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悪堕ち魔法少女になってみた  作者: ナイアル


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第二十話:変わり果てた日常

 ――ブラックリリーの朝は早い。


 独り身には広すぎるふかふかのベッドの上で、大きく開かれた窓から差す朝の日差しに――と言っても、現地時間に合わせた太陽灯の自動調光なんだけど――眩しそうに目を細めて起きあがる。

「おはようございます、ユリコ様」

「ん、おあよ」

 どこで様子を伺ってたのやら、メイドさんが差し出す淹れたてのコーヒーの芳醇な香りを胸一杯に吸い込む。

「いやあ、こーゆーの、夢だったのよねえ」

 続いて用意されるのは、背の低い台の上に乗った朝ご飯。

 トーストにチーズたっぷりオムレツ、少々のサラダ、とメニューはシンプルだけど、添えられたカトラリや台は精緻な装飾の施された銀製で、室内の雰囲気とあいまって、まるで王侯貴族のよう。

「入院でもすればすぐドラよ」

「じゃああんたがまず体験してくるか」

 メイドさんの後ろで呆れた顔をしてるドランに風の塊をぶつけると、ぺぐっとか妙な声を上げて墜落した。

「嫌みなリアクション取らないでよね。そんなに力こめてないわよ?」

「……ユリコちゃんの魔力が、最近強くなってる気がするドラ。何かしてるドラ?」

「やあねえ、なにも……してない、わよ?」

 言葉の端と目が、無意識に泳ぐ。いやいや、あれは関係ない、はずだ。

「……で、何の用よ、こんなに朝早く」

 胡乱気なまなざしを送ってくるドランをごまかすように話題転換。普段のこやつは、相棒のレオンともども昼過ぎまで惰眠をむさぼる穀潰しの鑑である。

 まかり間違っても……いや、まさか。

「学校がお休みだからって、いつまでも寝ているのは関心しないドラ」

「あんたが言うな!」

 

 ――訂正。ブラックリリーの朝はあんまり早くなかった。

 短針が時計の右半分を指していたなんて事実はない。ないったらない。



・・・



 ボケぬいぐるみに優雅な目覚めを妨害されたあたしが降り立ったのは、笠原駅前広場から延びるアーケードの一角。

「……っ、リリー様」

「ブラックリリー、様だ……」

「太もも……」

 ブラックリリーの姿のまま悠然と表通りを歩くあたしに投げかけられるのは、大半が恐怖と、少しの憧れ……うんなんか余分な物も混じった気がするけど気にしたら負けよね。

 知らず知らずちょっと早足になったりして……うう。


「だからとっとと払えや、おう!」

 何ともいえない視線の圧力に屈しかけつつ歩を進めるあたしの行く先から聞こえてきたのは、どこの昭和の安ドラマかってな怒号。

「し、しかし、いきなり払えと申されましても……」

「ぜーきんだよ、ぜーきん!てめえら、誰のおかげでここで店開けてると思ってんだ!ああ!?」

 額に汗を浮かべて食い下がる……ふりをして、のらりくらりと逃げを打ってる八百屋のおっさん。

 三代続いたのれんを守るだけじゃない、侵略騒ぎにもあわてず騒がず、近畿一円の契約農家からの流通経路確保に走ったやり手である。

 誰のおかげで店をやれてるのか、なんてさすがのあたしでもよー言わん。むしろ、このおっさんのおかげでなんとか新鮮な野菜が食卓に上るのだと感謝したい。

「偉大なるローザック帝国に逆らうってんなら、今度はここにミサイル落としてやろうか、ああん?」

 思わずずっこけたあたしに気づいた何人かの野次馬が、困ったように目をそらした。

「……ミサイル落としたのは敵さんで、あた……帝国は豆鉄砲の一つも撃ってないんだけど」

「守ってやったのは変わんねえだろが!」

「守って『あげた』わけじゃないのよ。こっちの作戦上守る必要があっただけだし、きっちり対価はいただいたもの」

「てめえ、さっきからごちゃごちゃと!このローザック帝国の軍人様に楯突くようなら……」

「どうするのかしら?」

 あたしと偽軍人のヤクザ者の間を遮ってた人混みがざざっと別れて道を造る……あんたら、結構ノリいいわね。


「なっ、て、てめえ……」

「仮にも上司に向かって『てめえ』はないんじゃないかしらねえ。ここは『Ma'm』か『Sir』っていうべきでしょ。さ、リピートアフターミー。マム、はい」

「ふ、ふざけやがって!」

 これでも一応誠意を持って対応しているつもりなんだけどなあ。

 ほんと、なんであたしがわざわざ「英語の」呼称を指示しているか、ちゃんとわかってるのかしら?

