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練国 清澄と可愛い鬼嫁  作者: 優凛
第二章 他愛ない日常を積み重ね
10/25

⑶実朝と真姫

 あなたの事を初めて知りたいと思った――


 夜。風呂から上がり、真姫は寝室にいた。

 丁寧に布団にシーツを被せ、皺一つ無い寝床を用意する。

 布団は二つ。清澄が真姫の為に新しく購入してくれたものだ。


「本当は一つのお布団が良かったんですけどねー」


 人知れず拗ねてはみるが、清澄の好意だと思えば我儘は言えない。まあ、二つの布団を隙間なく敷けば、勝手にころりと転がるだけでその境界など有って無い様なものだから、結果的に不満はないのだけれど。


「んー……」


 清澄はまだゲーム中だ。彼女はいつも時計の針が明日を指すまでゲームをしている。

 無我夢中でコントローラーを奮う清澄は一見微笑ましい反面、どこか歪だ。

 うまくは言い表せないが、まるで心が現実から離れている感じ。

 必死で此処から目を逸らし、何も考えないように思考を放棄した。まさに夢の中へと飛び込んだ、そんな危うさを感じた。


『真姫は――』


 敷いた布団の上で正座し、目を閉じる。

 頭に浮かぶのは今日の出来事。

 心にとどめた実朝との会話。


「真姫は、清澄のどこを好きになったの?」


 夏の日差しが容赦なく乙女の肌を苛む炎天下。広大なグラウンドでは少女達の甲高い声援と数多の蝉の声が入り交じり、大合唱となって外を賑わせていた。


「……」


「失礼は承知で聞いたんだ。勿論、清澄に魅力がないとは言っていない。だから文字通り目の色を変えるのはやめなさい」


 微発光した青緑色の目に苦笑しつつも、実朝が真姫に怯えることは無かった。


 パァン。スターターピストルが撃たれ、乾いた空砲の音が鳴ると同時に五人の少女達がスタート地点から飛び出していく。

 百メートル先のゴールを目指し、隣のあの子にだけは負けないとばかりに誰もが全速力だ。


「次!」


 走る順番を待つ列が一列動く。

 実朝と真姫の二人の前列がスタート地点の白線についた。

 五人の少女がクラウチングスタートの姿勢で、今か今かと合図を待っている。


「……優しいところです」


「ん?」


「清澄さんの好きなところ」


「ふぅん?」


 ちらりと実朝が後方をのぞき見る。清澄は都と同じ列にいて、苦手な体育に気の滅入った表情を浮かべていた。


「優しいところ……ねぇ」


「なんですか?」


 軽く鼻で笑われた。それは清澄に対してではなく、明らかに真姫に対してだ。

 ムッと不機嫌に眉を顰める。しかし、実朝の言葉に刺はあれど馬鹿にした響きはなかった。


「君が清澄を好きな気持ちは分かってる。認めてもいる。理解もしている。でもね、君があの子の何を知って好きになったんだろうか……ってね」


 実朝の疑問に真姫は怪訝そうに首をかしげた。

 質問の意図が分かるようで分からない。


「ごめんなさい。わたしには実朝さんの言葉は難しくて、答えようがありません」


「……優しいところは好きになる価値がある。それは分かる。でも、それじゃ足りない。清澄を納得させる理由にはならない」


「え?」


「次の組!」


 体育教師が号令をかける。次は真姫と実朝達の番だ。

 白線に五人の少女達が一列に並び、クラウンチングの姿勢を取った。全員が見つめるのは百メートル先のゴールのみ。


「位置について!」


「君は」


「よぉい!」


「清澄の」


――ぱぁあん!


