⑷重箱とお握り
『真姫。よくお聞き。お前はもう山を降りてはいけないよ。あの子ともう会ってはいけないよ』
『どうして? ねえ、ととさま。どうしてなの?』
『それはね。我々が異形の存在だからだよ』
あの時の悲しそうな父親の顔は今でも思い出せる。
自分が、自分の一族が余所の人里の人達とは違うことを知ってはいたが、人とは違うゆえに山を降り、友達すら作ってはいけないのかと子供心にショックを受けた。
『でも、キヨスミさんは、マキが鬼でもイイって言ったもん!』
『あの子がよくても、あの子の一族は許さない。あの子は分家でも天翔院様の血を引くお方なんだ。
万が一、お前の力が暴走して傷を負わせでもして天翔院家の方々の怒りを買えば、我らの一族は彼らの庇護を失い、この地では生きていけなくなる』
あの時、子供だったから理解できなかった。実際この目で“本物の天翔院”の方を見るまでは。
(父様が言ってた、天翔院様には逆らえないって。本能的に鬼は彼らを恐れるって)
「きーさん、私の友達を紹介するよ。って言っても二人とも親族なんだけどね」
「……」
「きーさん?」
「は? あ、ああ、はい! 聞いてます!」
驚き飛び上がった真姫に、清澄もまた驚いた様子で目をぱちくりとさせた。
午前の授業が終わり、清澄、実朝、都、真姫の四人は校舎を離れ、中庭の休憩スペースに来ていた。
だだっ広い中庭には桜などの落葉樹や四季に合わせた花が植えられた花壇があり、休憩スペースはそんな花々を観賞出来るようにちょっとしたテラスのようになっている。
カフェのような丸テーブルと椅子が幾つか設置されており、いつも生徒達の間で取り合いが起こっているくらい人気のあるスポットだ。
「天翔院様! お昼ご飯ですか?良ければこちらでご一緒にいかがですか?」
「いえ、私たちのところで!」
「皆守様もぜひ!」
それまで和気藹々と自分達だけで賑わっていたグループが都と実朝の存在に気づくと、次から次へと席を勧めてくる。
相変わらず凄い人気だ。と清澄が背後で唖然としている真姫に振り返り、苦笑してみせた。
「ごめんなさい。今日は四人で食事がしたいの。
あら、でも席がないのね。困ったわ。別の場所を探さないとダメね……」
閉じた扇子を口元に当て、残念 そうに都が誰にともなく呟く。
すると一気に数人が立ち上がって、都に席を譲ると言い出した。
「みなさん。ありがとう。やさしいのね」
「本当にいいのかい? 生徒会長だからって甘やかさなくていいんだよ?」
「いえ! 都様と実朝さんのためなら!」
「私達、もう昼食は終えたので! 大丈夫です!」
ありがとう。実朝と都が笑顔で礼を述べると、黄色い歓声が上がる。まるでアイドルだ。
『でもさ、あの子にも譲るのはなぁんかシャクよね?』
『いいわよね。お二人の親戚ってだけで毎日お傍に居られて、お二人から恩恵を受けられるのよ?』
ぼそぼそと何処からか、誰かの声が聞こえる。小さい悪意のある言葉は風に乗って真姫の耳に運ばれてきた。
誰のことを言っているのだろう。真姫には思いつかない。
「きーさん、ほら座ろう?」
空いたテーブルに着き、まずは実朝が何処かの仕出し屋が作った漆塗りの重箱を都と自分の前に置いた。
「うわぁ、すごーい!」
「食べたかったら勝手に取っていいよ。私も都もこんなには食べられないから」
「仕出しの料亭の方が毎回気合を入れて作って下さるのですけれど、いつも余らせてキヨに手伝って貰うのよ」
「遠慮なく食べてくれよ。残すのも心苦しいんだ」
実朝が手を合わせ、皆も倣って頂きますと手を合わせる。
ガサゴソと清澄が朝コンビニに寄って買っておいた真姫との昼食を取り出した。
ビニール袋の中から大量のお握りが転がり出る。
「すごいな。清澄、いつもより倍以上あるけど、これ全部食べるのかい?」
「一人じゃ無理だよ。きーさんも食べるから」
「それにしては量が……」
「こここコンビニとか初めてで!つい沢山買っちゃって!」
「ああ。わかるわかる。私達も田舎から出てきた時は何もかもが珍しかったしね」
むしゃむしゃ。暫し昼食タイム。
と、先ほど中途半端にやめてしまった自己紹介をもう一度。
「きーさん。姫とはもう自己紹介は終わってるよね?」
「は、はい! 終わってます!」
「だから、そこまでかしこまらないで?あなたがキヨと結婚したら、遠縁ですけれど私達も血縁者になりますのよ?」
「姫……」
面白がっているとしか思えない笑顔で“結婚”を強調する都を、清澄がジッと睨めつける。
