第1章2
今まで指揮したオーケストラでは、全員が僕を認めてくれたわけではないにしても、決して大きな失敗をしたわけでもなく、それなりに楽団員からも聴衆からもあたたかい評価を受けてきている。僕はプロとしては駆け出しだが、音楽を愛する想いを楽団員と共有してこられたと思っている。それなのに、このオーケストラは、初めから指揮者とのコミュニケーションを持とうともしないのだ。このオーケストラにいったい何があったのだろう。そういえば、ここには音楽監督も常任指揮者もいないと聞いた。もちろん、そういった一流のオーケストラがあることは知っている。そこでは、臨時に呼ばれた指揮者に、このようなことも起こるのかもしれない。そうしたうわさや指揮者を震え上がらせる恐ろしい伝説を聞かされたこともある。しかし、ここで同じことが起こっているとは思えない。三流とはいわない。立派な伝統もあるし、過去には常任指揮者がいた時代もある。地方都市のオーケストラとして、長い歴史を生き抜いてきた彼らが、なぜ最初からまるで指揮者がいないかのように演奏するのか、その理由がわからない。僕のオーラが足りないというだけのことではなさそうに思う。スコアをさらい始めた最初の間はそういった思念が頭の中をぐるぐるとまわり続けたが、そのうちにスコアから詠み込まれてくる音楽に沈み込み始めた。これもいつものことだ。僕の人生にこの瞬間がなければ、遥かな昔にこの道を諦めてしまっていたに違いないのだ。今回の課題に選ばれた曲は三曲とも、あまりにスタンダードなものに違いはないが、それだけに素晴らしい曲、人類の宝石とも呼べる曲であることに間違いないことなのだから。そして、いつもどおりに夜が更けていった。ワインが少しずつ体中の細胞に染みこんでいくにつれて、スコアが囁く響きが豊かさを増し、豊かな夢の中へと沈みこんでいった。
次の朝は、爽やかに目覚めた。体の疲れも感じないし、頭も冴えわたっているように思えた。しかし、これほど早く目覚めた理由が何なのかは、自分にもよくわかっていた。“気がかり”の存在があるときには、僕はいつもこんな目覚めをする。
コーヒーを沸かして、昨日食べ残した机の上のパンとソーセージをいそいで平らげ、朝のまだ心が透明なうちに、スコアの勉強にかかった。朝のスコア読みは、他の時とは違ったやり方となる。まだ、頭がクリアーだからスコアという言語を解析するみたいに読む。哲学者がラテン語やギリシャ語に遡って一つ一つの単語の由来を分析するような読み方をしているのだ。このやり方は、必ずしも楽しいわけではない。スコアは音楽を聴くように読むほうが楽しいことが多いのだが、それでも作曲家が語りかけてくる声を聞けるわけだし、たまには今まで気がつかなかった単語や文章の意味を見つけることもある。時々やるように、哲学書を読み解くのに似ているかもしれない。あるいは、聖書や宗教の経典を繰り返し読むのに、もっと似ているかもしれない。今日も11時ごろまで、濃いコーヒーを何回も沸かしながらスコア読みを続けた。部屋を出るころには、ちょうど宿題が完成した子供のような気分になって、意外なことに晴れ晴れとした気持ちになったのが、いまから、またあのオケとのリハーサルに行くという状況を考えると、我ながら不思議な気持ちがした。
外は晴天だった。新しいシーズンが始まってまだそれほど日が経っていない秋の陽光に、石畳の道が浮き立つような気がした。昨日と同じ軽い服装であるのに、この街の中での今日の自分の色合いが異なったもののように感じられた。たとえ何があろうと、やはり僕は音楽が好きなのだ、指揮することが好きなのだと素直に思える日差しだった。道は緩やかな下り坂で、時代の色が重ねられてきた石造りの家を額縁として、この古い町の一部を少し見下ろすことができた。道が高台の端につきあたって崖に沿うて曲がり、町の大部分を少し高みから見下ろせるところに、小さなレストランがあった。昨日この道を通ったときには気づかなかったのは、店が閉まっていたのかもしれない。あるいは、僕の心が広い視野を失っていたからかもしれない。ちょうどリハーサル前にお腹をつくっておく時間だったので寄っていくことにした。
