第四十八話 世界は謎に満ちているのだから。
そろそろ終わります。
小説において、すべての事象をいちいち説明付けるのはナンセンスなのだ。
リアルの世の中にも、例えばイギリスのストーンヘンジ。あれ、何のためにあるか解かる?(笑
原子力発電所、あれ、その仕組みとか解かる?(笑
3.11以降、テレビでも解説番組とかやったから、少しは解かるようになったが、それ以前はまったく、なんにも解からなかったはずだ。ただ、「存在する事だけ解かっていた」最たるモノだ。
・・・かように、リアルでも説明抜きのまま存在するモノは多々あるわけだ。
どうも最近は読者が「説明がない事の不安」というものを「知る権利」と絡めて、説明して当然という風潮があるせいで、物語が薄っぺらくなってる気がする。例えば『魔法』というものにしても、「存在するセカイではごく当然で疑問にも思わない」という設定は、反発されるようだ。
これ逆に、リアルで我々が超能力やら霊能力を使える者と使えない者がいるのに、なんの問題視もされないのと、なにが違うの?(苦笑
で、リアルで超能力やら霊能力やらの解明が出来ているか? そういう事だよ。
どんな事柄でも、読者に通じるよう、「説明」となるように書いた文章というものは、野暮ったくテンポも悪いものだ。
ゴシックホラーやサスペンスホラーの常套手段には、「何の説明もせずに事件だけが語られる」という描写方法ってのがある。
ただひたすら起きた事柄の描写だけに徹して、読者には何の説明もしない、という方法だ。
私の作品はハードボイルドを目指しているが、いちいち親切過ぎた事を今は反省している。
馬鹿でも解かるようにと、いちいち引っ掛かりそうな事象には説明を付けていたが、これが私の作品を中途半端な空気にしている根っこ、諸悪の根源だったのだ。
良い小説というものは、解釈が分かれる。
なぜ分かれるかといえば、説明が為されないからだ。
どう解釈すればいいか解からない、つまり、何通りもの読み方が出来る、という事だ。
それが、物語の「深み」になる。
私は臆病にも、読者を置いてけぼりにすることを恐れてしまっていた。
映画でも漫画でも小説でも、優れた作品には「謎が残される」。そして、「解釈が分かれる」ものだ。
これは、作者がいちいち説明など入れず、読者を放置して進むせいだ。
よく、書評で、「読者を置いてけぼりに・・」というのを聞くが、読者に説明しないとダメなのは、「見えている物質的なものの説明」だけなんだ。
つまり、景色だとか、人物の外観だとか、そういう『視覚情報』が不足してはいけない。
それを内面の情報とごっちゃにすると、一気に説明のし過ぎになってしまうんだ。
異世界に転移した主人公は、その世界のことを何も知らない。
ならば、主人公の視点で語られる物語でも、その世界のことを何も語らなくていいんだ。
主人公が知った時だけ、その部分のベールがほんの少し剥がされる。
物語が終了した後にも、だから、その世界のことが何も解からないままであってもいいんだ。
最後に、ビジネスにおいて成功する為に必要な要素というものの一つを挙げておく。
「よい人にならないこと。」
一部の読者は必ず振い落とすことになる。八方美人では、作品にまとまりは生まれない。
物語を語るのに必要な要素だけを説明すればいい。
例えば椅子がある。
その椅子が何の為にそこにあるかは説明しなくていい。
また、その椅子がどんな椅子であるかも、何の機能を備えているかも、言わなくていい。
取って付けたようになってしまうのは、言い訳じみた解説を加えるからなのだ。