「何を知ってるの?」


 その音だけを残し、実朝の背中が前に出た。

 速い。一瞬で誰よりも先に飛び出し、重みを感じさせない軽やかな足取りで駆けていく。


「このっ!」


 ズン! 一歩。前に飛び出して左足を重く地面に着いたかと思えば、次には真姫の姿は実朝の背中に近づいていた。

 羽のように軽い実朝の走りに対して、真姫の走りはパワフルだ。

 その足が地面を蹴る度に抉られた土の跡が残る。


 呼吸をするのも忘れるほど、観戦者達は二人の走りに魅入っていた。 


 トップを走る実朝に、真姫が切迫する。彼女が抜かしそうになる度に誰かの悲鳴が小さく上がる。


「……!」


「っあっ!」


 ラスト。たった十二秒の戦いだった。

 ゴールに引かれた白線の上に、二人の足が同時に乗る。


 勝負は足が離れる瞬間だ。


「……っ!」


 どっちだ? どっちが勝った?

 

 歓声はまだ起こらない。


「はぁ……っ!」


 最後は気合いか、それともプライドか。真姫の胸が突き出され、まさにゴールへと飛び込んだ。


 ドサッ。そのまま地面に全身で着地する。

 ゴールした瞬間、真姫も実朝も急激に荒い呼吸へと変わり、大量の汗が肌から吹き出していた。


 大きな歓声が沸く。激闘を見せた二人に惜しみない拍手が贈られる。


「はぁ……はぁ……」


「ふぅ……ふぅ……」


 互いに目を合わせ、実朝が手を差し出し、真姫がそれに掴まって立ち上がる。

 ゴールにいては邪魔だと、近くの木に移動し、背をあずけ座り込む。


「凄いね……初めて負けたよ……」


「あなたのこそ、っ、何者なんですか? わたし……勝ったけど……は……鬼は……普通の人間より、身体能力が……高いのに……」


「はは、まぁ、そこは……天翔院だから、かな」


 息も切れ切れに互いを称え、次のレースに目を向ける。

 清澄と都の番はまだ先のようらしい。


「それで、さっきの話なんですけど」


 息を整え、話を戻す。

 スタート前に実朝が真姫に言った言葉の話だ。


 パァン! スタートの合図が空に掻き消える。


「どういう意味ですか?」


「どれのこと?」


 例えば、優しいと言う理由だけでは清澄は認めないと言う話か。

 それとも清澄の何を知ってるのと言った発言のことか。


「そのどちらもです」


「そう、どちらも同じ話だね」


 睨み合う。ジッと見つめて、先に目を逸らしたのは実朝の方だ。

 自嘲した笑みで、まずは謝る。


「ごめん。真姫のこと嫌いじゃないけど、清澄を盗られると思ったら少し意地悪なことを言いたくなったんだ」


「意地悪って……実朝さんは、清澄さんのこと本当に好きなんですね」


「そうだね。ああ、でも恋愛とかじゃないから安心していいよ」


「安心……できませんよ。恋愛じゃなくても、あなたの“それ”は厄介じゃないですか」


 “それ” は恋ではないが、愛ではある。家族愛と言えば家族愛かもしれない。

 けれど、真姫には実朝の“それ” がそれ以上のものであると何となく感じ取っていた。

 最初から仲良くしてくれているようで、その目はいつも品を定めているような、そんな気がしていたから。


「意外と聡いね。でもさ、仕方ないじゃないか。あの子は、私の世界なんだから」


「世界……?」


「そう。世界。その話をすると長くなるけれどいいかな?」


「是非。お聞かせください」


 それは初めて聞く、実朝と清澄の幼い頃の話だった。


