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『黒き聖伝』を読んで

 今回はヨクイさんの『黒き聖伝』を読むこととなった。


 この作品は、順を追って話すのが最適だろう。初めはいじめられる貴族の次男坊、これが主人公の登場した瞬間である。精神的抑圧があるなか、彼は何を見ていたのか。貧困を横目にしながらも、貴族として、ある程度の生活を送れることを願っていた。


 はたして、この少年は何を望んだのか。そんなことは些細なことである。

 人格的に複数の経験が入ってきたら、どうなるかという面白いことをしている。何人もの何十年もの知識と経験が一人の個体に入る。一つの器にいくつものものを置いてしまったら、人格はどうなるのか。主人公であるセルベク本人しか知らない。


 この複数の知識、経験を持った人物が、徐々に手を広げていくという話の順序なのだが、ここに作者の一本の筋が、はっきりと存在している。

 この一本の筋を、ぶれることなく描かれている作品の前に、読者は素直に従うことしかできない。

 作者が作品を通して提示している本質は、決してぶれない。それこそ、どんな見方をしようとも、姿が変わることはない。

 ここに、この作品の魅力が隠れているのであろう。ついつい惹きつけられる感覚、これは特に主人公から発せられる感情が、明瞭となって読者の頭に焼き付くからだ。

 これは、あまりにも大きなものの前には屈服するほかないという内容も込めて、いろいろと読者に重くのしかかる。これはまた作者も同じなのかもしれない。

 作者もまた、この太い一本の線から逃げることはできない。ここから、離れることができない。黒き聖伝の前からは、誰も逃れることができない。

 これを作者が意識して書いているかは、私には解らない。それでも何かを遂行させようという意思は、確固と存在し、それが主人公となって作品の中に現れている。


 セルベクは、2話の最後に『弱者が強者の前に命を落とすのは、自然の摂理だ。こいつらが生きようが死のうが、俺にとっては、もはやどうでもいいことなのだった。』とわかりやすく述べてくれる。

 彼の中に入ってきた複数人の知識や経験が、そうさせたのか、それとも今までの本人が解放されて、そのようになったのかはさだかではないが、とにかく彼は言ったのだ。どうでもいいことなのだと。

 これに関しては、他人が口をはさむ余地はない。その事実を受け入れるしかないのだ。実際に、作品は、淡々と事実のみを言う。彼には、すべてのことが茶番に見えて、劇に見えて、また起きたことすべてが事実なのである。

 事実の前には、誰もが従わざるをえない。これを暗に示している。これが作品の中で一人称という文章を通して、はっきりと照らし出される。

 その後も事実の前に人はひれ伏すしかできない。知らず識らずのうちに捕まっている。

 事実に、ここでいうセルベクすることは、人の前に現れる。これの前には、人は何も行動することができない。受け入れることしかできない。

 読者も覚悟をするべきなのかもしれない。このどうすることもできない状況を甘んじて受け入れる覚悟が必要だ。


 この作品の魅力とは、この代えがたい摂理せつりである。

 これもまたわかりやすい。このわかりやすさは、少々危険である。読者には、たったひとつと言っていいほどの事実のみが、簡潔に読み進められるからだ。

 青年になった際も、これは変わらない。事実のみが進んでいく。

 読み進めれば、読み進めるほど、確信になる。迷いというものを感じさせない事実が、一番の魅力であろう。


 セルベクは神も信じないと言った。神は道具であるとも言い切っている。その言葉通り、金を儲けるため、また大義名分のために神を利用する。

 周りの者はさも当然かのように振る舞い、いつ部の者は疑問を持つが、仕方ないですまされてしまう。

 今この場で神の教えは信じないといけない云々の話をするつもりは毛頭ない。ただ、神というものもまた、ただひとつの本当にしか化けない。


 この作品の魅力は、セルベク本人である。しいては、一人称で語られる物語、この何物にも代えることができない真実として、セルベクが語っているだけである。

 歴史は必然だと、よく言われているが、それはそう思いたいだけなのかもしれない。必然ではなく、一部の人が考え出した事実として鎮座しているだけなのかもしれない。

 セルベクが時折出会う困難というのは、歴史からしてみれば必然なのかもしれないが、セルベクは事実として受け止め、代えがたいものとして本当を置いていく。

 神について語る必要はない。その事実を受け止めることしかできないからだ。その後、どう事実を受け入れるか、それだけだ。


 歴史について語ることもまた必要ではないのだ。セルベクが起こした行動のわだちを見れば、簡単にわかってしまう。

 また少し作品を読むだけで容易に理解できるだろう。


 黒き聖伝を読むだけで、事実がひとつ置かれている。そこから視線をはずことが出来ない。セルベクがいる歴史からは、誰も目をそむけることが出来ない。


 この魅力は、セルベクが語ってくれる。黒き聖伝として語ってくれる。


 事実の前に、誰もが容易にセルベクを知ることが出来るだろう。



作品URL http://ncode.syosetu.com/n3914bx/

作品名:黒き聖伝

作者:ヨクイ

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