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第三十一話 理不尽の構造「謝罪態度に見え隠れするキツネ」

前回の「悪人の構造」で、基本的な人間関係を書きましたがー。


「ヤギ」は利用され、「キツネ」は利用し、「イヌ」は忠告する。

人はそれぞれ時と場合に応じて三つのケモノを使い分けている。


ちょっと例題を考えてみた。


A氏が友人から車を借りた。ルームシェアで、車も貸し借りしていた。ただし、友人B氏は留守だったし、すぐ帰ってくるつもりだったから、黙って借りて行った。

けれど、A氏が帰ってきたのはその日の遅くになった。

ところで、この友人、B氏はその日に車を使う予定があった。

友人B氏はその友人のC氏から車を借りて出掛けた。


そして、事件が起きた。

C氏の車を傷付けてしまったのだ。

慣れない車を運転したせい、とも言えるし、腹が立っていて運転が乱暴になっていた、とも言える。


これが、理不尽というものだ。


車の修理費は支払わなくてはならないだろう。そりゃ、悔しいに決まっている。

どちらが払うかでモメるかも知れないし、お互いが譲り合うかも知れない。


ヤギ的思考ならば、B氏は『車をぶつけたのは自分の不注意』と思う。そしてA氏は『B氏が車をぶつけたのは元を正せば私の不注意』と思う。どっちの立場でも、責任の所在を自身に設定する。

専門用語では「自罰型」という。


キツネ的思考ならば、B氏は『車をぶつけたのも元を正せばA氏のせい』となり、A氏は『B氏が車をぶつけたのは、B氏の不注意』となる。どっちの立場でも、責任は相手に設定する。

専門用語では「他罰型」という。


実際、どっちが正しいのだと言えば、観方と立場が違っただけで、思考形態としてはどっちも正しい。

どっちも正しいという事が起こるから、世の中には理不尽というものがどうしても起きる。

どちらかがキツネになったら、ヤギの側は理不尽を感じる。

両方が過失を認めてヤギになったとしても、やはり理不尽は感じてしまうだろう。


理不尽とは、「どこにも持っていきようのない責任所在」である。白黒の付かない事象である。


けれど、理不尽を感じない唯一の立場であるキツネになってしまったら、自身の心の安定と引き換えにせねばならないモノが必ずある。


信用だったり、まぁ、色々だ。(笑


思考としては、どちらも両方浮かぶことが望ましい。そして、両方とも成立する事を理解するなら、どちらにも完全には責任設定が為されないことは容易に解かるはずだ。

これが、正常な人の状態で、専門用語では「無罰型」という。


トラブルの後の対応に、その人間の本性が現れる。(笑


ヤギは問題ない。相手が無罰型なら、ヤギを諭してくれるだろう。「ヤギさんだけの責任じゃないよ、」と自身の過失を告知して、互いが納得できる方向へ導いてくれる。


問題はキツネだ。(笑

相手が悪いと非難するまえに、自分の態度を反省しろ、と、本来生じてもいなかった新たな火種を作ってしまう。本当なら、車を借りたことに対するトラブルだけで済んだものを、人間関係のトラブルを背負い込んでしまう。

そして多くのケースで、自身の信用を失墜させる。


その態度には「自分は悪くない!」という本音が丸見えだからだ。

キツネが悪くないというなら、いったい誰が悪いのか? 「自分は悪くない」という言葉は、同時に「悪いのはお前の方だ」という本音を浮かび上がらせる言葉でもある。


キツネの思考は未熟なのだ。普通の人ならすぐに思い浮かぶような事柄が浮かんでこない。

反論は印象が悪いだとか、おちゃらけた態度で誤魔化してよいかどうかだとか、そんな簡単な事さえ解からない。


キツネの基礎は、「自分に責任が及ばなければいい」という一事だけだからだ。

態度に透けて見えるから、だから普通の人はキツネを遠巻きにするし、信用しないのだ。




キツネが理不尽さを感じずに済むのは、納得がいっているからだ。

ただしそれは、自身の要求が通るべきという納得だ。責任は、常に相手側にある。

(思考が動かないのだから、キツネに心の成長を望むのは難しいかも知れない)


互いが、この理不尽の構造を理解したならば、そこにも納得が生まれるだろう。

だが、その納得は上記キツネの納得とは根本的に種類が違う。


「お互い、悪い所もあったよね、」という相互理解は、互いの謙遜がまず先にある。


ヤギは生きる上で気をつけねばならない。

自身の非を認めた時、相手がまともな人間ならば、フォローに回ってくれる。普通の人は「無罰型」なのだ。けれど、キツネだったら、これ幸いと貴方に全責任を押し付けようとする。


加藤氏いわく、相手がキツネだと思ったら、ヤギさんは迷わず見捨てて逃げなさい、だそうだ。(笑

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