「小さい頃の私は今よりも擦れててね。親にも、周りにも興味が無くて……嫌いだったんだ。何もかもが。天翔院ってやつがね」


 生まれてからずっと反抗期だったのだろう。

 天翔院の創り出した歪んだ一族のシステムから、天翔院に媚びる者達、エリート意識、選民思想にどっぷりと浸かった一族、両親、全てに実朝は嫌悪感を持っていた。


「昔から本にしか興味を示さなくてね。誰が話しかけてきても無視をしていたから、親さえも私の扱いには困っていたんだ」


 どんなに優秀な子供でも、扱いやすくなければ価値は減る。

 皆守の大人達はそんな実朝の扱いを放棄し、実の親でさえ腫れ物を触るように接していた。

 それでも頭の良い、将来性のある彼女を特別には思っていたのだろう。選民思想的には愛されていると自覚はあった。

 それは今も継続中だ。


「そんな私に、たった一人だけ、しつこいくらい懐いてくれた子がいたんだ」


「それが清澄さん?」


「うん。わたしが構ってくれるまで、ずっと話しかけてきてね。話題を作るために何でもしたよ。

運動神経が悪いくせに木に登って、落ちて、それでも生った実をもいで来てね。『これは何? 何の実か教えて!』って」


 毎度毎度、傷をこさえながら色んなところから色んなものを運んできては、実朝に見せて、調べさせる。

 それは本の世界に閉じこもる実朝にとって、本以外の世界からの贈り物だった。


「清澄が教えてくれたんだ。この世界にも、綺麗な物、怖い物、格好いい物、醜い物、色んなものがあるんだって。二人でそれを探そうって、私を外へと引きずり出してくれた。だから、私にとってあの子は私の世界なんだ」


 甘くて、優しくて、まるで蕩ける様な綺麗な横顔に、真姫でさえ目を奪われた。

 清澄への深い想いは、今の実朝自身を構成する重要なファクターなのだろう。

 この感情がなければ、実朝はずっと本の世界に閉じこもって、今もあの閉鎖された村で死んだように生きていたに違いない。


「だからね。真姫。君に清澄を渡すには、まだ、足りないんだ。私が納得しうる清澄への想いが、足りないんだよ」


「……実朝、さん」


「私の世界をあげるんだ。それなりの理由がなければ渡せない」


「っ、な」


 ひやり。恐ろしいほど冷たい実朝の目に背筋が凍る。

 別に清澄との仲を実朝に認めてもらわなくても、何の弊害も無い。

 けれど、実朝が認めないと言えば、どんな手段を使っても二人の仲を引き裂くことはしてのける。

そんな気がした。


「それに、清澄だって……認めていないだろう?」


「何を、ですか?」


「いくら君があの子を好きだと言っても、あの子はそれに応えてくれたかい?」


「……それは」


「君は今のままでいいのかもしれないけど、現状は恋人同士とは言えない。ただの押し掛け女房に過ぎないじゃないか」


「っ……」


 痛い所を突かれた。攻められた心を庇うように胸元をギュッと握りしめる。


 確かにそうだ。分かっている。

 分かっていて、知らない振りをしていた。

 こんなのは恋愛じゃない。ただの馴れ合いだと、真姫にだって分かっている。


「ゆっくり、清澄さんにも分かってもらおうと、思ってました」


「そう? でも無理だよね。このままじゃ。何故だか分かるかい?」


「……」


「あの子は、昔のあの子じゃないよ。いや、昔と変わってないか。結局、君はあの子の表面だけしか見ていないんだ」


「そんなこと……」


「あの子の何を知っているの?どこまであの子のことを知っているの?」


「し」


――パァアン!