だがそんな事で反省する彼女ではないと嫌というほど長い付き合いで分かっているから、清澄の牽制も長くは続かなかった。
「それで、こっちが実朝」
「初めまして。皆守 実朝です。今朝はすまなかったね。余計な口を挟んで」
「あ、いえ」
「でも幼馴染みは確かだし、間違ってはいなかっただろう?」
「……は、はい」
もし訂正が出来るなら、清澄と一緒に入れた時間は一年も無かったし、幼馴染みと言うにはあまりにも短い。
それでも、おママゴトで結婚を約束したわけじゃないし、口約束なんて軽いものだとは思ってはいない。
少しだけ真姫の中で苛立ちと悔しさが湧き上がったが、都がいる手前、声を荒らげるのは躊躇われた。
「実朝とは従姉妹なんだよ。全然似てないけど、母親同士が姉妹なんだ」
「どちらも都とは少し遠いかな?何せ都は天翔院の直系、現当主の孫で、私達はその血を薄くした分家の末孫だからね」
真姫の住んでいた鬼那里村の山の麓に、天翔院の一族だけで作った村があった。
伝承によると平安の世に豪族となった天翔院の初代当主が、元いた京の都から引きこもるように東の辺境にやって来て築いたとされている。
「天翔院は恐ろしい力を持っていたから、京から追い出されたって説もあるけど」
「ふふ、どうかしら」
「都を見てると偶にその説を信じたくなるね。それで、その地にちらほらとあった辺境の村々を束ねて支配した時に、その村から選ばれて天翔院の一族と婚姻した者の血を分家として扱うようになったわけだ。その中の一端が私と清澄の家だね」
「練国と皆守じゃ、序列が違うけどね。実朝の皆守家のが上。天翔院の血がまだ濃い方」
「そんなに違わないよ」
「……違うよ」
ふと清澄の表情に陰が指す。
それに気づくことなく、それまで聞き手に徹していた真姫が最後のお握りのラップを剥がしながら、実朝にずっと不思議に思っていた疑問を尋ねた。
「清澄さんと実朝さんの名前って、結構特殊ですよね。男の人に付けるような名前っぽいと思うんですが、なにかそう言う風習があるんですか?」
「ふむ。いいところに気づいたね」
「やっぱり気になる?」
「都さまは普通に女性のお名前ですし、お二方のお母様のご趣味とか?」
「あー」
「私の母親の名前はね、“頼朝”」
「うちの母親は確か“清隆”」
「え? え?」
「天翔院家の掟でね、私は馬鹿馬鹿しいと思うのですけれど……本家の女以外の女性は“女に値せず”なのですわ」
「だから、こんな名前なんだよ」
「昔から女扱いされたことなかったしね。まぁ、私に至っては今もだけれど」
周りから理想の王子様とはやし立てられ、今も好意的な桃色の視線で少女達から眺められている実朝がうんざりと肩を竦める。
(ああ。だからなんだ)
初めてあった頃の清澄は髪も短く、服装も男の子用で、口調も今より男の子っぽかったように思える。
「何でそんな掟なんか作ったんでしょう?」
「“姫”は本家の女だけだもの。それ以外を特別に扱ったら、“姫”の価値が下がる……とかかな?」
「それともう一つ。同じ天翔院家の血を引いても“姫”だけが愛され、敬われる特権を持てるようにしたんだよ」
「実際、そのような掟が出来て、確かに本家の女の扱いは特別なものになりましたわ。まるで神のように。村でたった数人の女として、どれほどの価値があったのか……」
酷い時には本家に女がたった一人しかいない時もあったという。
その彼女が村ではどの様に祀り上げられていたのか、想像するに容易かろうか。
「一応、結婚をして子供を産めばそれなりに女として扱っては貰えるみたいだし、そこまで厳しい掟ではないんだけれどね」
「何より、本家が大切な存在だと思わせるには都合のいい掟だったんだろう。あとは男扱いにすることで色々とコキ使えたんだろうし」
「ふぇー……天翔院様の一族って、なんか、思った以上に複雑なんですね」
あっという間に最後のお握りを平らげて、真姫の前には大量のお握りを包んでいたラップの屑が山積みになっていた。
ちなみに清澄の前に置かれたお握りの屑は二個ほどである。
ぐー。真姫のお腹が鳴った。
朝に見た、清澄と似たような生ぬるい優しい笑顔を三人が真姫に向けている。
(あ、なんか似てるかも。さすが親戚)
「沢山お食べ……」
実朝が真姫に重箱を差し出した。中身はまだ沢山残っている。
遠慮がちに食べ始めた真姫が、それを食べ終えるのに十分も掛からなかったことは言うまでもないだろう。