13. エスファル公爵
コン、コン……
「ラナンキュラス殿下、ギルリック・エスファルでございます。入ってもよろしいですかな?」
恭しく発せられた問いかけに対して入室の許可を与えると、赤紫の髪に血のような赤黒い瞳の壮年の男と男の従者が入って来た。
壮年の男。いや、壮年ながら危険な魅力を漂わす麗しい男。それがエスファル公爵であり、私の叔父でこのフィオニティア王国宰相のギルリック・エスファルだ。
「1週間ぶりですな、殿下。今日は我がエスファル公爵領の珍しい茶葉を持参いたしました」
「本当ですか!?では早速その紅茶をいただきましょう!丁度公爵のためにおいしい焼き菓子を用意させていたのです」
私がそう発言するや否や侍女長が紅茶と焼き菓子を運んできた。
エスファル公爵が訪ねてくるときの給仕は必ず侍女長が行っているのだ。
侍女長が紅茶をテーブルに置き、後ろに下がった。
私は淹れられた紅茶を一口飲んで話し出す。
「公爵、調子はどうですか?最近忙しいと聞いたので体調は大丈夫かと案じていました」
「殿下に不安を与えてしまうとは一生の不覚。私は至って健康。心配には及びませんぞ」
エスファル公爵は客観的に見て快活に笑う。
「今、とある薬の開発をしておりまして。少し忙しくなっているだけでございます」
「薬の開発!?それはすごい!でも体調は崩さないように気をつけてください。公爵が倒れてしまったら私は心配で夜も眠れなくなってしまいます」
ゾッとする会話だな。私がエスファル公爵を心配するというのは。
それに薬の開発?
エスファル公爵が今話しているのは表向きのまともな薬についてだろう。だが、私にはどうしても瘴気を発するあの薬について話しているように聞こえてしまう。
「貴方様に心配などかけられませんからなあ。今後はより健康に気をつけます。……殿下は最近どのように過ごされていましたか?確か本日の午前の日程は魔術の勉強でしたな。どのようなことをなされましたかな?」
質の悪いセンセイを自分でつけておいて、人好きのするような顔でよく言う。
この言葉の中でもさりげなく、魔術のセンセイがきちんと授業をしているかに探りを入れてきている。
食えない狸ジジイめ。
「今日は闇の中級魔術を教わったのですよ」
「ほお!殿下の得意な魔術は光魔術であらせられるのに……闇魔術までも極めようとなされているとは感心いたしました。先日、光の上級魔術を習得なされたとお聞き致しましたがこの分だと闇の上級魔術も直ぐかもしれませんなぁ」
一欠片も思っていない褒め言葉をエスファル公爵は吐いた。褒め言葉としては闇の中級魔術に関することを見事に避けているため、魔術のセンセイよりは断然マシだ。
「ええ、すぐに習得してみせますよ」
それにしても今の言葉は闇の上級魔術を習得するよう誘導してきたと取っていいものか。仮にそうならば王族としての面目があるといえども……第2王子程度が上級魔術を扱えてもなんの支障もないということか。
甘くみられたものだ。いや、第2王子ならその評価は妥当であるのだが。
「それは頼もしいですな」
ハハハとエスファル公爵は小気味よい笑い声を立てた。
言うまでもなく客観的には小気味よく聞こえるということで、私にとっては別だ。
「習得できたら特別に公爵だけにお披露目しましょう」
「それでは楽しみにしておきますな」
仮初めの優しい眼差しでそう言い終えて。エスファル公爵は和やかな雰囲気のまま話を変える。
「ところで殿下。何度も言っておりますが……わたくしどものような下々の者にそのように丁寧な言葉で話してはいけませんぞ。殿下はこのフィオニティア王国で2番目に尊い方なのです。そしてゆくゆくは王の位に立つお方。示しがつきませぬ。侍女長はそう教えませんでしたかな?」
一瞬、エスファル公爵が侍女長に鋭い視線を向けた。
その後、何事もなかったかのようにこちらを向いて表面上は穏やかに、幼い子供を諭すかのような顔をする。
恒例の会話が、始まった。
愚かな第2王子を演じ続けて、私の嫌悪感や羞恥心といった感情は麻痺している。
いいや。麻痺させてきた。
