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練国 清澄と可愛い鬼嫁  作者: 優凛
第五章 わたしらしく、あるために
23/25

(2)最後まで

 負けも負け。完全なる負け戦に挑むのは、平凡ゆえに家族を失い、名前すらも失った一人の少女。

 唯一の己の存在を刻んだ守り刀を手に、相対するは山の様に巨大で頑強な鬼ひとり。


 少女は必ず負けるだろう。命を乞えば死は免れるかもしれない。

 けれど、少女は最後まで戦おうとする筈だ。

 痛くても、辛くても、弱音など吐かず、悲鳴も洩らさず、命を賭して立ち上がる。

 それが彼女の理想とする、練国 清澄と言うものだから。



 ドサッ……。誰もが息を呑む。

 まるで砂の詰まった袋が地面に落されたかのように、人の体が無抵抗に落ちて止まる。

 これで何度目だ? ボールの様に簡単に、単純に飛んでは、地面に落ちて転がる。

 青九郎はつまらなそうに清澄の首根っこを掴んでは投げ飛ばした。

 清澄はフラフラになりながらもまるでそれが義務であるかのように立ち上がる。

 これが続いた。始まってからずっとだ。


「……」


 誰も一言も発さない。話せない。一方的な暴力は虐めの域をとうに越えて、吐きそうな程残虐に映った。

 それでも止めようとしないのは、まだ、何も言わないからだ。

 清澄は立ち上がり、力なく下げた腕を持ち上げ、刀を構えてみせる。


『もういいだろう?』


 誰もがそう言いたかった。青九郎すら言おうとした。


「は……」


 それでも立つのだ。血塗れの顔面で、罅入った骨で、苦痛に表情を歪めながら、恐怖で震える体を無理にでも立たせて、彼女は刀を構えるのだ。


 ならば、青九郎はそれに応えなければならない。それが戦いだ。手加減はあれど容赦はしない。


 ごッ。鈍い音を立て、青九郎の拳が清澄の頬を打った。

 軽い軽い拳だ。優しさなどではなく、殺さぬ程度の力で打った殴打は少女の体を弾き飛ばすには十分だった。

 水切りの小石のように地面を弾いて、一、二、三回とバウンドして止まる。


 鼻血はとめどなく溢れ、シャツを汚した。生理的に零れた涙で視界は滲み、時間を待たずに腫れていく肌はもうそうでない場所を見つける方が難しい。


(痛いなぁ……辛いなぁ……)


 早く終わればいいのに。


 それは大嫌いなマラソンの時の様に、苦手な授業に当てられた時の様に感じたアレに似ている。

 今、ここでコケれば、走ることをやめられるんじゃないかって。

 今すぐ気分が悪くなれば、教室から逃げることが出来るんじゃないかって。


(コケればいいのに、気分が悪いって言えばいいのに、なんでそれが出来ないんだろう)


 何だかんだ止める理由を考えては走った。

 何だかんだ逃げる理由を考えては、結局、何も言わずに授業を受けた。


『キヨは私よりも、実朝よりも、誰よりもプライドが高くて、負けず嫌いなのよ?』


(うん。そうだね)


 負けたくない。本当は誰にも、負けたくない。

 実朝にも、都にも。青九郎にも。自分にも。


(まだ大丈夫。まだ平気だ)


 立ち上がる。手には抜き身の守り刀と、それを収めていた鞘を握りしめ、大きく深呼吸をした。


「感心するぜ、その根性にはな。だが、そこからどうするつもりだ? ずっと攻撃を受け続けるだけか?」


 勝つ算段など思い浮かばない。何をシミュレートしてもエンディングは悪い結果しか見えない。

 出来るならば守り刀を振るって、一矢報うくらいはしたい所だが、懐に潜るのも出来そうにない。


「死ぬまで立ち上がるしかないよ」


「そうか。なら死ね」


 青九郎の体がそれまで所定の場所であった所から動いた。目に見えない速さ、と言うわけではないが腫れた清澄の瞼から覗く瞳からでは姿など捉えられるはずもない。

 気づけば目の前に拳があって、鐘を打ち付けられたような衝撃が頭に響く。意識が飛んだ。世界が白く光って、誰かの悲鳴だけが高らかに聴こえる。


(きーさんかなぁ)