 ……どっかの鬼軍曹方式の方がよかったかなあ。

「そもそも、うちって人材不足も甚だしいから、あたしたちの下ってもうクローン兵しかいないのよね。ってことはあんたはそのうちの一体ってことになるんだけど」

「そ、そうだ、俺はそのうちの一人で……」

「んー、用語が間違ってるわよ。クローン兵はあくまで『物』、備品。『一人』って数えないのよ……帝国の制度では、ね」

 あたしの背後に、「本物の」クローン兵が数体展開する。

 それを見て囲まれたと判断したのか、ヤクザ者が懐に手を入れる――ふうん?

「物の分際で所有者に刃向かう……ああ、所有者が物に刃向かってんだっけ?あんたの言い分では。……まあそんな『誤動作』するような物は、処分しないといけないんだけど」

 抜き放とうとした手首から先を、風の刃で断ち切る。転げ落ちた手に握られてたのは……ベレッタ、か。

「どのみち、あんた『たち』みたいなのはハーグ協約もジュネーヴ協定も適用外、だけどさ」

 野次馬の中から、いくつかの悲鳴が聞こえる。

 その声を聞いたヤクザの顔が、醜く歪んだ。

「ラングレーの本社に無言で帰りたくなければ、素直に正体を晒した方がいいわよ、スパイのおっさん?」

 ま、もういろいろ手遅れだけど。

 とある国のスパイネットワークの全貌を記した書類が、ありとあらゆる情報機関に送りつけられたのをバイザーに浮かび上がったメッセージで確認する。

 しばらくは世界中で蜂の巣をつついたような騒ぎになりそうだけど……これまた自業自得と言うしかないわね。

「支配勢力の一兵士のふりをして町を荒らし、治安の悪化と権威の失墜をねらう、あわよくばレジスタンス活動を扇動、と。ゲリラや軍事独裁政権下には地味だけど有効な手よね」

 クローン兵に引き立てられてあたしの前に並んだ連中は、性別や年齢もバラバラだったけど、その妙にドス黒くぎらぎらした視線だけは共通していた。

「くっ……この、侵略国家の手先め!」

「原住民から土地を略奪して建てた国のエージェントがそれを言ってもギャグにしかなんないわよ」

「わ、我々を処刑したとしても虐げられた市民が、貴様等を許すわけが……」

「しいたげてないし」

 ぐるりと辺りを見回しても、市民のみなさまの様子は帝国に帰順する前と対して変わらず。

 まあ実際はちょくちょく物資が窮乏してたりもするんだけど、てーこくのかがくぎじゅつの恩恵もあって、今のところは表だって不便や苦労ってほどじゃない。

 震災やら戦災やらで焼け出されることを思えば、よっぽどいい生活ってやつだ。

「……むしろ、あんたんとこの本国とか、その下僕である日本とかの方が大変なことになってんじゃない?」

「それもこれも元はと言えば貴様等が!」

「まーそこは否定しないけどねー。一応、うちとしては健全な市民活動の範囲で『反帝国』を表明することを禁止してないわよ?」

 別段ご立派な人権主義思想ってわけじゃなくて、帝国の法からしてそうってだけなんだけど。

 闇だの光だの元奴隷だのと、その出自や正当性をあじゃこじゃ言われるところに「そうだけどそれが何か」と開き直った先人の勇気は素直に賞賛したい。

 ま、実際のところは、数世紀単位で長期安定してりゃ同調圧力やら何やらで「反帝国」は随分肩身の狭い思いをしてるんでしょうけど。

「……あくまで、健全な範囲でね。あんたらみたいに周りに迷惑をかけたり、それを人のせいにしようとするなんてのはNGよ?」

「ど、どの口がそれを……」

 ヤクザさん、失血で顔色真っ青になってきてるけど、まだまだ気丈に言い募る。さすがに口調を取り繕うのはもう無理そうだけど。

「んー、あんたたちが期待してるみたいに恐怖政治で言うこと聞かせるには、ちょっとばかし人手不足だし」

 クローン兵は融通が利かないし、片手で足りる幹部では、こうしてわざわざ治安出動してるのだって無理がある――幹部がごっそり抜けた警察組織が開店休業状態なもんで、あたしやヒナギクがローテーションで監視してるのだ。