レストランの内部は、たたずまいに劣らず古風な作りで、奥の壁ぎわには火の焚かれていない暖炉があって、領主や騎士のいた頃からここにあったかのような空気を感じた。席数はようやく30席といったところか。太い木でつくられた各テーブルの上には、質素なほそい水色ガラスの花びんが置かれていて、野原の小さな花が活けてあった。まだ少し時間が早いために、他に客は見られなかったので、窓ぎわで街を一望する景色のすばらしいテーブルに着いた。パスタを注文してそれを待つ間にも、その古い街並みを見下ろしていた。歴史を経たこの町は、中心の古い建物群を、これも古くて清潔な赤い屋根の家々が取り囲んでいて、楡や糸杉の梢が町のいたる所を蔽っていた。秋の光りの中で薄いレースのカーテン越しに眺めているかのように、町全体が少し霞んでいる。美しさを感じると同時に、突然、昨日のリハーサルのことを思い出してしまった。運ばれてきたパスタを口に運びながらも、ぼんやりと町の美しさを眺めながら、今日のリハーサルにどう向き合うかを、あらためてぼんやりと思い描いた。結局は、僕の持つイメージを彼らに真摯に伝えていくしかないのだと思いながら。
その時、突然ベートーヴェンの交響曲8番が、頭の中で鳴り始めた。陶然と眺める街の景色が、ベートーヴェンの時代のものに見え始めた。確かにあの時代にも、この町は今とあまり変わらぬ姿で建っていたに違いない。今よりも新しく、もっと華やかだったのだろうか。それとも、ナポレオン戦争の終わり近くで、人々の生活はもっと苦しく、もっと沈んだものだったのだろうか。いや、しかし、たとえ戦争の痕が重荷として続いていたとしても、訪れようとしている平和の輝きが拡がりつつあったに違いないような気がしてきた。へ長調の第一主題が、この町の空の上に大きく拡がって展開しはじめる。
多くの知識人たちが、大きな期待をもって見つめていたフランス革命、自由・平等・博愛を旗印として始まった革命。ドイツでもチュービンゲン大学の学生で、神学寮の同じ部屋の仲間であったシェリング、ヘーゲル、ヘンダーリンが、革命一周年の記念日に郊外に自由の樹を植えて、一晩中ビールを飲みながら踊り明かしたといった解放の理想への期待を、若いベートーヴェンも感じていたに違いないのだ。が、やがて混乱のうちに理想が変質していく過程に失望していき、やがてブルジュアジーが主権をおさめ、理想の守護者に思えたナポレオンが皇帝になってしまった。あの時代。そこで生きた人々にとって、それは、どんな時代だったのだろう。その中で、最初ナポレオンを歓迎したが、その後失望を露わにしたベートーヴェンは、どんな気持ちでいたのだろう。
誰にも献呈されていない交響曲の8番は、ナポレオンがモスクワ遠征で手痛い敗北を喫した年に作曲されたといわれる。発表当時は、それほど高く評価されなかったにもかかわらず、ベートーヴェンにとっては最もお気に入りの交響曲であったとも言われている。この明るい望洋とした雰囲気をもつと同時に古典への回帰を見せたといわれるこの曲を、彼はどのような気持ちで書いたのだろう。今回の演目として伝えられてから、ずっと何度も考えてきたこの疑問を、この眼下の町と、その空に響き渡る音の流れを聴きながら、ぼんやりとまた繰り返していた。それは、ベートーヴェンのおかれた状況が不安に満ちており、世界が不安のもとで激しく動いているにもかかわらず、何か尊厳と自信を感じさせるものである気がした。そして、なぜだかわからないが、それはあの楽団員が必死でしがみついているものでもあるように感じた。
昼食を終わり、ゆるやかな坂を下っていく僕の頭の中で、曲は第二楽章に入っていた。この不思議な、メトロノームの発明者メルテェルに捧げられた四声部のカノンの旋律と同じ主題リズムの楽章にあわせて、僕は足取りでもリズムを刻んで歩いていた。坂を下り終わると、そこにある公園を斜めに横切っていく小道が、オペラハウスへの近道で、緑の木の葉が陽をとおして葉脈を浮かび上がらせていた。時々、リズムに合わせてぴょんと飛び上がらねばならなかった。