第9話 邪悪な姫君
銀髪の魔法使い、ソフィアと名乗る、エルフの少女は、宙に舞い、その身を微かに輝かせた。
豪雨は勢いを失い、雷雨も遠い彼方へと去りし、この地の空は、未だ厚い雲に光が閉ざされ、小雨の涙を流し、ぼんやりと暗い。
暗がりの中、淡く輝き、宙に浮かぶ少女は、否応もなく目立ち、飛び交う怒号や、剣を振るう手を止めさせ、乱戦を鎮めていく。
その姿に、大人しく無関心を装っていた白馬ですらも、生を持つ全てが注目していた。
空は、遠くから稲光り叫び、「一人も逃さない」という決意の表情で彼女は詠唱を透き通る声で詠唱をはじめた。
「理を統べるものよ、統べられし炎よ……」
彼女の法衣に施された赤い刺繍が輝き浮かび、愛しいものを護る赤蛇のように、周囲を威圧しながら動きだす。銀髪がイフリートの加護の炎で燐光を発しキラキラと輝いている。
「世界を繋げ、激しさを示し、顕現せよ……」
高まる魔力は、巨大な炎の翼を産み、さらに溢れ出す。
その翼を歓迎するかのように空を覆う雲達が、激しく燃える炎となり天空を支配した。
天の炎を従えた彼女の姿に、傭兵の頭は、幼い頃、聞いたお伽話の姫君を思い出した。
英雄達が挑み、勇者が討ち取った、古のエルフが崇めた邪悪な姫君の姿。
その姿は、小さな身体を震わせ想像した姿より……、恐ろしく、そしてとても美しい姿だった。
人々は、畏怖の念を抱き、天を見上げる。
「我がアリアの調べに応えて踊れ」
邪悪で美しい姫君、銀髪の魔法使い、エルフの少女は、
その青白い輝きを発する髪から凍えるような冷気と炎の燐光を発し、
哀しくも力強い美しい声色で、音を奏ではじめた。
炎で覆われた天空が大きく裂けて、底知れぬ闇が姿を現す。
白馬が、恐怖に耐えかね暴れ震えている。
シルフィードですら、その闇に恐怖した。
彼女は、この星が誕生し、そこに感情を持つ生物が現れ、しばらくしてから産まれた、
最も長命な風の精霊だ。
彼女は、人とは違い、この大地は星の表皮で、外界には宇宙が存在している事を知っている。
星の大気を象徴する彼女は、少なからず、誰よりもこの世界を知っていた。
あの闇は、異界……、
天国や地獄、あの世、この世を超えた世界、
世界を包みこむ世界の外、理ですら預かり知らぬ異世界……、そのものだ。
裂けた闇から、巨大な瞳が邪悪な笑みを湛え、こちらの世界を覗く。
巨大なそれは、小さな隙間に、悔しがり、低い威圧の声のみを、こちら側に届けた。
ソフィアの歌声は、とても哀しく、力強い。
悲嘆の怒りが込められた、その歌声に、
シルフィードは、古の大戦と……
優しくて可愛らしかった女の子が、全て失った時の姿を思い出し、
記憶を失った彼女が語った、「感謝の祈り」とその対象に再び疑念を抱き表情を暗くした。
クララに抱きつき、ソフィアの姿を見ていたレティーシアは、彼女の歌声に、不思議と感情を動かされ、涙を流す。
ソフィアの詠唱は続く……。
傭兵達は、敵わぬと悟りうな垂れ、濡れた大地に両手を汚し、うずくまる。
裂け目からは、さらに人を模った数多の炎が現れ、地上を目指しはじめた。
シルフィードには、もちろん見覚えがないが、それが何かは、直ぐに理解できた。
あれらは、異界の精霊、しかも、その全てが大精霊と同等の力を持っている……。
異界の精霊は、傭兵達を襲い、全てを奪っていく。
傭兵達は、なす術なく身体を燃やされ、命を失い、灰すら残さず、存在そのものを消滅させる。
星を包み護る大気の意志を象徴するシルフィードにとって、それは、許すことはできない。
傭兵達が人の理に反していても……ソフィアの行いを、その理が是としても……、星を護る象徴のシルフィードが、異界の侵略を黙って見逃すことは、
世界の理が決して許さない!
理の一部でしかない彼女は、再び刃を向ける己の間違いが許せず、
あれ以来、
はじめて涙を流し嗚咽した。
シルフィードは、大気の全てを動かし異界の精霊を襲わせる。
一、二体の炎は、大気に敗れ姿を消した。
残りは全て、シルフィードに向かっていく……。
「みんな、やめてっ!」
ソフィアが身体をくの字にして、腹から出した声は、炎の聖歌隊には届かない。
フレンドリーファイヤーの恐れが無い、神話級の広域殲滅魔法、大規模ギルド戦で必須の魔法、【炎の聖歌隊】が自らの仲間を襲う。
「シルフィードが消滅しちゃう……、フェンリル! 全力で彼女を……お願いっ!」
ソフィアは、全てをフェンリルの化身、チビに託した。
チビは願いを聞くとすぐに、行動に移した。
シルフィードに向け駆ける白い閃光は、大きくなりながら姿を変えていく。
神々すらその秘められた力を恐れ、拘束した神話時代の怪物、フェンリル。
獣人の姿から顕現し、チビは、その力を解放させた。
彼女に集っていた炎の精霊を、巨大な顎門を開き、喰らっていく。
神の腕ですら喰い千切る、その牙に、炎の精霊はなす術がない。
それでも、白い輝きを放つ毛に覆われた身体に、炎の精霊がぶつかると、痛みに耐えるために閉ざした口から、
青白い炎と共に、呻き声をあげた……。
「そんな……、なんで……、こんなのありえない」
天空の彼女は、その光景に唖然とした。
シルフィードは、チビが、その巨体で覆い、しっかりと守っている。
精霊の数が、なかなか減らないことに、天空の彼女は、頭上の裂け目を睨みつけた。
そこには、新たな精霊達と、炎の瞳が見える。
「誰よ、あなた!」
チビの呻き声が彼女の感情を昂らせる。涙が溢れ、身体がより強い魔力で満たされていく。
無意識は、彼女に知らない魔法を展開させる。
「許さない! 許せない! 早く、消えて、帰れ!」
巨大な魔法陣は、天空の炎を覆い、鎮火した、
更に、それは、裂け目へと、集約し、世界を白く染める閃光になった。
「ごめんなさい……」
天空の彼女は、何者かに謝罪した。




