11. 薬の効用
「王子殿下はジュミール伯爵を掌握したみたい〜」
夜の静けさが辺りを覆う頃、定時報告にやって来たジルが言った。
「そうですか」
筋書き通りに第1王子たちは動いてくれたようだ。
ジュミール伯爵を掌握したとはいえ、伯爵は矮小な男。密通者に仕立て上げたところですぐにボロが出てエスファル公爵に処分されるのがオチだろう。最悪の場合、利用されてこちらの害にもなりうる。
だが、第1王子たちも柔じゃない。
ジュミール伯爵を上手く利用してくれるだろう。心配などする必要はない。彼らが強く賢いのはよく分かっている。
だから。
こちらは例の瘴気を発する薬をどうにかしなければ。
すぐに手を打たなければまずいことになる。
***
あの日、城下街から帰った私は第2王子宮に戻って分身魔術を解き、第2王子としてその後を過ごした。
夜更けが訪れた頃、今一度分身をつくった。
城下街へ行ったときと同じように寝室から隠し通路内に入る。
地下にある隠し通路は意外と道幅が広い。成人男性が3人は横に並べるぐらいある。真っ暗でもなく、どういう原理なのか魔術でできた燭が一定間隔で灯っている。
今から向かうのは図書館だが、第2王子宮から図書館までは少し距離がある。
時間は有限なため、走って行く。
壁と燭の殺風景な光景が一瞬で流れる。初めは聞こえていた空気を切る音も次第に聞こえなくなる。
自分の意識が無になっていく。迷路のような道をただ走る、走る続ける。
走ることは好きだ。
走っているときは嫌なことを忘れられる。エスファル公爵のことも、私の罪も……
全て忘れてただ自由な存在になっていられる。
気持ちが良いな。
でもそんな時間はあっという間で。
図書館に繋がる隠し通路の出口に着いてしまった。
誰もいない図書館に入るといつも通り私が好んで行く場所、魔術関連の本の並ぶ棚まで足を運ぶ。
そのまま定位置には座らず、書架の突き当たりに移動した。
壁の一部に手を当てると体中をえも言われぬ感覚が駆け巡った。私は気付けば書類の山に埋もれた机と2脚の椅子、書棚が並ぶ空間にいた。規模はさっきまでいた広大な図書館に比べてこじんまりとしている。
この空間に移動した仕組みは隠し通路のときとは少し違う。隠し通路の仕組みを不思議と言えば、こちらは摩訶不思議と言うのが正しいだろう。
こちらは特別な条件を満たしていなければ発動するどころか見つけることもできない。
限られた人以外、入ることが不可能なのだ。現在、ここに入れる人間は私一人。
簡潔に言えば、特殊な空間。
外部にここにある情報が漏れることはなく、並大抵のことで壊れることもない。
だからこそ瘴気を発する薬を調べられる。
早速魔術で机に積み重なった書類の山を移動させてスペースを空ける。
椅子の1脚に座ると薬を取り出した。
まずは薬をじっくりと観察してみる。
見た目はただの薬でしかない。呪術の存在を歴史上に存在した古くの禁術だと思っている人たちには違法薬物としか考えられないだろう。
そもそも瘴気を感じ取ること自体が難しいのだ。
次に発せられている瘴気の質を探った。
この薬から感じられる瘴気はねっとりと重苦しい。執拗に絡みついてくるようだ。背中がぞわぞわする。
呪い殺すことが目的ではないのはそれだけで分かる。呪殺が目的の場合、もっと刺すような悪意が感じられるからだ。
私は呪術の研究をしてはいるが、これだけでは効果について、大方の予想しかつかない。
詳しく知るため、私は薬を触って“視る”。
次の瞬間、頭に映像が流れ込んできた。
+++
薄暗い部屋の中。
1人のフードを被った痩せた男がぼそぼそと気味悪く呟きながら作業をしていた。
詠唱しているようだが、なんと言っているのかは聞き取れない。
だが、手元にはいくつかのどす黒い呪術陣が現れていた。
+++
――――っっ!!なんてことを!!!
