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練国 清澄と可愛い鬼嫁  作者: 優凛
第四章 目覚めの時
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⑶おかえり

 ガタンゴトン。そんなレトロな音は昔のこと。今はもう大分静かで、車内は揺れ一つ無く穏やかだ。

 車窓に肘をつき、清澄はのんびりと窓の外の風景を見つめている。

 田舎も田舎、地図にも載るか載らないかの辺境の地。いや、隠された地と言えば聞こえはいいか。

真姫の居る鬼那里も、三人の少女達の村も遠く遠く、一番近くにある町でさえ、その存在は知られていない。


「……」


 清澄。そう呼ぶことすら躊躇われるほど、ここ数日の彼女は近寄り難い。

 真姫が居なくなって一週間、抜け殻となったかと思えば急に元気になった彼女に不安がないわけが無い。

 何よりも、あれ程、思い出したくも無いほど嫌っていた天翔院の村へ帰るというのに、その旅路を楽しげに行く彼女の精神状態の危うさは二人の友を慎重にさせざるを得なかった。


「いい天気だねぇ。まさに帰郷日和だ」


「……そうね」


 まだ世間は夏休みだが、早朝のダイヤルに乗ったおかげか人は疎らで、車内アナウンスだけが無駄に広々と響いている。

 席はほとんどが空席だ。三人は四人がけの席に腰掛け、進行方向側に並んで座る都と実朝は特に会話も交さぬまま、目の前の一人で座る清澄を注意深く観察していた。


「キヨ? ご飯はちゃんと食べた? もし食べていないなら、サンドイッチを作ってきたから、これをお食べなさいな」


「……姫の手作り?」


「うふふ。まさか」


「私の手作りだよ」


 お姫様に包丁を持たせるなど、とてもとても。卵とハムだけのシンプルなサンドイッチだが、実朝の手作りともなればどれほどの価値があるか。

 受け取り、口に運んで、租借して、美味しいの一言を呟いた清澄の目はすぐに窓の外に向いた。

 それからしばらく無言が続く。


(本当は止めるべきなんだろう)


 ずっと後悔ともつかない、むず痒く歯痒い思いが実朝の胸に重く渦巻き、掻きむしりたくなる衝動が激しく続く。

 目の前にいる最愛の恋人である都よりも、自分の人生よりも大切な清澄が、自分の意思で望んだことだ。

 あれほど、死ぬ程、帰ることを拒んでいた清澄があの故郷の村へ帰ると言う。


(それは、つまり、“死ぬ程帰りたくない場所へ、死にに帰る”……ってこと、だよな)


 真姫を助けに行く。真姫を取り戻しに行く。真姫を迎えに行く。


 何故だろう? どうしてだろう?

 どれもしっくり来ないんだ。


(清澄は何をしに帰る?)


 不安がねっとりと絡みつく。

 怖くて堪らない。悲しくて堪らない。清澄ではなく、実朝がそう思う。

 都を見る。彼女もそうなのだろう。清澄を見つめる表情は何処か緊張し、実朝の視線に気づいて合わせた視線は何かの同意を求めている。


「きよ」


 重苦しい空気の中、必死に呼吸をして、都が名を呼ぶ。

 清澄がこちらを向く。

 笑う。幼い子供のような無垢な笑顔で「なあに」と応える彼女の中に、もう迷いも苦悩も無い事に気づいた。


 危うい。既に溜まりきって膨れ上がった“何か” が破裂したのか、それとも破裂寸前なのか。

 どちらにせよ、手遅れなのだ。


(私達の声はもう届かない)


 理性が切れたか、常識がなくなったか。我慢の限界だったのかもしれない。

 極度のストレスを感じて?

 真姫がいなくなった喪失感に?

 それとも暴力を受けて、脳に障害が?


