音楽が世界を変えるのか
交響曲『帰郷』顛末記 ①
プロローグ
「おい、うちの乱数発生器に異常はないか」。
突然研究室に入ってきた東教授の大声に、研究室に残っていた二人の研究生は驚いて立ち上がった。A大学基礎数学研究センターのセンター長が、この研究室をのぞく様なことはめったにないうえに、彼がこんな大声を出したことを見たのも初めてだったからだ。
「どうなさったのですか、特に異常は無いように思うのですが」と、年長の方の研究生がおずおずと答えた。「今朝見た時にも、乱数発生器は正常に機能しているようでしたし、とくにイベントと思われる現象もみられていないですが」。
「それは僕も確かめた。しかし、何か胸騒ぎのようなものを感じるんだ。君たち、今日の予定は」。
「僕たちは今書きかけの研究論文があります」と、若い方の研究員が、少しむっとした気持ちを隠すように答えた。
「論文は提出期限が迫っているのかね」
「そういうわけでもありませんが」
「僕の方は少し行き詰っていて、気分転換しようかと思っていたところです」と、年長の研究員がとりなすように答えた。
「分かった。申し訳ないが、乱数の発生を調べて、君たちの結論を僕まで報告してくれないか」。
「何を調べたらいいのでしょうか」。
「僕のみつけたものと同じものがあるかどうか、君たちの意見が聞きたい」。
「いつまでにご報告すればいいのでしょうか。それに、何を見つけられたのでしょうか」。
「できるだけ早く君たちの意見を聴きたい。だが、君たちに先入観を与えたくない。君たちが異常と思う現象を見つけるかどうか検討してくれたらいい。どんな結果だろうと、異常と思われても思われなくても、正直に僕に直接報告してくれ。忙しいのに申し訳ないね」。
とってつけたようにそう言うと、東教授はそのまま部屋を出ていった。まあ、二人の研究員にとっては、研究センター長の東教授と直接に話す機会は、定例の研究報告会以外にはめったにない。そのうえ、何か彼が気にかけていることの探求を直接に頼まれたわけで、今までしていたコンピューター作業を中断して、もう一人は数式のつまったノートを閉じて、研究センターの乱数発生器が正常に働いているかどうかをまず確認することにした。そうは言っても、概ね異常があれば機械そのものの異常を告げるランプが働くわけで、研究者の彼らにとっては乱数発生器そのものについては、日常点検以上のことができるわけではない。しばらくして、キツネにつままれたような気分で、二人とも発生された乱数そのものに取り組むこととした。これも、いわゆるイベント(1111とか0000とかの異常な連続発生)が起きているわけではないことは一目瞭然で、東教授がどんな異常を発見し、どんな不安を抱えているのかも分からずに、1と0の不規則に並ぶ数列に目を通していっただけのことだが。
次の朝早く結局徹夜となってしまった二人は、東教授の研究室の灯りがやはり点いたままであるのに気づいて、一刻も早く彼らの見いだした結果を報告することに気が急いて、教授の部屋をノックした。部屋に入った彼らは、自分たちと同じく髪をふり乱したままのような教授がコンピューターに向かっている後ろ姿を見ることになった。
「ああ、君たちか」。振りかえった教授は、疲れた様子で彼らの返答を眼でうながした。
「先生のおっしゃる通りだと思います。いわゆるイベントのような判りやすいものではありませんでしたが、あれを乱数と言っていいものかどうか、僕たち二人とも迷っています」。
「つまり、君たちも僕が見たものと同じものを見たのだろうか」。
「先生が何を見られたのか、お聞きいたしませんでしたが、僕たちの見たものは不定期な間隔をおいて繰り返される20ケタの同じパターンです。不定期ですから、乱数と言えるのかもしれませんが、僕たちはあきらかに繰り返されたものであると結論しました。つまり、乱数発生器が乱数を発生していないと考えます」。
東教授は、研究生の返答に顔をゆがめながらうなずいて、唸った。
「そうだ。だが、何が起こっているのかわからない」。
第一楽章二つの交響曲と一つの小品(それより約2年前)
なるほど僕は駆け出しにすぎない。無名の若造にすぎない。たいした後ろ盾があるわけでも、輝かしい受賞歴があるわけでもない。それでも、今日の君たちよりはましではないか。君たちの出す音は、あれは何なんだ。何の喜びもない。悲しみも感じられない。どんな思いも伝わってはこない。ただ楽譜をなぞっているだけの機械的な響きで、それを音楽だというのか。それで人々を魅了できるというのか。それなのに、そんな君たちの僕を見る目は何だ。いや、そもそも僕を見ているのか。僕はただの棒で、開始の合図をおくり、調子を取るメトロノームにすぎないのか。
その日初めてのリハーサルを終えて帰路に着いたとき、その道筋で、古い石畳の細い道をたどりながら、僕の心は不満で爆発しそうになっていた。それは、突然のことではあったが、長く願っていた、そして久しぶりに与えられたプロオーケストラを指揮できる喜びではちきれそうになっていた幸せな想いが、見事に裏切られたからだった。この幸運が突然の電話でふりかかってきたとき以来、大急ぎで楽譜を整え、旅行鞄をつめ、この街に飛び込んできた今日の日まで、僕の心はこの幸運を感謝するおもいで一杯になり、息をするのも苦しいくらいに幸せの絶頂にあったがゆえに、今日の思い通りにならないオーケストラとのリハーサルは、奈落の底に突き落とされたような大きな落差を、それ故にフラストレーションを、こころ全体に渦巻かせることとなってしまったのである。
