興じていたというお父さん。
周りに家の少ない空き地で薪を積み重ね、火をおこすお父さん。穴を掘り、その中へ新聞紙を放り込んで作ったものだ。片付けるときは、そのまま土の中へ埋めてしまう腹積もりだったとか。
空気が乾燥しているせいか、今日は火のつき具合がいい。落とされたマッチ一本が、あっという間に敷かれた新聞紙を焦がし出す。黒々とした肌が広がるにつれ、そこからはオレンジ色のとろ火が漏れ出して、時間とともにどんどん大きくなっていく。
数分と経たないうちに、火だるまとなる燃料たち。ほどなく穴のふちからぞわぞわと、産毛のように顔をのぞかせ始めた。最初は穴の中を見下ろしていたお父さんも、増していく火力を前に、すでに穴から距離をとっている。
油を使ってもいないのに、これだけの盛り具合。いったいどこまで背を伸ばしていくのかと、積まれた土管の影に隠れて、そっと見守り続けていたとか。
その伸び具合は留まることを知らず、ついに穴からはみ出た部分だけで、お父さんの背に及ぶ高さとなったとき。
唐突に、強い風が吹き寄せた。
土管の影から、顔だけのぞかせているお父さんの前髪を、一気に逆立ててしまうほどに強いものだったとか。
風は火の勢いをあおるもの。それなりの背丈となった炎はがんがんと押されて、お父さんのいる方へのけぞっていく。だいぶ離れているはずなのに、顔全体へ使い捨てカイロを押し当てたような熱が覆いかぶさってきた。
たまらず、お父さんは顔を引っ込める。完璧に土管を背にしたはずだけど、よほど風が強いようで、一部が土管を回り込み、お父さんの足元をくすぐっていくんだ。それどころか、心なしか冷たかった土管も、じわじわと暖まってきているかのような……。
風の音が止む。お父さんはもう一度、そろりと土管の向こうをのぞいてみて、目を見張った。
立ち昇る炎は消えていない。しかも、先ほどまでのオレンジ色は鳴りをひそめて、真っ青な顔立ちを見せていたんだ。
学校のガスバーナーで目にしたことがある。空気を大量に含んだバーナーの火は、温度が上がるとともに、色が青色に変わるのだと。
――でも、外から風にあおられて消えることはあっても、青くなることなんてあるのか?
初めて見る現象に、お父さんはアクションをとることができず。
しばし背伸びをしていた炎も、やがて元のように穴の中へ引っ込んでいってしまう。そうっと近づいてみると、たくさん突っ込んでいた薪や新聞紙は、灰ひとつ残らず消えていて、焦げた土たちが転がっているばかりだったとか。
その日から、お父さんは火を扱う場面で、つい用心深く様子をうかがうようになってしまう。
火を見ること、そのものはいまでも好き。けれども一緒に、ぞわぞわと背中に鳥肌が立つようになっちゃったらしいんだ。それがたとえ、炎天下であろうとね。
外で焚かれるものから距離をとり、理科の実験、家庭科の授業などでは、風が入って来ないよう、窓を率先してチェックする。みんなには特におかしい行動とはとられなかっただろうけど、お父さんとしてはかなり必死だった。
あの調子で火に暴れられたら、とんでもない惨事になる。それを防げるのだったらってね。
そうして火を意識し続けてから、数ヶ月。秋に入ってしばらく経った頃のこと。
通学路の途中にある神社の横を通ったとき、煙たさがお父さんの鼻をくすぐった。見ると、境内で落ち葉を燃やしているようだった。遠目にも分かる黄色い葉っぱたちの山と、そこから立ち上る白い煙。その臭いがここまで届いてきたのだと。
ぞぞぞ、とお父さんの背中をまたしても悪寒が這い上がる。足がぴたりと止まったけど、引き返すことは少しためらった。
ここの道を通らないと、家まではかなりの遠回りになる。そのふとした考えが、わずかな躊躇を生んだんだ。
それを狙いすましたかのように、お父さんめがけて、あの日のように強い突風が吹きつけた。ちょうど落ち葉の山から、お父さんへ向かう方角から。
これまで大人しかった煙が、その身体を一気に集めてお父さんへ突っ込んでくる。そして落ち葉の山もおとなしくはしておらず、瞬く間に葉を包んだ炎が燃え上がるのを、お父さんは見たのだとか。
その炎さえも、お父さんの方へ傾いでくる。風を浴びた先から、その身を赤より青へと変えて。十数メートル離れたお父さんへ、遠慮ない熱を浴びせてくる。
――じっとしていたら、まずい。
ついに踵を返しかけたお父さん。その姿勢を咎めるかのように、風はいっそうその力を増す。その際に見た光景は、お父さんの記憶に焼き付いているみたいなんだ。
炎が飛んだ。風に吹かれ、これ以上はないというほど伸び切っていた炎の先。その一メートルばかりが、落ち葉の山より伸びる根っこから、引きちぎられたんだ。
鞭だと思っていた長い炎が、いきなりピッチャーの投げた球に変わるなんて、予想外にもほどがある。お父さんはかわす暇さえなく、その上半身全てを包み込むほどの炎の塊を受け止めてしまったんだ。
そして襲うのは身をよじり、もだえ叫ばざるを得ない、煉獄のような熱と苦しみ……じゃなかったらしい。
まともに食らったはずの身体の前面は、全然熱くない。代わりに、寒気が走りっぱなしの背中に、熱が集まっていく。
自分の肌の上で、踊るものがある。お父さんはそう感じたとか。
ムカデのように、あまりに無数というわけじゃない。ちょうど昆虫のように6本ほど。それも一本一本が万年筆の先のような細さで、それぞれが背中の上でタップダンスを踊っているかのようにむずがゆい。それはあたかも、この熱から逃れようと暴れているといわんばかりだったとか。
ほんの10秒ほどの時間だったと思う。
背中の熱も悪寒も、いっぺんに引いた。身体のあちらこちらをなでても、痛みもなければ焦げのひとつもない。
境内の落ち葉の山も、すでに炎はなくなっていて、元のような細い煙がたなびくばかりだったとか。
それ以来、また火を見ても悪寒が走ることはなくなったらしいけど、お父さんはひょっとしたらあのとき、背中に良からぬものがいたんじゃないかと思っているらしい。それを察した風さんが、炎の力を借りて助けてくれたのでは、ってね。