「都様ぁ~っ!」


「頑張ってくださーい!」


 清澄と都の組が始まった。

 真姫の目も、実朝の目も、そちらに向かう。


 都に声援が集まっているが、既にトップは陸上部に所属する少女が独走中だ。

 無駄な労力は使わない合理主義者である都は軽く流している状態で、清澄は必死に走っているが四番目の少女にも追いつけずにいる。


「あ」


 追いつく。もう少しだ。


 遅いなりに四番目の少女に食らいつき、今、ゴール手前で抜かせそう。


「清澄さん!がんば」


 だったのに。

 それは不運な、多分、きっと、不運な事故だった。

 走っている最中に接触して転ぶなんて、ありえる話だ。

 そうだ。無い話じゃない。


「……れ」


 転けた。派手に転んでしまった。

 笑い声が湧き上がる。

 人の不幸は、蜜の味。


「……!」


 マグマが徐々にせり上がってくるように、真姫の感情が高ぶる。


「真姫。私はね」


 目の色が変わり、歯軋りすら漏れる。しかし、その怒りはもたれ掛かった木には向けられなかった。


 爪を立てる。剥き出しの腕に、血が滲むほど深く突き立てられる。

 ぷつりと皮膚が小さく裂ける音がした。


「私は、もし都とあの子が崖に落ちそうになっていたら……」


 清澄だけを見つめ、今にも爆発しそうな大きな感情を我慢し、押さえつける真姫に、実朝は背を向けた。

 真っ直ぐに転けた清澄の元に向かう。


「私は清澄を助けるよ」


 例えそれで都を失うとしても、助かった清澄に一生ものの傷をつけたとしても、選ぶの方は決まっている。

 都にも最初にそう言って聞かせている。自分が一番大事なのは清澄だと。


「真姫にもそうなって欲しいな」


 誰よりも清澄を愛して、守れる存在になって欲しい。

 清澄に嫌われても、誰に恐れられても構わない。我慢なんてせずに鬼になれ。


「きよすみ」


「さねとも……」


 倒れた清澄の傍で膝をつき、実朝は彼女を立たせ、その体を支えた。


「あら、妬けるわね」


 いつの間にか真姫の傍には都がいた。周りの視線は皆、実朝と清澄に集まっている。


「馬鹿ね。そんな事をするからキヨが妬まれてしまうのよ」


「都さま……」


「ひどい顔。あの人に何を言われたのか知らないけれど、あまり深く考えては駄目よ? まぁ、キヨのことなら間違ったことは言わないけれど」


 なにもかも知っていると言った表情で、都は真姫を見上げた。

 真姫の傷ついた腕に手を当て、やめなさい、と一言命じる。


 爪の食い込んだ腕は真姫の手が離れ、次の瞬間、その裂けた傷口を無かったものにした。


「ねえ? 自分を傷つけるくらいなら、実朝みたいに清澄に駆け寄るべきよ。怒るよりも先に、手をとる方がいいのではないかしら?」


「ぁ……」


「キヨが好きなら、キヨの求める物を知りなさい。あの子が欲しい言葉も、行動も、知りたいならあの子を知らなきゃね」


「……」


「ほら、早くしなさい。でないと実朝に取られてしまうわよ」


「あ、有難うございます!都さま!」


「ふふ」


 怒りは消えた。そんなことより大切な行動があるのだ。

 怪我をしたのだろう清澄の手を引き、保健室に向かう実朝に向かって真姫が叫ぶ。


『わたしがっ、わたしが行きます! きよすみさーん!』


――目を開ける。


「きーさん? 寝てるの?」


 息を吐く。思い出した記憶の反芻はここまで。


 清澄が布団に潜ろうとしている。それを真姫が止めた。

 布団の上できちんと正座をしたまま、真姫は改まって姿勢を正した。

 真っ直ぐに清澄の目を見つめ、思いつめた顔で深呼吸を繰り返す。


「清澄さん。お願いがあります」


 両手をついて、深々と頭が下げられた。


「わたしに、あなたの事を教えてください」


 知りたいのです。

 あなたの中を。


「きーさん、なに言って」


「あなたと出会う前の事、あなたと出会ってから今までの事。あなたを構成するもの全てが知りたいんです」


「なんで? なんで今更そんなこと……」


「好きだって言っても、それだけじゃダメだってわかったから」


 気持ちだけでは駄目なのだ。

 一方だけが好きでは駄目なのだと今更気づいた。

 清澄の心に言葉も気持ちも届かなければ意味がない。

 だからこそ、閉じられたその心を開くのだ。


「教えてください」


 どんなことでもいい。

 好きな事。好きな食べ物。好きな色。嫌いな事。嫌いな食べ物。苦手な人、虫、動物。

 清澄の子供の頃の話。家族の話。友達の話。楽しかった事。辛かった事。悲しかった事。


「何でも聞きます。聞かせてください」


 どうか、わたしに心を開いて。

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