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練国 清澄と可愛い鬼嫁  作者: 優凛
第二章 他愛ない日常を積み重ね
11/25

⑷清澄という人

 練国 清澄の過去を語るには、それほど長々しい物語はいらない。


 彼女の不幸はただひとつ。

 田舎の、エリート思考の家に凡才として生まれた事だけである。


「私のことを聞いたって面白くもなんともないよ?」


 そう言って清澄は素直に話し出した。

 正直、もっと“ぐずる”と思われたが、彼女の口は躊躇うことなく言葉を紡ぎ出す。


「私は、天翔院一族の分家の一つ、練国の家の長女として生まれました」


 正座し、真姫と向き合うその身はたじろぐ事なく、またその目は一切の嘘はないと言わんばかりに真っ直ぐと真姫へと向けられている。

 他人行儀な話し方は、まるで本人ではない誰かの過去を語っているかのようだ。


「分家にはそれぞれ役目というのが課せられています。例えば、皆守なら本家の世話係として生涯仕えるように決められています」


 そっと目を閉じ、一呼吸が深く清澄の口から漏れる。

 真姫は静かに佇んで、淡々と紡がれる言葉を聴いていた。


「練国の役割は“敵の排除”です。武術を修得し、天翔院に仇なす者を速やかに排除する。つまりは護衛や用心棒です」


 練国に生まれた者は幼い頃から一通りの武術を叩き込まれ、将来は天翔院家の護衛や暗部として働くことを義務づけられていた。

 だから、清澄も物心ついた頃からそう言った修行をさせられた。

 しかし、誰でも最初は“上手く行かない”ものである。


「私は、できそこない、でした」


 大人達は最初は失敗も必要なものだと思っていた。だから、皆、その失敗も可愛いものだと清澄を温かく見守っていた。

 練国の長の、初めての子である清澄だから、まだこの頃は期待も愛情もあったのだろう。


「けれど、出来ない子はどんなに努力をしても出来ません」


 修行は行き過ぎなほど苛烈だったわけでもなく、きっと普通に行われていた。

 普通に、緩やかに、根気よく祖父が教え込んでくれた。


「自分なりに努力をしたと思っていました。もしかすると、それは努力と言うには全然足りなくて、誰から見ても努力じゃなかったのかも知れません……けれど」


 子供心に親に褒められたくて頑張った。朝も昼も夜も頑張ってみたけれど、芽は一向に出てこなかった。


「きーさんも体育で知っていると思うけれど、私、運動が駄目なんだ。苦手なんかとうに超えてて、センスがないレベルなんだ」


 急に元の清澄の口調へと戻る。

 それは息の詰まるような過去を語る間のほんの小休止のようなものだ。


「走っても遅いし、跳んでも低く、距離は短いし。ボールを蹴れば明後日の方向へ行くし、投げれば真上の方向へ飛ぶし。

団体戦なんて足でまといにしかならないからチームを組んでくれる人は稀だった。勿論、個人戦は毎回最下位争いで必死だったよ」


 そんな人間が、武道を極めることなど到底出来るはずがなかった。

 ついに一族の期待は底をつき、清澄には出来損ないの烙印がついてしまった。


 ああ、この子は駄目だ。

 烙印がついた日から、周りの目は冷たく、刺だらけになって清澄を貫いた。

 特に両親は落胆だけに留まらず、清澄を憎み、蔑んだ。


 今の練国 清澄を構成する大部分はここから生まれる。


「分家と言えど、彼らは天翔院の一族であり、選ばれた者達でした。彼らにとって、天翔院に仕えることは最高の誉れであり、誇りでした。だからこそ、練国の長の血を引く子供が出来損ないだったことが許せなかったのです」


 清澄の唇の端が小さく釣り上がった。細く三日月を作った目元は、歪で、霞がかったような瞳を覗かせている。

 真姫は唇を真っ直ぐに引き結び、怒りにうっすらと瞳を発光させたが、それでも一言も発さなかった。

 ただ黙って清澄の話を聴いている。それが終わるまでは何も言わないと、太股の上に乗せた二つの拳が固く決意を語っていた。


「私は出来損ないでした。何に対しても駄目な子供でした。運動も駄目、勉強も駄目、一族の期待する子供にはなれませんでした」


 だからある日、本当に突然、縁が切れてしまいました。


 ああ、“見限られる”と言うのは、こう言うことなんだな。と、身をもって知りました。


「要らなくなったから、ある日、私は別の家へと送られました。そこには、私の伯母がいました。伯母は私への練国の扱いを見て、私を哀れに思って、引き取ってくれました」


 皆守の家へ引き取られた。そこで実朝と出会い、かけがえの無い親友を得、清澄は幸せになりました――

 そんな話なら良かったのに。


「練国よりも上の役割を持つ皆守が、格下の練国の出来損ないを拾って良しと言うわけがない。伯母は優しい人でしたが、女の立場など無いに等しい一族のシステムで、自己主張など出来るはずもありません」


