⑶鋼のメンタル
やらかした。やらかした。
ああ、まさか、こんな初っ端からヘヴィなボデイーブローをかまされるとは。
まさに鬼嫁。鬼畜の所業である。
(どうしてこうなった)
最初の挨拶はまともだった。簡潔で人懐っこい彼女の良さが出た、転校生の挨拶としては申し分のない挨拶だった。
なのにどうして、こんなことに……。
「鬼頭さんってすごく男性にモテそうよね。やっぱり向こうの学校ではモテモテだったの?」
ホームルームが終わり、席に着いていた真姫にクラスメイト達が興味津々に群がる。
女子にとってゴシップ、それも恋愛事に関しては歳が幾つであろうと絶対的な興味の対象である。
確かに真姫は可愛い。しかも女子に嫌われないタイプの可愛さだ。
素直で無邪気な真姫が恥ずかしそうに首を振ると、周りに集まったクラスメイト達が「かわいー!」なんてからかう。
「でも絶対鬼頭さんならモテるよ! 向こうで告白されたことがなくても、ここならじゃんじゃんされちゃうかも!」
「そ、そんなっ……困ります。私には心に決めた方が……」
きゃっ! 可愛く顔を隠して照れる真姫に、清澄の時間が止まった。嫌な予感を感じる間もなく、それは的中する。
「きゃー! それはもう好きな人がいると?!」
「え? 彼氏? 彼氏がいるの?」
「うそうそうそ! 誰々? どんな人?」
約一部の人間を覗いて、教室中に大きな嬌声が響く。お嬢様学校と言えど、結局女子が集まればこんなものである。
初対面でも興味があれば根掘り葉掘り聞く気満々なクラスメイ達に詰め寄られ、清澄が止めようと口を開く瞬間、爆弾は投げられた。
「“清澄さん”です」
「……え?」
あんなにも熱く盛り上がっていた場が、こんなにも凍りつくなんて。ぱちぱちと真姫は瞬きをして、首を傾げた。
「わたし、清澄さんの妻になりに来たんです」
(メンタル強いな。さすが鬼嫁)
銀縁眼鏡の奥で涼やかな瞳の形は変わらない。片手に持った文庫本から視線も外さない。
だが、面白そうに実朝の唇の端が薄らと吊り上がって見えた。
「え、清澄さんって、清澄さん?」
「練国さんのことよね?」
「えぇ……? 女同士でしょ?」
「いや、それよりもよりにもよって……」
一瞬の静けさの後に大きなざわめきがウエーブとなって広がった。最初は驚き、次に疑問。そして最後に嘲笑だ。
このクラスには絶対的カリスマ美人の天翔院 都や、クールで中性的な美人の皆守 実朝と、校内でも有名な人気者達がいる。
彼女達となら女同士でも恋愛関係を持てると考える少女達は決して少なくない。実際、いる。告白をして振られた人数もそう少なくはなかった。
だからこそ、清澄相手に恋愛感情を持った真姫をクラスメイト達は信じられない目で、同情的に、嘲り含んで、見ていた。
「……なにか?」
真姫がその空気に気づく。
不穏な場の空気に、ただ時計の針だけが音を立てて動いていた。
「だって清澄さんでしょ?」
ちらりと目が清澄を捉える。
一人、二人と視線が清澄に集まり、清澄は困った顔で真姫を見返した。
「……!」
清澄が笑う。泣きそうで、恥ずかしそうで、辛そうな、そんな複雑な歪んだ笑顔だった。
きょろきょろと自分の周りを取り囲んでいたクラスメイトの顔を見上げる。
嫌な笑顔だ。清澄に対して負の感情しかない視線を送っている。
(これは清澄さんにとって“悪いモノ”だ。排除しなきゃ)
ふ。と、蝋燭の火が灯るように真姫の瞳の色が強味を帯びた。
ボリュームのある癖っ毛の中に隠れた白い角の先端がチラリと覗き出す。
「き」
「子供の頃の口約束だよ」
パンッ! 突如、空気が弾けた。
声の主である実朝は眼鏡を外し、文庫本を閉じていた。
そうしてつまらなそうに、真姫達の方を向いて言葉を続ける。
「誰だっておママゴトでするものだろう? 結婚ごっこなんて」
「え? おママゴト?」
「清澄と、そこの真姫は幼馴染なんだ。だから小さい頃にそんな約束をしてても不思議じゃない」
実朝のフォローにまたざわめき出すクラスメイト達。そう簡単には信じられないと言った様子だ。
「そうですわねぇ。懐かしいわ。ねえ、覚えてるかしら?」
実朝の前の席に座っていた都は、自然な仕草で実朝の頬に指を這わせた。
その指に目を閉じて、「もちろん」と頷く。
「君からのプロポーズだ。忘れるわけがない」
「本当かしら? なんて言ったのか、言える?」
「“私の伴侶になりなさい”」
「あら、そんなに上から目線で言ったかしら?」
「言ったよ。でも、私は女王陛下に逆らう術は知らないからね」
白く細い都の指を恭しく掴み、実朝はそれを自らの口元へと持っていく。
まるでどこかの王子様だ。指にキスをする。
さっきまでの凍った空気はどこへやら、一気に黄色い歓声が教室を包み込んだ。
「す、すてき……」
(きーさん?)
清澄が真姫の様子を窺うともう怒りは収まっているようで、今はうっとりと実朝と都の寸劇に見入っているようである。
なんとか危機は脱した。
「貴方達! 煩いわよ! ほらほら、席につきなさい。授業を始めます!」
いつの間にか授業開始のチャイムが鳴っていたようだ。
先生の号令に蜘蛛の子を散らすように、少女達は自分達の席へとの戻っていく。
「ふぅ」
胸をなでおろし、清澄はくしゃりと髪を掻き混ぜた。
慣れてはいるけれど、やはりきついものがある。
(あとで二人にお礼を言わなきゃな……)
もう誰も清澄には目を向けず、真姫の発言など無かったかのように淡々と授業を受けている。
まぁ、一個人における好奇心なんてそんなものだ。
これが実朝や都ならきっと違っただろうけど。