それでも、今から私がエスファル公爵に語る言葉は冷静になれば小っ恥ずかしい。取り敢えず無心になっておく。
「侍女長は事あるごとに王族としての振る舞いを語ってくれます。私はいずれ、最も尊い存在となる……ああ、それは分かっているのです。ですからこそ、美しくなければ」
私は恍惚とした表情で話し始めた。
「最も尊い存在とは最も美しい者です!美しい者とは容姿、所作が優美で物の価値がわかる者。当然、言葉遣いも美しい者……公爵なら分かってくれるでしょう?」
無自覚なふりで“公爵という高貴な身分なのだから分かるよな”と取れる言葉を投げかける。
エスファル公爵も王子の言葉を表立って否定することはしないはずだから。
「勿論ですとも。しかし……身分の低い者にはそれが分からんのです。つけ上がり、殿下に無礼を働く者がいるやもしれません」
「心配には及びませんよ。私の周りには美しい者しかいないではありませんか。もし仮に私に無礼を働く卑しい者がいたならば罰を与えて分からせればいいだけのこと。そもそも私は下賤な者など近づけませんしね」
第2王子にここまで言われてしつこく意見するのは良策ではない。そう判断したエスファル公爵は渋々といった表情で反論を控えた。
学や力をつけさせていないとはいえ王子だ。見栄を張れるぐらいの教育は受けている上に礼儀、芸術等の教養はしっかりと学んでいる。その学びから染みついた自尊心ゆえの言葉。
言わばこれも王子教育の賜物。
第2王子を演じているだけでは私の中にある激情は溜まっていく一方。
だから嫌がらせの一環として第2王子としての体裁のための教育を利用し、意味の分からない独自の価値観を披露している。
私が演じるナルシスト気味な王子とはまあ、そういうことだ。
異様な美への執着心を持ち、自らを飾り立てることを好み、一流のものを嗜む王子。
一部では変わり者の王子と囁かれてもいる。
このようにして発生した言葉遣いの問題についての会話は毎週恒例で行われている。もっというなら侍女長からも常々注意されるものだから日常的な会話である。ここしばらくは侍女長から注意されていなかったが。
ここまで窘められても丁寧な言葉遣いをしているのには嫌がらせ以外の理由もある。
良い人を演じていた前世からの癖と、それから……
ーーー
エスファル公爵が帰り、夜までの時間を過ごして。
寝る準備を済ませ、侍女が退出してようやく1人になる。
疲れた。
いつも通りに第2王子を演じればいいのだが、やはりエスファル公爵が相手では緊張が伴う。何か一つでも間違いを起こせば観察眼の鋭いエスファル公爵に全てがばれてしまう。そんな危機感があるため気が抜けない。
少しの殺意すらも向けないように。私の殺意を第2王子の敬慕に変える。
それだけのことなのにひどい苦痛を感じる。
あの人と出会う前はそんなもの、感じなかったのに……
+++
時刻は真夜中。
暗い王城の一室で男女が密会をしていた。
「未だ殿下の言葉遣いを正すことができていないとは」
血のような赤黒い瞳が特徴的な美しい男が無表情で冷たく言葉を放つ。
それを聞いた他の者より大きい、銀色のリボンが付いた制服を着た侍女も負けず劣らずの表情で頭を下げた。
「申し訳ございません。私の力不足でございます」
男は侍女から謝罪の言葉を聞き出すと無表情だった顔に慈愛の色をのせる。
「仕方がない。殿下が頑なでいらっしゃるのだから。……この1週間で何か変わったことはあったか?」
「いいえ、何もありませんでした。殿下にも支障はありません。こちらは万事うまくいっております」
男は一つ頷く。
「引き続き第2王子宮の見張りを続けるんだ。何かあれば早急に報告すること、いいな?」
「かしこまりました」
返事を聞いて男はうっそりと嗤うと部屋の出入り口へと歩き出す。その途中、侍女の横で一度立ち止まり、彼女に色気を感じさせる声で囁く。
「いつも貴方には助けられているよ」
そして男は侍女に背を向け、部屋を出て行った。
「閣下のためだったらなんでも喜んでやりますとも。ああ、敬愛するギルリック様……」
その後ろ姿を、侍女はうっとりとした表情で眺めていた。