第四十四話 納得できる理屈を
何の取り柄もない平凡な主人公が、モテモテ。
こんな「アリエナイ」話を、読者は本気で気分よく読んでいるだろうか?
ちょっと冷静になれば醒めてしまう夢物語、目が醒めればますます自分が惨めに感じるだけだ。
本当に読者が納得するモテパターンというのは、決まっている。
分相応、というやつだ。
だが、例えば、「大金持ちの美少女お嬢様」が相手だったとしても、彼女が平凡で取り柄もない男に惹かれることは、実際にだってありうることだ。
恋は半径5mである。
その平凡男子が、実に心根の良い人間で、美少女の周りには、金持ち特有の、鼻持ちならないとか自信満々男しか居ないということは、実際にだってあるだろう。持てる者であるために、彼等はお嬢様のコンプレックスを刺激するばかりで解決が出来ない、ということはある。
貧しい者の痛みを知る事件がお嬢様の身にふりかかり、けれど、彼女のセカイの人間たちはそんな経験がないせいで本当には彼女の痛みを理解出来ない、という設定だ。
実にありがち、かつ、現実にも充分有り得すぎる環境だ。
「彼らを可哀そうと思える貴女はなんて優しいの、」などと言いつつ、彼等は何も解かってはいない、ということだ。
さがせば、一流男の中にも心根の良いのはいるだろう。
だが、「恋は半径5m」なのだ。そんなに都合よく、全部揃ったパーフェクト男なんてのは、リアルでも居やしないんだよ。居たとしても、そのお嬢様よりもっとイイ女がくっ付いている。
そして、お嬢様は淡い恋心を抱いても、「お幸せに、」とか思ってしょぼん、としてしまうだろう。
彼女の心の痛みを本当の意味で理解出来るのは、「恵まれた環境にいなかった」平凡主人公なのだ。
かように、分相応というのは、ある部分ではつり合いが取れないとしても、別の部分で補っている関係ということになる。
平凡なだけといいつつ、庶民には庶民の強さがある。金持ちとか、恵まれてる奴にはない良さがある。
頭が悪くても、運動が出来なくても、地元の街は俺の庭みたいなもんだぜ、とか。
ヲタク知識ならそこらの奴等に負けない自信があるぜ!とか。
『自分をピエロにしてでもお嬢様の魂を救ってやろう、笑わせてやろう、などと思うサービス精神』は、たぶん、恵まれたセレブ男たちには求めにくいものじゃないかと思うね。リアルな感覚で。(笑
その平凡な主人公が、非凡なヒロインの傍へ「偶然」配されることが、「神の導き」であり、神である作者のご都合主義という力のふるいどころだ。
そして、単純に危険から救ってやる程度はただの「親切」だ。
精神、あるいは魂レベルで救ってやる、という気概があってこそ、誰かの「特別」になれる。
単に危険を救われた程度なのに「ぽっ」となるからチョロインとか言われるんだ。
ターゲット層の強みを、そのまま主人公の強みにして、そことは縁遠そうな層の上物ヒロインを持ってくれば、何の無理もなく物語を作り出せる。縁遠いということは、読者には知りえないセカイって事だから、ハッタリもかましやすいしね。
ハリウッドではよく使われる手法だ。セレブは金でなんでも解決出来ると思ってるという描き方だ。(笑
また、カラクリサーカスの主人公もここから出発した。自分をピエロにする事を厭わない。
ピエロになる事を厭わない男は、カッコ悪くズタボロにされる事も厭わない。大事なモノの為に命を張る、という設定が、とてつもない説得力を持つ。
ハードボイルドでも書いたが、だから、あまりにオサレな男はその理屈で軽薄に見えてしまうのだ。
大人の鑑賞にも耐える作品というのは、こういうリアリティは決して無視しない。
設定はハチャメチャにしたって、そこに息づく人間に関するリアリティは手を抜かないものだ。
ちゃんと、納得のいく関係性を用意する。
承認欲求というのは、キリが無い。
そして、欲求が大きくなるごとに滑稽に映るようになり、虚しさを伴うようになる。
本当に欲しいのはそんなものじゃないからだ。
足りないモノを補い合える、半身を、人は常に求めている。
自身の寂しさを埋め、自身もまた相手の寂しさを埋めてあげられる、そういう関係が「理想」だ。
相手を傷付けない、そして相手も自分を傷付けない、そういう関係が「理想」だ。
恋のさや当てに相応しいタイプの人間は、どんなヤツなのか?