 一方。抵抗勢力の巣窟みたいになってた警察とは対照的に、市役所のスタッフは意外にすんなり支配下での役所業務へと移行してくれた。

 「どうせやることは変わりませんから」と淡々と引き継ぎ作業をこなすとある課長さんには感心したわね。

「正式な告知は後からするけど、まあちょうどいい機会だし告知しておくわね。――市役所のみなさんのご協力により、申告と納税に関しては例年通りの手続きを踏襲することになりました。日本への日割り納税に関しても、こっちで一括で処理することになります。はいみんな、市役所スタッフの尽力に拍手ー」

 周囲の野次馬さんから、まばらな拍手が漏れる――うーん、地味すぎてぴんとこなかったか。

 こういうお金だとか手続きだとかの話が「いつも通り」っていうのは意外と大事なのだ。

 税金の額がいきなり跳ね上がるなんてことは論外にしても、ただでさえお金を出すってのにはみんな渋る中で違和感やストレスを感じさせると、そのまま「払わない」なんてことになりかねない。

 そーなるとこのエージェントさんたちみたいなことを……うんまあ人件費的にも割が合わないからしないけどさ。

 素直に払ってくれればこっちも手間がないわけで、「いつもどおり」はとっても大事。

 征服時期の関係による国税の日割り分納も、日本に妙な横やり入れられないようにと言うこっちの都合なんだけど、これも納税者のみなさまにとっちゃ「知ったこっちゃねえ」話だものね。

 こういうことのあれやこれやは、古参のおじいちゃんスタッフとかさっきの課長さんからのご指摘のたまもの。

 いやほんと、市役所のみなさんが協力的でよかったわ。


「っつーわけで。現状あくまで『帝国領の自治都市』だからね。帝国から独立したければ、しかるべき手続きを踏むだけでいつでも抜けられるわよ」

 野次馬どころか、今まで憎々し気ににらんでた「市民」の皆さんまで驚いた顔になる。

「心配しなくても、票の『解釈』なんてこすっからい真似はしないから。やるんならルールに乗っ取った上で正々堂々反旗を翻しなさいっての。何度も言うけど、一般市民のみなさんに迷惑かけないように、ね」

 日本の国内情勢やら世界情勢やら、帝国内部のごたごたやらを考えると、この時点での独立はまったくもって得策じゃないけれど。

 下手に政治活動制限したり弾圧したりするよりも、表でやってもらった方が目をつけやすいってのが一点。

 ……まあ、毎度こんなテロ活動まがいのことやられてもかなわないしね。



・・・



「……で、あんたは何の用件よ?」

 クローン兵に「市民」の皆さんを引っ立てて行かせた後、視線を避けるようにもぐりこんだ路地裏で、さっきの騒動からずっとついてきてるおっさんに声をかける。

「いや、結構まともに治安維持活動とかしてるんだな」

「治安が良くなれば経済活動も安定するし、投下した分の見返りはあるもの」

「そういう言い方はあまり関心しねえぞ」

 あたしの返答に困ったように角刈りの頭をかくおっさんはなんかやたらに体格が良く、どっかで見たような……

「ああ、じえーたいのたいちょーさんか」

「……気づいてなかったのかよ。そうだよ、てめえに『自分たちではなんにも衛れない隊』とか言われた自衛隊のお兄さんだよ」

「ああ、この間はご協力ありがとうございました」

「いやいや、おかげさまで今日まで営倉入りしてたんだがな」

 じえーたいのみなさんには、「万が一のための」避難誘導や簡易シェルター設営にご協力いただいた。

 一応敵対関係にあるとはいえ、お世話になったからにはきちんとお礼を言うのがまっとうな大人というものである。

 丁寧にお辞儀した女子中学生に嫌味で返すなんてのは大人のすることじゃない。

「で、そのじえーたいのたいちょーのおっさんが何の用?」

 もちろんそこにさらに嫌味を返すのも。――なーにが「お兄さん」だか。


「そんなこんなで自衛隊も辞めちまったんで、再就職先を探そうかと、な」

 暗い雰囲気もなくにかっと笑うおっさんはこの上なく暑っ苦しい。

「せっかくだけど、うちで雇うのは……」

「『感謝もするし謝礼も払う、でも兵として雇うわけにはいかない』、か」

「あー……聞いてんのか」

 思わず前髪をかく。

「ま、当然といえば当然の判断だな。俺でもそうする」

 自分の良心に従って命令を拒むってのは、確かに人としては立派だけど、兵隊ってなればそうはいかない。

 最悪、民間人を見殺しにするような命令だって、唯々諾々と受け入れなければ命令系統が成り立たないわけで。

 「良心に従って」今度はこっちを裏切りかねない人間を兵として雇うわけにはいかないのは、致し方ない現実的判断ってやつよね。

「まあしかし、再就職先については配慮してくれていたようだが。その件については、元上司として感謝しておく」

「その辺はあたしらっつーよりも、市民の皆様の感謝の証?今まで役立たず扱いだったのに、ちょっと避難誘導でかっこいいとこ見せたらあっさり手のひら返すなんて、ちょろいわよねえ」