 名を呼ぶのは、やはり彼女だろうか。

 実朝も都も、呼んでくれているのだろうか。


「清澄さんっ!」


 何度駆け寄ろうとしたか。何度割って入ろうとしたか。

 その度に止められた。これは彼らの戦いなのだと親に、村人に止められた。

 けれど、もう無理だ。限界だ。

自分はどうなろうといい。清澄の為ならば青九郎の妻にもなろう。子供も産もう。

 だからもういいだろう?


「真姫!」


 もう誰も止めないで!


 そう願ったのに、聞き届けては貰えない。

 止めたのは、実朝だった。

 止めたのは、都だった。

 左右の腕を二人に掴まれていた。


「なんで! どうして!」


「……っ、く」


「う……っ」


 痛いほど手を握られた。

 実朝は真姫よりも苦しげに顔を歪め、歯を立てた唇から赤い血を流していた。


「……きよ、っ」


 都は目を開いて、一秒たりとも見逃すものかと真姫の手を握りながら清澄を見つめていた。

 瞬きすら許さず、充血した目が涙を滲ませても、その瞳が閉じることは無かった。


 まだ立とうとする。爪が剥がれるのもお構い無しに砂を掻いて、立ち上がる。


「まだ立つか!」


 本当に殺さなければ終わらない。青九郎に焦りと苛立ちが生まれた。

 少し痛い目に合えば、こんな女子供、泣いて逃げると思っていたのに。

 根性ではない。執着とプライドと狂気の成せる業だろう。


「いいぜ? やってやるよ」


 何度も立ち上がり足掻きもがく平凡な少女に敬意を払い、青九郎は赤くその目を光らせた。

 プツン、額が割れ、血とともに赤黒い角が生える。

 鬼化。それが何の意味を持つのか分からない者はここにはいない。


 誰もが思った。これで終わりなのだと。

 彼女は死ぬ。紛れもなく鬼となった彼の一撃で。


 ぐちゃ。


 地面に彼女の頭を押し付けた。

 血だまりが広がる。

 肉が潰れる音がした。


「終わりだな」


 死んだか?


 とりあえず少女の右腕を掴んで持ち上げた。


「あ?」


 手にあった守り刀は地面にない。いまだ右手の中にある。


「意識もねえくせに」


 振るった。体ごと揺さぶってやっと刀が落ちる。

 カラン。乾いた音と共に地面に落ちた刃が欠けた。


「やっぱ呆気ねぇな」


「ぅ」


「はあ?」


 うっすらと目が開いた。左目は叩きつけられた衝撃で潰れていたが、もう片方の目はまだ意識を持って青九郎を見つめている。


「おいおいおい……マジかよ」


 死んではいない。むしろまだ戦うつもりだと言うように、唇の端がクッ、と持ち上がった。


「……!?」


 投げ飛ばせ。今すぐこいつから離れろ。そう脳内で警鐘が響く。


 意識などとうに無かった。無かったからこそ、本能が理性の楔を焼き切って、無意識に沈んだ本性を浮かび上がらせた。


(ああ。あはは)


 なんて、綺麗な瞳だろう。


 昔、母親の大事にしていたアクセサリーを仕舞った宝箱のように綺麗で可愛い小箱にあった、赤い宝石の指輪みたい。


(いいなあ。欲しいなあ)


