第三十八話 小説プロットの役割
小説のプロットは、前回言ったように、実際に現物を造り始める前に「どういうカタチにするか」という事を決めてある設計図だ。その通りになぞればストーリーは出来上がる、というくらいにまで造り込んでおかなければいけない。
その段階では、主人公以下登場人物の性格とか役割なんかは出来上がっている。
イベントの内容と数も決定して、最初の舞台も起きる事件も、物語のラストも決まっている。
第二のレイヤーも出来たなら、そこへさらに「テーマ」や「メッセージ」も加わっているだろう。
では、現物を作る時には何を気遣わねばならないか?
最初の一文、最初に読者が出くわす印象深い場面と読ませる文章だ。
同時に考えねばならないのは、文体だろう。
ストーリーやテーマに相応しい文体を選ぶ。一人称なのか、三人称なのか、ラノベの軽い文章なのか、文学の難解な文章が似合うのか。
一人称ラノベの軽口で、と決めてもそれはまだ決まったことにはならない。
情景描写をどの程度まで書くのか、主人公はアホだからと割り切って書かない方向で頑張ってみるか。
設定説明の如きを台詞に入れ込むかどうか、徹底して説明文章を避けるか、書く方向で妥協するか。
ちなみに、設定説明文章というのは、読者にとっては解かりやすい文章だ。
だが、解かりやすい代わりに、印象に残らない。
『人々が貧しい暮らしをしているのは王妃の贅沢のせいである。』
こう、一口に言ってしまえば簡潔だし解かりやすい。けれど、心には響かない。「ふーん、」で終わる。
人々の暮らしぶりを描写し、対比で王妃の甘っちょろい考えと華美な生活を描けば、読者の中にもやもやが生み出される。このもやもやが、心に作用していくのだから、簡潔な文章でさらりと書いてしまったら何も残せない。
簡潔な文章で書くことは、多くの人にとっては簡単だろう。要点を絞って書く、というのは仕事などでは当たり前に必要なスキルだと思う。だが、小説に限っては逆なのだ。(苦笑
これは、読む側にも要求される逆スキルという事になる。
現実を見て、もやもやした事象があり、それを解析して簡潔に直して理解する。理解したもやもや事象を今度は紙面へ再構築して、現実同様にもやもやした描写で提示するのが「優れた小説」だ。
解説書じゃないからね。(笑
設定説明をされる部分、それが単純に物の概要説明程度ならばいいけれど、システムや主義主張といったものを説明文章で書いてしまうと、説教臭くなり、また心にも響かない。
私は長くそういうスタンスで書いていたから、ちょっと全作品を書き直したいと考えてしまっている。
言っておくけど、説明的文章表現というものを廃して物語を描くというのは、かなりの苦労がある。
一行で終わるところを、いちいち人々の行動と会話で示さなければならない。
これがもう大変な作業なのだ。(苦笑
今書いている作品、情景描写ストーリーではボツにした文章がついに2万文字に達してしまった。(笑
かように、プロットが出来たからと言って、それは折り返し地点に過ぎないわけだ。
漫画ならば絵コンテの完成など、全行程のうちでは一割の労力にすら満たない。小説も同様で、プロットが出来てようやく作業開始、という程度の位置付けでしかないよ。
小説は、文章が主体であって物語は付随するもの、アイデアなんてものはオマケほどでしかない。
これに関しては、なんと言うか、うまく説明できないのがもどかしいね。うーん。(苦笑
文章中に組み込まれたギミック、描写の制約、比喩におけるルール、そういうものが作者の個性、「色」となる。
ハードボイルドな文章を書きたいとして、現在わたしは『地の文主体、三人称、表情や行動だけ描写。内面あまり書かない。心の声なし。地の文で設定説明羅列しない。台詞で説明しない。主義主張書かない。』などの制約を設けて執筆しているから、ほとんど筆が進まないよ。(笑
わたしはせっかちなタチなので、焦ってしまって設定説明に走りがちだ。
それを諌めるため、自身の肝に銘じている事柄がある。
『説明したくなるのは、作者がその事を知っていて、教えたいから。
登場人物たちにとっては当たり前のこと、考えることさえない事。
無理に説明を入れなくていい。読者は解からないまま進めばいい。』




