3つ目の詩 馬と影と旅の話
No.82
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3 馬と影と旅の話
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6 (ぼんやりとした記憶の中に向かう)
7 海辺に来た。
8 秋の海、波は高く、空は曇っている。
9 強い風が吹き。風は、隣りの異国から吹いてくる。
10 蟹だっている。
11 砂浜が在る。
12 (私は曖昧な、感情の中で、どれか一つを選ぶ)
13 透明な人影、
14 幸福な記憶の中に在る。
15 予定調和の絶望。
16 約束された地獄。
17 繰り返される、
18 永劫の苦痛。
19 その時、その瞬間、
20 思い出すだろう、
21 かつてもまた、失敗したことを。
22 その喜びが、
23 喜びとして、実を結ぶことは無い。
24 その喜びは、
25 常に腐り、腐敗して、
26 地に落ち、虫が湧く。
27
28 私の前を、馬が歩いています。
29 馬は人間の様な背格好で、
30 黒いコートを着ていました。
31 その歩みは正確で、
32 その姿勢は、真っ直ぐなのでした。
33 馬は振り向き、
34 私に語り掛けました。
35 「最後まで、
36 旅を続けられる人物は、稀なのです。
37 皆、途中で消失してしまうのです。
38 あなたは何故、旅をしているのでしょうか」
39 私は答えた。
40 (私は私の為に旅をしています。
41 それは、私を半分に割る為の旅の様でした。
42 半分とは、世界。
43 半分とは、魂。
44 元より一つの処からいずるもの。
45 私は、半分を知り、
46 私は、半分を見失いました)
47 馬は、(私)より先を歩いていました。
48 馬は、今にも、何処かに出かけて行きそうでした。
49 海は、荒れています。
50 波は高くて、冷たい風が吹き付けて来るのです。
51 ここには、
52 元より生き物なんて居なかった。
53 馬は、
54 彼は、骨だけの存在であり、
55 しかも、その内の幾つかは欠けているのです。
56 それは、
57 旅の為。
58 何かを願ってしまった為であるのです。
59 私は彼の背中に向かって語り掛けます。
60 ひょっとしたら、
61 あなたは、
62 ぼくよりも、沢山、旅をして来た方ではないでしょうか?
63 彼は、顔を横に向けて、
64 こちらを見ている様に、
65 語りました。
66 「いかにも、
67 私は、
68 あなたが思っているより、ずっと昔から、
69 旅を、
70 人間と共に、
71 旅を、
72 続けて来たのです」
73 あなたは、
74 ―と私は、尋ねた―
75 体が欠けて行く事に辛さを感じませんか?
76 馬は、歩みを止めて、
77 君は、辛いのだろう。
78 と言いました。
79 私は今にも、逃げ出したかった。
80 君は、ただの人間だ。
81 ただ、歩く。
82 そのことを……。
83
84 砂浜を一人で歩いている。
85 向こうから、
86 黒い影の様な人間が歩いて来る。
87 彼は、手を上げて、私に話し掛けて来た。
88 「今晩は、もう、めっきり冷え込んできましたね。
89 君は、元来た道を戻ろうとしているね。
90 ぼくらは、一つだった」
91 彼は、そうだね? と私に尋ねた。
92 ああ、そうだ。
93 ただ、
94 動物が……。
95 「君は、こちらの世界で有名に成り過ぎてしまったようだ。少し、
96 話を、してくれないだろうか? ひょっとしたら、何かが、戻って
97 来るかもしれないよ」
98 ああ、
99 彼の黒い体には、
100 ちょうど胸の辺りに、
101 白い正方形が在って、
102 白い四角が在って、
103 それが、
104 白い部屋に見えて、
105 それが、世界の全ての様に、思えたのです。
106 ぼくは、
107 小さな、
108 ほんとに、
109 小さな、
110 場所を、
111 辿って来た、
112 僅かな物を、
113 得て来た。
114 狭い部屋で、
115 ただ、
116 閉じこもっていただけだった。
117 何も持ってはいないのだ。
118 何かを、
119 手放して来た。
120 歩く事。
121 ただ、
122 歩く事だけを、
123 自分の足の感触を。
124 知りたかった。
125 ただ、
126 足の伝える、
127 感覚だけ。
128 足の動いた回数だけ、
129 何かを得た。
130 黒い人間は、
131 私に近づいて、手を差し出した。
132 私たちは互いに、手を結び、
133 再び一つに成った。




