10. 胸騒ぎ【sideグラジオール】 2
「この件はエスファル公爵が一枚噛んでいるかもしれない」
ベローズは不気味に笑みをたたえたまま、憎悪を滲ませた口調でそう言った。
「厄介だね……」
エスファル公爵はジュミール伯爵とは違い、恐ろしく知恵が回るのに加えて慎重な男だ。簡単に尻尾を掴ませてはくれない。今回、違法薬物横行の件に関わっていたという証拠を調べ上げることは困難を極めるだろう。
だから、間接的な繋がりしかないスラムに証拠を残すようなヘマをするはずもない。これ以上スラムは調べても無駄だ。
となると、ジュミール伯爵を調べなければならない。
ジュミール伯爵自体は大した男ではない。エスファル公爵にとってもただの捨て駒だろう。暴ける事実があるかどうかは分からない。だが、少しでも何か情報を得られる可能性があるのなら調べない手はないだろう。
それに、ジュミール伯爵は嫌々ではなく自分から第2王子派に属している男だ。そして今まで好き勝手にしてきた。具体的には国庫の横領、フィオニティア王国で禁止されている奴隷商売などに手を染めていた。
「ジュミール伯爵が関わっていたという証拠は十分にあるんだよね?」
「勿論。この俺を見くびってもらっちゃ困るね」
それぐらいは当然なんだと、余裕のある表情でベローズは言う。
「じゃあ今までの悪事の証拠を持ってちょっとジュミール伯爵邸まで出掛けてこよっか」
「うわー……、全然ちょっとじゃないじゃん。お出掛けって何?持ち物おかしいよ……」
爽やかな笑顔でお出掛けを告げれば、ベローズは嫌そうに顔を顰めた。
***
時は過ぎて。
ジュミール伯爵邸にお邪魔することにした日がやってきた。当たり前だがお忍びなので先触れは出していない。
王宮には“影”を身代わりに置いてきた。優秀な“影”だ。ベローズにも幻惑魔術をかけてもらっているのでばれることはそうそうない。皆、本物の僕とベローズが王宮にいないなどと夢にも思わないだろう。
よって、眼前で。
「こ、これはぐグラジオール殿下。急に訪れるなんてど、どういったご用ですかな?」
小太りした中年の男、ジュミール伯爵が取り乱して慌てていた。動揺し過ぎだ。その態度から小物感があふれ出ている。
ぐグラジオール殿下ってなんなのかな?失礼じゃない?
「それよりもジュミール伯爵、顔色が悪い。少し話したかったんだけど、体調が悪そうだね。やめておいた方がいいかな?」
「め、滅相もございません!!体調など万全でございます!ぜひ我が屋敷にお上がりください!!」
帰る素振りを見せつつ、暗にまさか屋敷に入れないはずがないよね?とにこやかに圧力をかければジュミール伯爵は容易に屈した。
その顔には冷や汗が大量に浮かんでいて青白い。
隣ではベローズが「グラジオこっわ」と呟いていた。
そのままびくついている伯爵に応接間まで案内してもらう。
その間、さり気なく観察した屋敷内は調度品一つ一つに金がかなりかかっている。成金に忌避感があるわけではないがまるで成金趣味と言える品の悪さだ。
不当に得た金はこういうところに使われてきたわけだ。
「そ、それで……ご用件はなんでしょうか?」
「まずは人払いを」
「は、はいっ……!」
僕に怯え過ぎではないか?
本当に悪事に手を染めていた人物とは到底思えない。所詮は第2王子派という立場に良い気になって増長しただけの小物か。
人払いがされて部屋に僕とベローズ、ジュミール伯爵の3人になった後、単刀直入に切り出す。
「スラムでの違法薬物の件について聞きたいんだけど」
「な、なんの話ですかな?」
「惚ける必要はないよ。証拠は十分に揃っているんだ。ただ私たちはそのことについて罰するためにここまで来たんじゃない。どうしてそんなことをしたのか聞きたいだけなんだよ」
穏やかにそう言い終われば、ジュミール伯爵は目に見えて狼狽えた。
「そっ、それはっ!ひっ!ち、違うんだっ!私は頼まれただけなんだっ!!」
ジュミール伯爵は泡を食ったような態度ながら意外にも素直にやったことを認めた。見苦しく否定し続けるよりかは賢明だ。
ベローズはジュミール伯爵を一瞥してつまらなそうに口を開いた。
「まあ、少し落ち着きなよ。ここには私たちしかいない。それに殿下も罰するためにここまで来たわけではないと言っているじゃないか」
ベローズがそう言うように、辺りを探っても誰かの気配はしない。聞き耳を立てられる心配はしなくていいだろう。
「それで、どうしてスラムに違法薬物を広めたのか教えてくれるかい?教えてくれればこの件は不問にしよう」
まだ迷っているジュミール伯爵に追い討ちをかければ、甘い言葉に釣られるようにジュミール伯爵は語り出す。
「突然エスファル公爵の使いを名乗る人物が来て言ったんだっ。スラムに薬を撒いてくれる人を探していると。エスファル公爵に恩を売れるんだったらと思った!契約書は交わさなかった!契約書の話を出したらエスファル公爵を信じられないということかと言われて交わせなかったんだ!!それに私はあの薬が違法薬物だったなんて知らなかった!!嵌められたんだっ!!」
まだジュミール伯爵は何事か喚いているがつまるところ、エスファル公爵に繋がる証拠はないということか。
「そう。この件は貴方が主犯ではないことは分かったよ。ところで、その他はどうなのかな?ジュミール伯爵、貴方には余罪が沢山あるようだね。それらも不問というわけにはいかないよ?」
「なっ!それは話が違うではないか!!」
僕が他の罪の話を出してきたことにジュミール伯爵は怒り出す。
だがさっきの話はあくまでこの件はと言ったはずだ。
警戒心をまるで持たないジュミール伯爵への冷めた気持ちを抱えながら努めて優しいげな表情を心がける。
「でも、こちらも条件付きで不問にしてあげよう」
そう囁けばジュミール伯爵は希望を見つけたとでもいうような表情で僕を見た。
「わ、わかった!なんでもやるっ、なんでもやるから罪には問わないでくれっ!」
「本当に?」
ジュミール伯爵の必死な形相に少し笑いそうになるのをこらえる。
「ああっ、本当だ!なんだってやってやるっ!」
「じゃあ、取引成立だね。今から貴方は密通者だ。よく働いてもらうよ」
「そ、そんなっ!」
ジュミール伯爵は青褪めて震え出したが、僕が譲る気がないと分かるとやがて恐怖を押し殺したような声で「分かり、ました……」と答えた。
本音を言えば、貴族として義務を持つ立場の者が犯した、民を苦しめる罪を不問にするなど業腹だが今は仕方がない。その代わりエスファル公爵の悪事を暴いたときには一切容赦しない。
***
「グラジオ、どうかしたの?さっきから考え込んで」
ジュミール伯爵と取引を終え、帰りの馬車の中で思考に没頭していればベローズに声を掛けられた。
「すっきりしないんだよ。僕たちは何か見逃しているような気がする」
エスファル公爵がスラムに薬を広めた理由が分からなかったというのもある。しかし、他の理由でも真相に靄がかかっていて見えていない、そんな気持ちの悪さが抜けずに僕は何故か胸が騒ぐのを感じていた。