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練国 清澄と可愛い鬼嫁  作者: 優凛
第四章 目覚めの時
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⑵清澄の決意

 まるで最初の頃に戻ったみたいだ。

 玄関を開けて、最初に聞こえる声はもう無い。

 一緒に帰ってきた時だって、毎回先に家に上がって『お帰りなさい』と出迎えてくれた彼女の姿は今はもう残り香すら無くて、今までの記憶は夢で見ていたものだったんじゃないかと思える程、呆気なくその存在は消えた。


 ご飯を食べる。炊飯器の中には昨日の残り。食べ切れない程、炊くんじゃなかった。


 お風呂に入る。こんなに広かっただろうか。


 布団に入る。夏なのに寒々しい。


 君がいない。音もない空間が怖く思えたのは初めてだった。

 眠れなくて大好きなゲームをしてみるけれど、画面の中の主人公がドットの塊にしか見えない。

 点が点を消滅させているだけの動画。楽しくない。


 誰を責めれば楽になれただろう。自分を責めるしかないのなら、自分の何を責めれば良かったのだろう。


(あれだけ、きーさんに慰めてもらったのに……結局、こうなるんだ)


 結局、自分は駄目な奴だと憎んで、呆れて、憐れんで、最後はまた独りになって救われた筈の馬鹿馬鹿しいコンプレックスに埋もれていくのだ。

 小さく丸まって、微粒子になるまで存在を畳んで、折って、気配をけして、私はこの世界にいませんよ。なんて自傷すれば楽になる。

 最初から、鬼頭 真姫なんて居なかった。そう思えば楽だ。そう思おう。


(私なんか忘れればいい。助けられなかった。足でまといだった。好きになる価値もなかった。そう思えばいい)


 ぼんやりと部屋の中で佇む。

 目を閉じて、床にゆっくりと這いずるように寝そべって、思考が妙に冷えていくのを感じていた。


 悲しくもない。怒りもない。楽しさも喜びもない。

 昔に戻る。世界を閉じて、また自分を殺してしまえばいいのだ。

 そうして清澄はまた“清澄らしきもの” に戻っていった。



「……」


 夏らしい空は青く澄みわたり、白く大きな入道雲を抱え、絵画のように美しい。

 現実的ではない、とでも言おうか。嘘みたいな空を仰いで、中庭の折れた大木跡を見て、現実に引き戻される。

 鬼なんて非現実的な生物が、ある日、自分の家に嫁入りしてきたなんて、本当に夢のよう。

 思えば幼い頃に彼女に出会った事自体、夢だったんじゃないか――って。


「はぁ……」


(どれだけ無かったことにしたいんだろう。屑が)


 自分が嫌いだ。前よりももっともっと嫌いになった。


(見捨てたんだ。守れなかったし、私のせいで連れていかれた。なのに取り返しに行く勇気もない)


 ぎゅう、とスカートの裾を掴んで握る。

 俯いて、ますます嫌悪感に陥った。


(好きって言ってあげれなかった。あんなに想ってくれていたのに、報いてあげれなかった。救われたのに、救ってあげれなかった)


 自分の価値が下がる。どんどん、どんどん下がって行く。


(私は、なんだ?)


 今、ここにいて、この場所に立ち尽くしている自分はなんだ?

 人間か。女か。生きているのか。

 練国 清澄とは、なんだ?


 考えれば考える程、存在が泥沼に沈んでいく。息もできない。

 やがて、思考が溶けて、今自分がどうやって立っているのかさえわからなくなってきた。


「ねえ、夏休みなのに何であの子がいるの?」


「生徒会長の都様の付き添いらしいわよ」


「えええ? 何それ。こんなの連れてきても役になんか立たないでしょう?」


 しばらくの間、聞こえてこなかった声が聞こえた。

 彼女がシャットダウンしてくれていた暴力的な鋭い言葉が溢れる。蔓延する。


「ちょっとぉ。ちょーウザイんですけど。どっかいってくんない?」


「なんでアンタみたいなのが都様や実朝様にくっついてんの?」


 押されて、叩かれて、物をぶつけられて、倒されて、あの娘が守ってくれていた体は際限なく傷つけられて、土や血に汚れていく。


 清澄の心は現実にはなかった。

だから、痛みは遠くにあって、罵りも蔑みも遠く霞んだ向こうにあって、返すべき反応が一ミリも表れずにただ不気味な印象だけを少女達に与えた。


「なに……やだ……気持ち悪い」


「ちょっとヤバイんじゃない? これ……」


「ほんと……“死ねばいいのに” 」


「……ぁ」


 ああ。


 清澄の目が開く。視界にかかっていた霞が晴れた。

 音がした。壊れる音。

 ハッとした。思考が生まれた。


「あ……ははは、あははははは」


 思い出した。


 やっと思い出したのだ。


「ちょっ、ぅあっ、ヤダっ!」


「何こいつ! キモイキモイキモイ!」


「嫌っ! もうあっちに行こう!」


「あはは……あー……ほんと……“ありがとう”……」


 いつもの泣きそうな笑顔ではない。心から喜びを沸き上がらせた幸せそうな笑顔を浮かべた。


「きーさん、やっと思い出したよ。私、私ね?」


 綺麗な夜空に誘われて、あの日、清澄は山に入った。

 小さな子供が一人、真っ暗闇の山に分けいって、何をしに行ったと思う?


「わたし、は、あの時、死にたかったんだよ?」


 山へ、死にに、行ったのだ。


 親に、一族に捨てられて、もう誰にも迷惑をかけない様に、幼い清澄は自らの命を捨てようとした。

 でも真姫に拾われた。救われた。救われてしまった。


「だからね? 返しに行くよ」


 あの時、彼女に貰った命を、人生を、返しに行こう。


 ジャキン。中庭に設置されたゴミ箱の上で、中途半端に伸ばした後ろ髪を切って、捨てた。


 あの頃と同じくらいの短さにして、原点回帰といわんばかりにバッサリと。


「キヨ!」


 都と実朝がその異変に気づいて駆け寄ってくるのを待って、清澄は落ち着いた、静かな声で言った。


「さあ。村へ帰ろうか――」

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