 まだ清澄は青九郎に腕を掴まれて、ぶら下がっていた。

 目の前にまで吊り上げられた体は丁度、青九郎を見下ろすくらいには近く、左手に持った守り刀の鞘を振り下ろすには良い位置にあった。


「えいっ」


 無邪気に笑って、突き刺した。

 “練国 清澄” と刻まれた文字がズブズブと青九郎の右目に沈み込んでいく。


「が、あ?」


「青九郎!?」


 誰かが名を呼んだ。観衆がざわめく。


「あ? あ?」


 状況が掴めない。掴めるはずが無い。

 鬼はまだ無事な片目で見た。

見てしまった。


 手を離し、落ちた体が立ち上がり、その場に落ちていた欠けた刃を拾う。


「……」


(殺さなきゃ)


 そう教わったことを思い出す。

 練国は、天翔院に仇なす敵を殺す役目を持っている。


『いいか、清澄。お前も練国の一員ならば、情に流されず冷徹に、冷酷に』


「敵を排除する」


 そう。それが練国。


 刃を振り上げる。巨大な鬼の体は清澄の足下で刺された目を庇うように丸まって、とても小さく見えた。


「ひ」


 鬼の口から恐怖が漏れた。

 生まれて初めて感じる、本物の、狂気だ。

 真姫の狂気など狂気と言わない。本物の狂気とは、力など持たない。

 非力で弱い、暴力とは無縁の彼女だからこそ、狂気は輝く。


 誰の為でもなく、自分の為でもない、無意識の殺意に青九郎は悲鳴を上げた。

 理不尽な死を感じた。何の目的もなく殺される自分が怖かった。


「やめろ! やめろぉっ! 来るなぁあああっ!」


 清澄が腕を振り下ろす。


「練国 清澄!」


 鬼の悲鳴は降参を認めた。

 振り下ろした腕は、いつの間にかそこにいた真姫の父によって止められていた。


「君の勝ちだ……」


 足下で何かが震えている。

 ガタガタ、ブルブル、白い鞘が突き刺さった右目から血を流しながら、無事な左目で清澄を見上げている。

 清澄はそれをぼんやりとした右目で見つめていた。

 左目は熱くて、痛くて、何にも見えない。


 きょろり。辺りを見回す。

何も見えない。

 きょろり。もう一度見渡す。

何も見えない。


(見えない)


 誰もいない。


(あれ?)


 辺り一辺、白い闇が覆った。

 青九郎も、真姫の父も見えなくなった。

 ただ一人、自分だけがそこに立っている。


 ところで。


(私は、誰だろう?)


 確か、自分を証明する何かをこの手に持っていたはずだ。

 手を見る。何も無い。


「あ……やだ……」


 私は誰だ? 私は誰だ?


「いやだいやだいやだ!」


 私は誰だ? 私は誰だ?


「いやだ! いやっ! きーさん!」


 名を呼ぶ。唯一、思い出せる名を呼んだ。


「きーさん! きーさん! どこぉ! どこにいるの!? いやだよぉ! 助けてよぉ!」


 ぼろぼろと壊れたように泣き出した。ずっと我慢してきた涙が決壊したように流れた。

 赤子のようにわんわん泣いて、名を呼ぶ。

 私を呼んでと泣いて叫んだ。


「きーさぁん! うわあああああっ!」


「……っさん! 清澄さん!」


 へたり、と、都が力なく座り込み、遠くで清澄を見ていた。

 実朝はその隣で泣いていた。怖くて、恐ろしくて、安堵と喜びと、何もかも綯交(ないま)ぜにした感情を溢れさせていた。


 真姫は、泣きわめく清澄の元に一目散に駆け寄った。

 抱きしめて、泣きすぎて引きつけを起こした清澄の背を撫でながら何度もその名を呼んだ。


「清澄さん……っ、清澄さん……、わたしはここにいます……ここにいるから……」


 ごめんも、ありがとうも言えなかった。

 血を流し、傷を負い、それでも彼女が望むのは肉体の救済ではなく、魂の救済だ。


「清澄さん……清澄さん……」


 真姫はそれからずっと名を呼び続けた。彼女が安心して気を失うまで、ずっと、貴女はちゃんとここに生きて存在しているのだと教える為に――

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