 引き取っても養子にするわけにもいかず、また、皆守の家で好き勝手に住まわせるわけにもいかず、清澄は本宅とは別に作られた物置小屋のような離で一人で暮らすことになった。

 伯母は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたが、それでも清澄と関わることはよく思われず、接触も最小限に抑えるようにと命じられていた。


「結局、練国であろうと皆守であろうと扱いは変わりませんでした。それでもご飯や寝る所があるだけ幸せだったと思います。そして、実朝と会えたことが私にとって一番の幸せでした」


 そう。皆守には幸い清澄と同い年で、清澄とはまた少し扱いが違うのだが、同じく大人達に疎まれ敬遠されている変わり者の子供がいた。

 清澄は必死になって実朝と友達になろうとした。そうすることで孤独を癒し、大人達から受ける理不尽な扱いを共感したかったのだ。


「でも、私と実朝は違いました」


 実朝は出来損ないではなかった。ただ単に、扱いづらい子供だったのである。


 共感など出来るはずがなかった。実朝は完璧で、大人達に疎まれようが、敬遠されようが、拒まれることは無かったのだから。


「……ずっと実朝が羨ましかった。実朝みたいに頭も良くて、運動も出来て、綺麗で、格好よくて、強い人になりたかった」


 世界中の誰よりも好きで、信頼出来て、憧れでもあった実朝にコンプレックスが湧き上がる。

 それは今もずっと湧き続けて、胸の中が真っ黒になるくらい広がっている。


「それから、そう、姫と出逢ったのも奇跡でした。まさか本家のお姫様と関われるだなんて夢にも思わなくて、初めて顔を合わせた時は息も出来ないくらい緊張してしまいました」