 何かが、ぷつり、と切れたのだろう。


 そうでなければ、清澄はこんな選択をしない。こんな馬鹿げた選択を。


(帰ろう。もうやめよう。そう言って聞くなら、いくらでも言えるのに)


 清澄(かのじょ)の瞳にいつも湛えられていた暗い感情は、


 彼女の笑みにいつも混じっていたあの暗い感情は、


(君が、死ぬなら)


 更に、深く、深く、深く、深く、深く、まるで底なし沼の底から湧き上がり、小さくも残っていた光を呑み込んで、さらに暗く染まっていった。


(わたしも)


 いっしょに、連れていって。



「よりよい方向へ行くには」


 さて、どうしたものか。


 思わず都が呟いた声は誰の耳にも届かず消えた。


 目的の駅に着き、そこから徒歩で天翔院の村へ行くには山をひとつ越えねばならない。

 無人駅と言う方が聞こえが良い、寂れたコンクリートの土台があるだけの駅に降り立ち、三人は長距離移動の長旅の一行程を終えたことに重い溜息をついた。


(元からキヨは危うい子だったけれど、それ以上に実朝も危ういのよね……)


 清澄を自らの世界と宣うくらいだ。その世界が壊れたら、まあ、その住人も道連れにはなるのだろう。


(馬鹿ね)


 本当に馬鹿。都の事など考えてもくれない。実朝も。清澄も。


(私は追いかけてはあげないわ。一緒になんか逝ってあげない)


 清澄が行こうと、実朝が行こうと、一緒に落ちてはあげられない。

 それは都のプライドであり、二人の大切な幼なじみの最後の命綱であろうとする意志だ。

 今から清澄が何を成しに行くのかは分からないが、都は止めるつもりもないし、自分に止める権利もない事を知っている。


 これは、清澄と真姫の試練(はなし)なのだ。自分と実朝は部外者で、だからこそ実朝も何も言えないのだろう。


(私は見届けるだけ。応援をしてあげるだけ。そう、それだけ)


 その結末がどんなに苦しくても、辛くても、目を逸らさないようにするだけ。


(それでも、よりよい方向へ行くには、導き手がいなければ)


 それは誰? わからないけれど、村へ行けば見つかるかしら?


 都の中にだけ一縷の希望を灯して、三人は緑で埋め尽くされた山の中へと足を踏み入れた。



「おお」


 山を降り、切り開かれた大地に青々とした田畑が広がる。

 帰ってきた。そう思わせるには懐かしすぎるほど懐かしい風景だ。

 『この先、天翔院の村。部外者立入るべからず』

 そう記された立て看板に、鳥居を模した大層な門の前で清澄の足が竦んだ。

 今にも心臓が潰れそうな痛みに顔を歪め、荒い呼吸が過呼吸を引き起こす。


 思い出が溢れる。嫌な思い出だけがその先にあった。


 怖い。辛い。嫌だ。覚悟したはずの頭が幼い子供のように駄々をこね出す。

 行きたくない。門すら清澄を全否定しているように思えた。


「清澄……」


「キヨ」


「どう、して、も」


 声が震える。か細く、痛々しい声で、なんとか言葉を紡ぐ。


「い、か、な、きゃ、だめ……っ、な、の?」


「もうじき日が暮れるわ……」


「さすがにもう一つ山を越えるには危険だよ」


 清澄の目的は真姫に会うことだ。それまでに何か危険があっては、それこそ本末転倒ではないか。


「私は一度、本家に帰るわ」


「私と清澄は皆守の家に。きっと母さんも喜んでくれるよ」


 さあ、帰ろう。その言葉は正しいのか。

 実朝に背を軽く押され、足が動く。

 門を開けた瞬間、生ぬるい空気がまとわりついた。

 嫌な空気だ。大嫌いな空気だ。


「おお……おお! 都様だ!」


「姫さま! おかえりなさいまし!」


「皆守の実朝も! おお、よくぞ帰られた!」


 じっとりと、多くの視線が三人に絡みつく。

 広くも小さな村に一陣の風が吹き抜けるが如く彼女達の名は拡がり、行く先々でざわめきが起こった。

 清澄の名は呼ばれない。ただ突き刺すような視線だけが彼女の存在を貫いた。


「姫さま! お帰りになられるのなら一言仰っていただければお迎えに上がりましたものを!」


「ささっ! はよう長様の所へ!」


「キヨ……また明日」


「ん……」


 手を小さく振った。バイバイ。

その姿が在りし日の自分達の姿に重なる。

 全ての村人に愛されるお姫様がお家に帰った。

 実朝と二人、また歩く。


「実朝?」


「母さん」


 実朝の切れ長の聡明な瞳は母親譲りだ。歳はそれなりに、熟れてはいるが未だ透明感のある美しさは顕在で、皆守(みなもりの) 頼朝(よりとも)は二人の娘の姿を見つけると抱えていた籠を放り投げ、着物にも関わらず小走りで駆け寄った。