その呪術陣たちの意味を理解した瞬間。
肌が粟立ち、体中に悪寒が走った。
あまりの非道さにはらわたが煮え繰り返る。
心の奥底に沈み込めていた憎悪が浮かび上がってきそうになるのを私は必死で押し留めた。
その日は憎しみを忘れるため、ただただ薬についての纏めに没頭した。
***
「例の薬ですが……呪術師の適性者を探し出すことを目的としてつくられたようです。適性がある人が飲めば眠っていた呪術師としての力が強制的に引き出されます。力が引き出された者を見つけて攫っていったというのがスラムで囁かれている、人がいなくなったという話の真相でしょう。逆に適性がない人にはこの薬は過ぎた毒です。まあ、適性があるないどちらにしろ毒ですが。
でも、適性がない人の方が精神が崩壊して狂ってしまうでしょうね。違法薬物だと思われたのは適性がない人が薬を飲んで、おかしくなった状態を見たからでしょう」
効用を聞いて大抵嗤っている流石のジルも顔を歪めた。
呪術師には適性がないとなることができない。
もともと呪術は魔術から派生したもの。よって適性者の絶対条件は魔力を持っていること。その中の一握りに呪術師となれる適性がある。
精霊魔術師と比較すれば段違いに多いだろうが、それでも適性がある者は少ないだろう。
おまけに呪術には代償がいる。
代償となるのは生命力。人間の血や命を必要とする。
規模の大きい術であればあるほど。相手の抵抗が大きければ大きいほど。術者の払う代償は大きくなる。
術によっては術者の命を代償にしなければならないほどの規模になりうる。
エスファル公爵が呪術師たちに命じるのは簡単には潰れてくれない政敵の呪殺が主だ。
証拠を残さずに、衰弱死のように見せかける。
命を脅かさない程度の呪いならまだしも、これ程大規模な術となると代償は大きい。1回の術の行使で呪術師たちが何人も死んでしまうなどざらだ。
所詮エスファル公爵は人を道具としか考えていない。呪術師たちが何人死のうがあの男には関係ない。しかし、いなくなってしまえば困る。だから補充する。
そんな意識だろう。
大々的に探さなければ呪術師となれる可能性を持つ者は少ない。そのため、人の生死など気にされないスラムで違法薬物に偽装してこのようなことをしでかした。
それに、適性がなかった者でも盾として利用できる。
本来なら術者が払わなければならない大きな代償を盾を用意することで小さくすることが可能なのだ。
本来よりも不適性者が払うことになる代償は大きくなるが、彼らにとってはどうでもいいこと。
それに、スラムの気の狂った連中は都合がいい。
そういったところか。
「はあ〜。俺も大概だけどあいつら頭おかしすぎー。理解不能なんだけど〜」
ジルのその意見に私も全面的に同意する。
エスファル公爵が今すぐ死んでくれたら忙しないのに。
チラついた危ない考えを頭の片隅に追いやり、今の状況を冷静に分析する。
これ以上呪術師が生み出されないように、薬をこの世から抹消しなければならない。
しかし私はすぐに動くことができない。
一刻も早く薬の製造元を叩くため、危険な任務を渋々ながらジルに託す。
「呪術師たちが薬を作っている場所を調べてください」
ジルは危険な任務を歯牙にも掛けず、相変わらずの飄々とした態度で了承の意を示す。
「我が君のご命令とあらば。じゃ、そろそろ俺行くね〜」
そう言ってジルは私に背を向けて窓へと歩み寄って行く。
「今日もお疲れ様です。調査はくれぐれも気を付けてくださいね。御守りは肌身離さず着けているように」
その背に向けて言葉を発すればジルは軽く手を上げて応え、窓から暗闇に消えていった。
静かになった空間の中で私は一人虚空を睨んだ。
もう土の精霊王の日か。
嫌になるな。