「敢えてコメントは控えさせてもらうが……しかしそれだけで嫁や恋人までホイホイできるってこたあねえだろ。裏でてめえ……あんたらが手をまわした結果じゃないのか?」

「人質は取るもんじゃなくて与えるもんだってばっちゃが言ってた」

「あんたのばあちゃんなにもんだよ……」

「冗談は置くとして、しがらみができればそうそう裏切れないしね。あんたんとこだってやってるんじゃないの?『上司の娘を嫁にやるから隊に残れ』とかなんとか」

「そういや辞める時になんだかんだと言われたな……」

 苦い顔になったとこを見ると、心当たりがあったらしい。

「ま、ご愁傷さまってことで」

「幸い、うちのは拍子抜けするくらいあっさりついてくることになったが」

「……脳内?」

「ちゃんと現実だ!」

 わざわざ懐から引っ張り出した携帯電話の待ち受け画面は、赤ん坊抱いて幸せそうに笑っている女の人……これでまだ「脳内」とか「よその人の写真を貼ってる痛い人」とか言ったらさすがにブチ切れそうね。

「ふうん、いい奥さんじゃない。あんたにゃもったいないわね」

「ああ、俺には過ぎた……って人に言われたかねえよ!」


「んで、その嫁さんとお子さん食わせるためにも仕事がほしい、と」

「一応きっちり筋は通したし、古巣に抗命もしてないんで、その辺も考慮してくれんかね」

 にやにや笑いがムカつくけど、言ってることは一応正論でお断りする理由もない。

 どーも、こっちに来ちゃった連中の後始末まで買って出てくれてたみたいだしね。

「……ま、見ての通り治安維持に割ける人間がいなくってね。こき使うことになると思うけど」

「覚悟の上だ。理不尽な命令を押し付けられんだけましと思うさ」

「あと、あいにく下につけられるのがいないんで……」

「いやちょっと待て、さすがに二十四時間勤務とかは」

「したいなら止めないけど?……ま、相応の報酬は支払うから、適当にスタッフ集めておいて」

「丸投げかよ!」

 ……やっぱこのおっさん頭固いのよねえ。

 そういう人のほうが治安維持なんて仕事には向いてるんだろうし、からかい甲斐があるのはいいんだけど。

「この町にいる、『あんたが信頼できそうな人』で固めてもいいわよっつってんのよ」

「そういうことかよ……ったく、それも『人質』ってか?」

「効果的でしょ?」

「あんたのばあさんの偉大さが身に染みるぜ」

 ふふんと鼻で笑って背を向けたけど、ネタだからね?うちのばあちゃんは普通に年金生活してる凡百の老人で、そんな悪辣非道なキャラじゃ……あの母さんの母親だからなあ……あたしの知らんとこで何やってたかまでは保障できんか。



「あんた……いや、嬢ちゃん……あー……」

「リリー様でいいわよ」

「じゃあリリー様」

「うんごめん悪かった、冗談だから」

 うちのクローン兵の方がもーちょっと融通利いてくれる気がするんだけど、大丈夫かしら。

「リリー様、あんた……日本人、か?」

「それがどうかした?……って、なによ」

 うなずいて振り返ったら、なぜかひどく驚いた顔で硬直しているたいちょーさん。

「い、いや……えらく素直に認めるんだな、と」

「あたしは嘘なんか言わない正直者で通ってるんだけどなあ」

 脳内で皇子が胡乱気な目で見やり、ヒナギクが「嘘はつきませんよね、嘘は」とあきらめたような口調で返してくるのが浮かんだ。

 目の前のおっさんはというと、一瞬きょとんとしたあと……何故かとてもつらそうな顔で、深々と頭を下げた。

「……っすまない!」

「え?」

 そんな仕草とセリフには、あたしのほうがびっくりだ。

 今の流れに謝られるほどのことは何もなかったと思うんだけど?