古い街並みの小さな道沿いに一週間の約束で借りたアパートメントのドアを開けると、そこも古い玄関ロビーで、その正面左側に階段が仄かな照明の中を暗く上っていた。右半分は奥に続く廊下が、同じく薄暗く続いていた。その左右にもドアが幾つか、不思議の国のアリスが迷い込んだ廊下がそうであったように連なっていた。あれらの部屋に迷い込んだら、体を大きくしたり小さくしたりできる液体の入ったコップがあって、それを飲んでどこか見知らぬ世界に踏み込んでいけるような、新しい世界につうじているような、そんな気がするほど古風なドアだった。一番上の3階まで登った突き当りの部屋が、僕が1週間の契約で借りた小さな部屋で、キッチンとトイレとシャワーがついているというのが僕の出した唯一の条件だった。
部屋の鍵を開ける。持ち手が大きくて、そこに紋章のような模様が彫りこまれた古い大きな鍵だった。昨日これを受け取った時には、そのあまりの古風さにちょっと心が躍った。この鍵で部屋のドアを開けるときにすら、何かしら象徴的な意味があるかのように気持ちが高ぶったものだったのに。部屋に入り壁際のスイッチを点けて、これも古びた大きなテーブルの上に、帰り道で見つけた街角の便利屋で買ってきた紙袋を置き、シャワーの温水器のスイッチを入れ、服をつくり付けの洋服ダンスのハンガーにかけた。まだ少し早いとは知っていたが、そのままシャワーを浴びた。
冷たいシャワーが僕に降りそそいだ。その冷たい水の流れの中で、最初に事務所からの電話を受けた時のことを思い出した。たいした事務所ではない。ただ、小さな指揮者コンクールで最終選考まで残ったあとで、優勝をとり逃したあとで、唯一僕に声をかけてくれた事務所で、そこにお願いする以外に選択の余地はなかったというだけのことだ。時々僕に連絡を入れてくれる男が、僕の担当なのであるのかどうかも知らない。そもそも担当者がそれぞれに付いているほどに大きな事務所とも思われないが。いつもの事務的な声が、この町のオーケストラが緊急に指揮者を求めている、行く気があるかどうかと訊ねたのだった。どうして緊急に指揮者が必要になったのか、どうして僕に声をかけてくれたのか、そういったことは一切説明のないままだった。しかし僕の方でも、このところあまり良い仕事にありついていないわけだし、何よりもプロオケを指揮する機会に飢えていたわけだから、二つ返事で引き受けてきたというわけだった。名の知れた指揮者というわけでもない僕だから、支払われる報酬はしれていたが、これで取り敢えずは、まあ一月程度は、つまらぬアルバイトめいた仕事をする必要はなくなるというのも、大きな魅力ではあったが。
突然の指揮者の依頼というのは、いったい何があったのだろうか。予定されていた指揮者が急病にでもなったのだろうか、まさか急死ということもなかろうなぁ。そんなことも思いながらシャワーを浴び続けているうちに、ようやく水が温んでくるのを感じた。それと同時に、先ほどからの怒りや不満が少し薄らいでくる気がした。もう一度冷静に考えてみようという気が少し戻ってきて、急速に心に拡がってくる。僕は決して怒りに支配され続けるタイプではない。それだけが僕の取り柄かもしれない。しかし、情熱が無いとか持続しないというのではもちろんない。学生の時に友人に言われたことがある。お前の情熱は、女性には理解されないだろうなぁと。ちょっとした、その時にはちょっとしたという風に感じていたわけではもちろんなかったのだが、失恋のあとだった。彼が慰めてくれているのはよくわかったが、そんなこと自覚したこともない僕としては、さらに追い打ちをかけるような言葉だと思いながら聞いたものだ。
体を拭いてタオル地の部屋着に着かえ、紙袋からパンとソーセージとワインを取り出して食卓の前に座り、結局はスコアを開くことになった。身についた癖のようなものでもあるし、一人きりでこの部屋でできることといったら、スコアをさらうことぐらいしかない。パンをちぎってワインで流し込んでいるうちに、頭の中で曲が鳴り出した。いつものことである。いつもと違うのは、それにさっきまで指揮していた彼らの音楽が重なって鳴りだしたことである。いったいどのように違うと感じたのだろうか。彼らの音楽を聴きながらスコアを追ってみることにしよう。もっと具体的に僕の不満の正確な理由を見つけ出さなくては。頭の中で鳴る彼らの音。ビートはそれなりに正確に流れていく。指揮者がいらないくらいだ。アンサンブルは、こちらは少し改良がいりそうだ。しかし、そう大きくずれているということはなさそうだ。こちらも指揮者がいらないくらいだ。それでは、結局、不満の理由というのは、彼らが僕という指揮者を必要としているようには思えないことなのか。結構正確に弾いているじゃないか。それぞれの楽器の力量を思い返してみた。それぞれの演奏にも、大きな不満の種はなさそうに感じる。しかし、なぜかその曲は、命の輝きからは遠い気がする。それに、この選曲は誰のものだろう。ちょっと普通すぎやしないか。きっと彼らにしてみたら、今まで何百回も弾いてきた曲なのじゃないだろうか。あまりに慣れすぎているのだろうか。それにしても、彼らの「指揮者を必要としない」というオーラが、あまりに強力過ぎるのを感じた。そのオーラにみごとに跳ね返された悔しさで、あれほど腹が立ったのだろうか。いや決してそれだけのことではない。あれほど淡々と正確に楽譜をなぞりながら、そこから僕が音楽に本当に求めている、必要と感じている情熱が、伝わってこなかったのも事実なのだ。いったい何故?。