⑵豪華な親友
転校生である真姫を職員室まで送り届け、やっと一人きりになれた。
何だか未だに夢でも見ているかのようだ。いきなりの押し掛け女房に、あっという間の同棲(同居かな?)。
(ダメだなぁ)
流されるままに流されている。
女同士の恋愛に偏見はない。むしろ身近にある“それ”には祝福をしている。
(きーさんの気持ちは嬉しいけど、子供の頃の口約束なんだよね。それに、その気持ちが本当に恋愛かどうか……)
下界とは隔離された村で育った彼女だ。子供の数も少ないと本人も言っていたことだし、恋愛対象も恋愛をする環境も無かったに違いない。
さぞかし昔の思い出は美しかろう。きっと真姫の中で、清澄との思い出は美化されていると思われる。
(いつかは飽きるとは思うけど……早めに何とかしなきゃ、な。きーさんの為にも)
一階、二階と階段を上り、二年一組の教室へと辿り着く。始業開始のチャイムにはまだ十分に余裕があるせいか、校内はちらほらと生徒の姿があるだけで非常に静まり返っている。
教室の扉を開けた。
おや? ここは美術室だったかな? なんて、清澄は目の前の絵画のような光景に思わず目を細める。
光射す教室の窓側、最後尾。
その席に、長く美しいおみ足を組み、ゆったりと椅子に凭れかかる少女が一人。
絹のように柔らかそうなショートカットの髪は陽の光に透かされ、気持ちのいい風がそっと撫でては弄ぶ。
整った顔立ちはあまりにも中性的だ。一見すれば少女のようにも少年のようにも見える。
けれども最後は皆、こう呟きを零すのだ。“ああ、綺麗だな”と。
「サネトモ」
呼びかけと同時に片手に持った文庫本を少女は閉じた。
小さな字を読む時だけ掛ける細フレームの銀縁眼鏡をクイッと上げて、清澄に向かって薄く微笑む。
「おはよう。清澄」
高すぎず低すぎずのメゾソプラノの落ち着いた声に、教室の中から「きゃあ」と小さな歓声が上がった。
皆守 実朝は上がった歓声など聴こえてもいない振りをして、清澄に前の席に座るようにと目で促す。
「メール、見たよ」
「うん。まさかこんなことになるなんて、昔の私は思ってもいなかっただろうね」
「ふふ。本当に」
実朝の涼やかな目元が優しく歪む。
真姫とはまた違った美人に笑いかけられる。だがしかし、清澄は女なので困った笑いだけを浮かべていた。
「しかし鬼嫁とは面白い。しばらくは退屈しなくてもよさそうだ」
「他人事だと思って……ところで“姫”は?」
「職員室。先生に呼び出されていたから例の転校生とでも会っているんだろう。生徒会長だからね」
「ああー……きーさん、大丈夫かなぁ?」
「うん? なぜ?」
「姫だから。きーさんの村って、姫の家のさ、ほら」
「ああ。そうか」
合点がいったと実朝が頷く。
(きーさん。無事だといいけど)
――その頃、職員室では。
「ひぃぃぃぃ! て、ててて、天翔院家の姫様とは知らず、軽々しく口を聞いてごめんなさいぃぃっ!」
「ちょっと! 鬼頭さん?! あなた、突然なにを!」
それはそれは見事な土下座だった。額を地面に擦り付け、大きな体をこれでもかと折り曲げて、真姫は眼前の少女へと許しを乞うた。
職員室の真ん中で突然の転校生の謝罪である。
さすがの教師たちもこの異様な光景にざわつかずにはいられないようで、清澄のクラスの担任である女教師なんぞは勤続十年のベテランであるにも関わらず、パニックを起こして真姫と少女の間で右往左往としていた。
「あらあら。ふふふ。こんな所でみっともなくてよ? それに、私、今は一般の学生なの、貴女と同じ。ね?」
「でででですが!」
「お願いよ。ここでは普通に接して下さいな?」
普通の女子高生が普通は持たないであろう年季の入った上等な扇子を口元に当てて、普通の女子高生では出せないであろうやんごとなき高貴なオーラを纏った彼女はそう言うと、真姫にその白魚のような指を差し出した。
「おおお恐れ多いです! 私なんかを引き起こしたら、あなた様の手が抜けちゃいますよ!」
「あら、怖いことを言うわね」
真姫のあまりの怯えっぷりに、少女は面白さ半分、呆れ半分の様子で手を戻す。
それを見届け、真姫はほっと一息をついて立ち上がった。
「真姫さん。改めて宜しくお願いしますわ。私は当高校の生徒会長をさせて頂いてます、天翔院 都です。出身もクラスも同じだなんて、私たち良き関係になれそうね」
「き、鬼頭 真姫です! よよよよろしくお願いしますぅっ!」
ぶん! と頭が取れる勢いで真姫は一礼をとった。まるで蛇に睨まれた蛙のように冷や汗が彼女の肌を伝う。
(一体、どういった関係なのかしら?)
二人の担任となる女教師はやっとパニックから正気に戻り、冷静に二人の関係を見極めようとしていた。
とりあえず真姫は都よりも下の地位だと言うことだけは嫌というほど分かる。
「ああ。先生。驚かせてしまいましたわね。私たちは、いえ、私ではなく私の実家が彼女の村を管理しているのですわ。それはもうすごく昔から」
「管理?」
「天翔院家は真姫さんの村
を含めた地方一帯を治める豪族ですの」
「あ……」
「ですので、どうしても関係が複雑なのですわ。ご理解下さいませね」
「え、ええ。わかった、わ」
都が笑うと、意味もなく頷いてしまいたくなる。
首元で切りそろえた艶やかな黒髪をさらりと揺らし、穏やかだが高い知力を感じさせる目が周りの教師たちを見渡す。
「先生方も、ご迷惑をおかけしました」
もう誰も好奇心を交えた視線を送ってくる事は無かった。
都がこれで仕舞いだと言ったのだ。ならば、仕舞いにせねばなるまい。
「さぁさ、真姫さん。先生も。そろそろ教室の方に参りましょうか?」
「は、はい!」
「うふふ。仲良くしましょうね?」
(うう、清澄さんとのラブラブ生活を堪能するはずが、まさかこんな恐怖にあたるなんてっ)
私生活でも学校でも楽しく過ごせるはずが、まさに目の上の何とやら。
真姫の夢と希望のいっぱい詰まった清澄との生活は、最初にどかんと大きな壁にぶつかったようである。