「俺たちが……俺たち大人がふがいないばかりに、君にいろいろなものを背負い込ませてしまった。本当に、申し訳ない」

「あー……襲撃の時の話なら、気にしなくていいから」

「いや、しかし……」

「あたしゃ好きでやってんの。何やらかしてもそれを誰かのせいにする気はないわ」

 頭を下げたまんまのガタイのいいおっさんと、偉そうにふんぞり返る悪の魔法少女。路地裏じゃなかったら、野次馬に取り囲まれててもおかしくない妙な光景には違いない。


 それでもなお謝り倒すおっさん――八重垣だか九重だか、苗字まで重くて堅そうなそれだった――を物理的になだめて引きはがし……こうしてあたしは新たな下僕をゲットした。

 ……できればもーちょっと見目麗しいのがほしいんだけど。



・・・



 ――ブラックリリーの夜は遅い。



「ぐああああ、肩が凝る目がしぱしぱする背中が痛いいい!」

 頭をかきむしろうと持ち上げた腕の付け根からぐぎぐぎぱきぱきと嫌な音が響く。これ絶対うら若き乙女が出しちゃいけない類の音だと思うんだけど。

 

 あたしの目の前に立ちはだかるのは決済待ち書類の山。

 進んだ科学技術の城塞たるうちゅーせんかんの中だとゆーのに何でこんなことになってるかって、よそとの連携をするためにはほかに方法がないという、大変情けなくも悲しい現実がある。

 下のお役所あたりもこっちに規格合わせればいいようなもんだけど、情報化社会においてはコンピューターや通信の技術の重要度は大変に高く――まだまだ直接供与できる範囲のものじゃないってことで、しばらくはローテク側に合わせざるを得なくなった。

「それにしたってなんでこんな量あるのよ」

 決裁書類に報告書、市民からの要望書にタレコミ情報……適当に流せばいいかと思ってたら、しっかり目を通すよう皇子にくぎを刺されてしまったので、律儀に一々読み込んでるからなおのこと時間がかかるし疲労もたまる。

「本日に限れば……治安維持部隊の設立が大きいかと存じますが」

 自分はデータ端末に目を通してるだけのグルバスのじーさまが、顔をこちらにも向けずに返してくる――こっちよりよっぽど処理が速いのは……じーさま自身のスキルの賜物かしら?彼がこういう仕事で手を抜くとも思えないし。

「で、連中はどーなのよ」

 じーさまを理不尽に軽くにらみつけつつ。緑は目が休まるっていうけど嘘よねえ……。

「おおむね受け入れられておるようですな。避難時のこともございますし、むやみに市民に手を上げないのも評価の一因のようですな」

「骨の髄まで専守防衛なのかしらね。まあ、これでだいぶ地表の問題は落ち着いたかしら」

「御意……しかし、よろしいのですか?市が独立を図るとすれば、こちらの介入が後手に回る可能性がございますが」

「介入も妨害もする気はないからね」

「……それは」

「皇子にも伝えてはあるけど。さすがに今すぐ独立しようなんて気はないでしょうし――経済基盤が安定して、ある程度こちらに対抗する余裕が出てくれば、いずれは出てくる話よね」

 高性能AI様の予測は、タイムテーブル通りに技術提供や教育が進んだとして、最短で5年。

 周辺状況を考えれば滅多なことはしないと思いたいけど、人間、欲が絡むとてきめんにバカになれるし、そんなときまでこっち主導で「なんとか」させられてたんじゃたまらない。

 できればそのころにはあくまで穏便に権限移譲して投げ……任せられるものは少しでも任せておきたいところ。

 ま、いつまでもこの街一つにかかずらってるようじゃ、世界征服なんて到底おぼつかないし。

「独立なんて言い出されるようじゃ皇子の器も知れたものってことよねえ」

「……そのままおっしゃられたましたか」

 ふふん、と鼻で笑ったあたしに、じーさまは小さくため息。

 何を考えたかは知ったこっちゃないけど、こればっかりはじーさまも皇子を見くびってるようだ。

「あのバカ、珍しく自信満々に『そのようなことにはなるまいよ』なんて笑ってたのよね」

「ほう?」

「皇子もそれなりには成長してるってこと……どうしたの?」

「いえ……では、その支配を盤石にするためにも頑張りませんとな」

 なんか妙にくすぐったくなるような笑みを浮かべたじーさまが気合を入れる。

「そのためには……やれやれ」

「権限について回る責務というものですよ」

 書類の山を見やって溜息をつくあたしを、じーさまがやんわりたしなめる。



 ――ブラックリリーの夜は……朝までに終わるのかしら、これ。


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