 都と出会ったのは実朝からの紹介だった。

 皆守の一族であったが為に、嫌々ながらも実朝は都の世話をさせられることが多々あった。

 要は遊び相手としてなのだが、清澄と出会う前の実朝にとって都の相手は疲れるだけのものだった。

 実朝の思惑は、都からの干渉を清澄にも分散させることにあったのだろう。


「都は凄いよ。昔から綺麗で、優しくて、誰も彼女には逆らえなかった」


 誰もが彼女を愛した。

 彼女の我が儘は何でも通るし、彼女が求めれば何でもその手の中に収まった。


「まさに彼女はお姫様なんだ。皆、都が好きで、彼女の為なら何だってするんだ」


 それが羨ましくて堪らなかった。自分も都みたいに愛してもらいたかった。

 それは死ぬまで叶わない望みだと理解した上で、清澄は都に憧れ、羨み、その反面で嫉妬した。


「……コンプレックスの塊なんだ。私は。自分でも分かってる。こんなのは理不尽な妬みだって」


 何も出来ない出来損ないの自分と比べたって適う筈もないのに、どうしても、いつも彼女達を追いかけてはひっそりと張り合って落ち込んでしまう。

 負けると分かっているのに。

 劣っていることも知っているのに。

 どうしても比べてしまう。


 はぁ。呆れた溜息が清澄から漏れる。

 目を閉じ、自身のコンプレックスの深さに、幼稚さに、眉を顰めて笑う。


「ね? どうしようもない過去でしょ? 面白くもなんとも無い、つまらない過去だよね」


 この話を聞けば、ある程度の人は同情してくれるだろう。

 親に捨てられて可哀想に。

 何も出来なくったって、子供は宝よ。可愛くないわけがないわ。

 なんて、言ってくれる人もいるだろう。


 またこの話を聞いた何人かはこう答えるだろう。

 お前の努力が足りないのだ、と。

 愛される努力が足りなかったのだろう、と。


「親に見限られたからって、こうやって生活費は出してくれるし、毎日何不自由なく暮らせてる。幸せだよね。きっと」


 世の中にはもっと不幸な人がいる。それは虐待だったり、家がなかったり、病気だったり。

 生きるのに苦労をしている人達に比べたら清澄の人生なんてイージーモードだ。


「……家族なんて居なくても、私は……」


 最終的に扶養の義務がなくなれば、練国は手切れ金を最後に清澄への送金を止めるつもりだが、それでも贅沢さえしなければそれなりに生きてはいけるだろう。


「跡取りはもういるらしいんだ。弟か妹かは知らないけれど」


「え?」


「私はもう、“清澄”でも無いみたい」


 ここまで来れば、もう何でも喋ってしまおう。

 つるつると言葉が清澄から零れ出る。


「覚えてるかな? きーさんがここに来た時に持ってきた、うちの実家からの手紙。

あれね、絶縁状だった」


「は……」


「『もう練国に貴方は要りません。鬼だろうと獣だろうと好きに婚ぐように。跡を継ぐ“清澄”ならば既に居ますので、貴方は練国 清澄の名を捨て、二度と家には関わらないよう――』」


 事実上の絶縁だった。

 そして、あの家にはもう“清澄”はいない。

 新しい“清澄”が居るから、古い“清澄”は最初から居なかったことになったのだ。


「ねぇ、きーさん。私は一体」


 何のために生まれて、今は何のために生きているのだろう。

 練国 清澄と言う存在すら、無くなってしまった。


「私は一体、誰なんだろう?」


 息が詰まった。喉で沢山の空気が詰まって、苦しかった。

 清澄のことを知りたくて、知って、怒りと悲しみで今は胸を掻きむしりたいくらい辛い。


(清澄さん……)


 言葉を紡ぎたいのに、詰まった喉からは何も出てこない。

 何かを言ってあげたいのに、何を言えばいいのか分からない。


 彼女は泣かない。泣きそうに笑うだけで、大きな感情を吐き出しもせず飲み込んでいる。


 抱きしめることは出来る。

 清澄は何も悪くないと言うことも出来る。

 好きです。あなたにはわたしが居ます。そう言うことも出来る。


 けれど、そんな言葉はあまりにも安すぎて、軽くって、清澄には届かないような気がした。


(都さまが言っていた……清澄さんの欲しい言葉と行動……わたしには分からない)


 正解があるかどうかさえ、真姫には分からなかった。

 心理学者だったなら、清澄の心を理解してあげれたのか。

 精神科医なら、清澄の心を癒してあげれたのか。

 まだ子供である人生経験の少ない自分では、その心を理解も癒しも出来ないと思った。


「ごめんね。こんな話で」


 ごろりと清澄が布団に寝転がる。布団を被って、枕に頭を乗せて、真姫に背を向ける。


「おやすみ。きーさん」


 この話はもうおしまい。


「……」


 息を吐いた。静かに呼吸して、真姫は胸に詰まった苦しさを何度も外に吐き出した。

 電気を消し、真姫も布団へと潜り込む。


「……」


 何も出来ない。言葉も出ない。

 それでも真姫は、何かがしたかった。


 ごそっ。身じろいで、真姫の二本の腕が清澄の背中から前へと伸ばされた。


「……っ」


 抱きしめる。強くはない、そっとした弱さで抱きしめる。

 言葉にならない想いで、清澄の肩に唇を寄せた。


 ひんやりとした涙が清澄を濡らした。鼻をすすり、小さな嗚咽が遠慮なく後ろから聞こえる。

 泣いてくれているのか。

 前に回された手がシャツの胸元を握りしめ、抱きしめられると言うよりは抱き込まれたと言える体勢に少し笑った。


 真姫の手に触れる。ぽんぽんと軽く叩いて、宥めてやった。


「……っ、み、さんは」


「……」


「きよすみ、さんは」


 見ずとも明らかな涙声は、暗闇の寝室にしっとりと流れ消えていく。

 心地いい声だった。優しくて、温かい声だった。


「きよすみさん、は、ここ、っ」


「……うん」


「きよすみさんは、ここに、います……っ」


「……うん」


 自然と清澄の声も真姫と同じように震えてしまう。

 同意なのか、ただの相槌なのか分からないが、真姫の声はちゃんと清澄に届いているようだった。


「ここにいるの、は、きよ、ひっ、く、きよすみさん、です」


「……うん」


「わたし、が、であったのも、すきになったのも、ここにいる、きよすみさん、ですっ」


「……っん」


 ぎゅう。抱きしめる力が強くなる。真姫の手に触れていた清澄の手にも力がこもった。


「きよすみさん……きよすみさん……」


 それは、真姫が泣きつかれて眠るまで続けられた。

 うわ言のように何度も何度も、あなたはここにいるのだと伝えるように清澄の名を呼んで。

 その声の心地よさに、いつしか清澄も眠りの世界へと落ちていくのであった。

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