9. 胸騒ぎ【sideグラジオール】 1
「グラジオ〜。東スラムで違法薬物が広まってるみたい。ジュミール伯爵が裏で手引きしてるよ」
時間は僕らが城下街の視察から帰ってきて大分経つ。
僕が執務室で黙々と公務をこなしていた時のこと。出掛けていた側近のリーベローズ・レトニスが帰って来るなり開口一番にそう言った。
「帰って来るのが遅いと思えばそういうことか。てっきり僕は女でも食ってるかと思ったよ。」
最近僕らを嗅ぎまわってくるメイド、とかね。
言外にそう告げればベローズは「酷いなぁ」と呟きながらも全くそうは思ってなさそうな顔で笑っている。
「それにしても……ジュミール伯爵ねえ?ベローズ、詳しく調べといて」
「もう調べておいた」
さすが僕の側近。手が早い。こいつは別の意味でも手が早いけどね。
そんなことを考えていたからか無意識にベローズを冷めた目で見てしまっていたようだ。
ベローズは少し前とは打って変わってゆるりとした笑みを浮かべる。雰囲気もガラリと変わり、色気が溢れ出ている。そして、口を開くと。
「なーに?もしかして俺に惚れちゃった?きゃっ!俺って罪な男〜」
巫山戯たことを抜かしやがった。
「五月蝿いよ。気持ちが悪い。女と遊びすぎて頭桃色になった?女好きの変態なんてこっちから願い下げだよ」
「えぇー、ひどい!俺こんなに美男で優秀なのにー。少しは褒めて欲しいわっ」
なにをとち狂ったのか。ベローズは女口調でそう言って女々しい泣き真似を披露している。ベローズは細身ではあるが背が高く体つきも男らしいので心底気持ちが悪い。嫌悪感で鳥肌が立ちそうだ。
「いいから黙って続きを話して」
「黙って話すって、どうやればいいの?注文が理不尽すぎない?」
「腹話術でもすればいいんじゃない?」
「違法薬物の話だけ「ちょっと待って」ど……」
こいつ、本当にやりやがった。
ベローズは先程口を一切開いていなかった。さらに言うならドヤ顔を決めていた。
無駄に多才でむかつく男だ。腹話術は冗談に決まっている。それは分かっていたはずだからなおのことタチが悪い。
つまり。
どうやらベローズは僕をおちょくるのが好きらしい。
ニヤニヤと笑っている姿に殺意が湧く。口元がうっすらと弧を描き、自然と笑みが浮かんでくる。
「ねえ、もしかしてふざけてるのかな?ふざけてるのならそれ相応の制裁を加えさせてもらうけど?」
今の自分がかなり悪どい顔をしている自覚はある。流石のベローズも危機を感じたようで若干顔色が悪い。
「いやぁー、そんなわけないじゃん?そんなことよりも違法薬物の話だけどさ」
そして腹話術から違法薬物の話に注意を逸らしにかかった。そんな誤魔化しがこの僕に通じると思っているのか。
でもまあいいけどね、だって僕は心が広いから。この殺意はいつかの為にとっておくことにしよう。
そう決めた僕は現在進行で“いい笑顔”を浮かべているようで、ベローズの顔は引き攣っている。
「どうやらスラムの奴らがジュミール伯爵の手の者に取引を持ちかけられたみたいなんだよね。金は払うからスラムに薬をばら撒けって。まあ彼らは金に釣られて引き受けちゃったってわけだ」
まだ顔を強張らせながらもベローズは真面目に話し始める。
「その薬がさ、服用すると幻覚が見えて幸せな気分になれるらしくって。この苦境から逃れられるんだったらって、皆手を出しちゃうから広まりが早いみたいなんだよね。中毒性があるから凶暴化する人も多くて治安は余計に悪化する一方。終いには自殺した人がもう何人もいるとか」
「スラムの現状に漬け込んだ手口だね」
「そ。胸糞悪いよね〜」
ベローズはいつもの調子で話しているが、その顔には隠し切れない蔑みが含まれている。
違法薬物を広めるという行為にもだがこの場合大半ははジュミール伯爵という“第2王子派”へ向けたものだろう。ベローズは第2王子派という存在自体に並々ならぬ感情を持っている。
それは第1王子派を纏めている僕にも当てはまることだが、ベローズは僕以上だ。
第2王子派に対する尋常でないほどの敵対心。加えて言うなら一見女好きに見えるが本当は大の女嫌い。それらの歪んだ実情を兼ね揃えた、この切れ者で毒になる程色気たっぷりな美男子がリーベローズ・レトニスという男だ。
「ああ、そういえば人が消えたって話もあるらしい。」
ベローズは今思い出したというように話し出す。
「人が消えた?どういうこと?」
「それがよく分からないんだよね。スラムじゃ昨日まで生きてた人が死ぬなんて日常茶飯事だろうからねぇ。そういうことかなぁ。でもどこか気にかかるんだよ」
「んー、仮にもし死んだのではなく消えたとしたらそれは何の為でどこに行ったんだろうね……」
すっきりしない話ではあるが、ベローズがよく分からないというのなら調べ上げるのは難しそうだ。
この件も確かに気になるが、それよりも気になるのは。
「ジュミール伯爵はどうしてスラムに薬を流した?
金を払ってまでやらせたかったんだから金儲けのためじゃないよね。そもそも金儲けだったらスラムじゃなくて商人や下級貴族に流した方が売れるだろう?」
なぜ薬をばら撒いたのか、だ。
「そこなんだよなあ、一番不可解なのは」
……!こちらもベローズの情報網を以ってしても分からないのか。妙だな。
僕が思案に余っているなか、ベローズは続ける。
「スラムに薬を撒いたのは自分に損がなく、なおかつ誰かに目をつけられることがない場所だったからって説がしっくりくるけど」
それについては同感だ。
スラムでの犯行の理由はベローズの説が最有力とみていいだろう。
しかし、目的は依然全くわからない。こうもベローズが分からないというのは相当のことだ。
ジュミール伯爵はそこまで賢い男でも慎重な男でもない。現にこの違法薬物の件にジュミール伯爵が関わっていることは簡単に割れた。
もしかすると……
「この件はエスファル公爵が一枚噛んでいるかもしれない」
僕の心を読んだかのようにベローズは言った。