なによりスカッとするのは、「泥棒猫」タイプだろう。
決まった相手が居ると解かっていて接近していく、その心理に「人のモノを奪う優越感」が見え隠れしている人間、ということだ。
だが、この「人のモノを奪う」という心理もまた「承認欲求」だ。際限がなくなった姿。
醜い欲望の一つ、と数えたほうがいいかも知れない。それを知っている大人向けは、そのように書く。
こういう人間を退けて、結局、元鞘に収まってしまう、というのは非常に大きなカタルシスになる。
なんせ相手にはカケラほどの同情も感じられないだろうからね。
一般文芸には多いこのタイプの登場人物だが、なろうじゃあまり見ないかな? 網羅したわけじゃないんで何とも言えないが、メジャーではないだろう。理由は簡単、読んでる自分が痛いからだ。(笑
ハーレムアンチというジャンルがある。
ハーレムというものを「一人が多数を心理的に苦しめている状態」と定義して、そのハーレムの解体を狙うというものが本来だ。解放、自由への脱出、などひと昔前に流行ったテーマじゃないかな。
が、他人のハーレムからメンバーを掠め取る、という構図になりやすいのがネックだ。
やってる事は、泥棒猫だったりするから、なんとも言えないものになったりもする。(苦笑
(なんでそうなるかと言えば、誰もが持ってる心理だからだ。)
これを避けるには、徹底的な一方通行の構図を作り上げる必要がある。それを書いとく。(笑
救い出されたハーレムメンバーは救世主に好意を抱く。それはいい。当然だろう。
だが、救世主キャラは決して彼らに色目を使ってはいけないのだ。
恋なんぞ無用!という硬派キャラならば、厭らしい泥棒猫心理は匂わせようがない。(笑
オイシイ思いもしたい、というならば(これはノクタ限定の手法だが)、セフレ意識で接すれば問題ない。
アダルト系作品はこれが多い。一夜限り、きれいに「さよなら、」とにっこりされて終わる。
相手が自由となり、自分のモノとして囲い込まれねばいいのだ。(笑
敵対するのは、「自分のモノとして」「多数の異性を」「人の尊厳を制限して」囲っていると定義したハーレムなのだから、三つの要素のどれかを救世主がやっちゃ駄目に決まってるだろう、と。(笑
小説にせよ漫画にせよ映画にせよ、作品ではこんなにスパーンと言ってしまったりはしない。
だから、若い読者は、もっと上の世代が苦笑する展開を、なぜ苦笑されてしまうかが解からない。
「人のモノを奪って優越感を得たい」「自分を第一に優先させたい」「自分の意見を相手に認めさせたい」こういうのはぜんぶ承認欲求だ。誰しもが持っている。
子供向けはキレイな面だけを見せ、大人向けは汚い面も見せる。それだけだ。
人は成功体験を物語に求める。
子供のうちは無邪気な勝ち負けだけだ。
大人になるにつれ、「誰かが反省して改心する」要素を求め始める。
最初は誰が見ても悪いヤツ、そのうち社会機構だのになり、いずれ自分自身を内省する。
成長の過程でいうなら、中学生ともなればそろそろ自己反省はやりだすはずだ。
ただ、書き手がキッチリと解かって書いていないと噴飯モノになってしまうというだけだ。
ハーレムにしても、「浮気しまくるんだったら、きっちり責任取る方がマシ」という身も蓋もない言い分だってあるわけだ。(笑
ライオンはハーレムでメスだけが狩りをするグータラで、というのが一般イメージだが、中には進んでメスの手伝いをして一緒に狩りをするオスライオンだっている。
ハーレムが大きいと縄張り争いが多くなるから、だから狩りより留守番、という事かも知れないし。
それぞれの形態で「合理的だと思える理由」があれば、読者は納得する。