「まぁ……まぁ! よく帰ってきてくれましたね! 二人とも向こうではちゃんとご飯は食べていましたか? ちゃんとお片付けもしていましたか? 実朝は少し背が高くなったかしら? 清ちゃんは……ああっ、もう、この子は……大きくなって……」


 二人の肩を抱き、頼朝は目尻に涙を浮かべて嬉しげに笑った。


(ああ)


 笑うとやはり姉妹であるあの人に似ている。

 お母さん。何だかんだ言っても、実朝はこの母親に愛情を持っている。

 少し緩んだ表情を見上げ、清澄は俯いた。


「さあ、早くお家へお上がりなさい。お父様にもご挨拶を」


「……ん」


 実朝が頷き、清澄を見る。


「じゃあ、また」


 ここから先は、実朝のお家。

 申し訳なさそうに四つの目が清澄を見つめる。

 歓迎されたって、ここは清澄のお家ではないのだ。


 バイバイ。またね。


 そう言って清澄はくるりと踵を返し、皆守の屋敷の母屋から少し離れた小さな土蔵へと向かった。

 少し朽ちた、ひび割れた土壁のお家。ここが皆守の温情で清澄に充てがわれた住まいだった。


 鍵も掛かっていない重い扉を開けて、中へ入る。

 埃と土の臭いが充満した部屋に、どれほどぶりか、新鮮な空気が舞い込んだ。


「変わってない」


 床に直に置かれた古ぼけた本や所狭しと並べられた骨董品など、物置部屋の機能を為しながら、違和感のある布団や日用品を内包した清澄の部屋は、彼女が出ていったあの日と変わらぬまま放置されていた。


 ただいま。そう言うべきなのだろうか。


 清澄の帰るべき場所は、本当は此処ではないと、今も心のどこかで思い続けている。

 まだ、未練が心のどこかにあって、彼処(あそこ)へ帰りたいのだと思っているらしい。


「……」


 格子の嵌った窓から見える空は、いつの間にか青く澄んだソーダ色から、藍色と茜色の二色の空へと変わっていた。


「清ちゃん? ご飯を持ってきたのだけれど……」


 一度、冷麦の入った器を載せた盆を下に置いて、頼朝が開いた土蔵の中に清澄の姿はなかった。


 夜は、文明の利器を拒む、時代に取り残された古き村に深い闇を齎す。

 村人は闇を恐れ、星や月の光があっても外に出ることは滅多にない。

 そんな暗闇に乗じて、清澄はやって来た。来てしまった。


『きよすみ。さあ、こちらへ』


 会えば、優しい笑みで名を呼んで、私達は家族なのだと言ってくれたなら。


 少しでも、清澄を真っ直ぐに見て、その存在を認めてくれたなら。


「あ……」


 それならば、よかったのに。


 よかったのに、なぁ。


『清澄ー。ご飯ですよー?』


 とたたたた。小さく、軽やかな足取りが壁の向こうから聴こえた。


『はーい!』


 子供の声が元気よく返事をする。


「っ!」


 私は、ここにいるのに。


「ぉ、かぁ」


 門の向こう、玄関の向こうに居るのは、誰?


 ぎゅっ、と伸ばしかけた手でシャツの裾を握りしめ、俯いたまま下唇を痛いくらいに噛み締めた。


「誰だ」


 不審な気配でもしたのだろうか、年老いた男の声が俯いた頭の先で聴こえる。

 顔を上げることが出来ない。

 聞き覚えのある声だ。


(知ってる。知ってる。知ってる)


 ぐ、と詰まった息が喉から漏れる。


(お、じい、ちゃん)


 厳格を絵に描いたような、強くて、厳しくて、でも時々優しくて、


『お前は要らん』


 あの時、清澄を捨てた祖父が其処に居た。


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