冒頭捕捉 ヒロインについて
ひと昔前は、「ほしのあき」が大人気だった。今は「檀蜜」だね。
こういうのが、時代のニーズというものなんだろうと思う。
ほしのあきは、(こう言っちゃなんだが)「ロリ入ったアホっぽい巨乳」キャラで。
檀蜜は、なんだろ、エロティックなんだが、淑女の色気って感じがする。上品なエロ。しかも、(こう言っちゃなんだが)「さして美人ってわけじゃない」キャラ。
女は顔、とか思ってるはずの男性諸氏がなんで「さして美人じゃないキャラ」に惹かれるかってのも、恐らくは、「女性は化粧で化ける」というカラクリが浸透した影響じゃないかと思うし。顔は大事なんだけど、もっと総合的な色気にシフトしたって事じゃないかと思う。
男にとっての「女は顔」って価値観は、「本能に根差した基準」なんで仕方ないと思うんだ。女にとっての「男は力」って価値観と同等のものだからさ。ただ、顔にしても力にしても端的な表現に過ぎず、本質は違うわけで、セックスアピールそのものだけど。
色気があるかないかだよね、モテるモテないの境目は。(笑
時代ごとに、「性的興味を引かれる条件付け」も変わってくるし。セックスアピールの仕方の上手い人がモテてたわけだが、この「仕方」ってのは時代ごとに微妙に変化するものだから、クセモノで。
小説においては、特に容姿の描写以上に「内面の描写=セックスアピール」が重要になるんだろう。
ヒロインの魅力だけで作品の欠点のすべてがカバーされているという人気作すらあるからね。
なろうに限らず、特にラノベ作家を目指そうという人は「人物の魅力」と言われたら「ヒロインの魅力」と思っていいと思うよ。
主人公を魅力的に書けなくても、ヒロインを魅力的に書けるならばオケという場合もあるから。
主人公の魅力を数値化して、プロデビューに必要な数値が8としよう、これがヒロインの魅力が高ければラノベの場合は主人公が5でももしかしたらオケが出てしまうかも知れない。
一般の賞ならまず有り得ないけどね。(笑
一般の作品は、主人公が魅力的でもヒロインはただのお飾りなんてのが割とゴロゴロしてるんだよな。
国民的作品の寅さんにしても、ヒロインは使い捨てだしな。釣りバカの浜ちゃんなんぞ、ヒロイン出てこない時のが多い。(笑
女性主人公だと、お相手の方も扱いはいい場合が多いんだが、男主人公だとどうしてかこういう差別的なことが起きるよね。温泉シーンにだけ必要、みたいなね。(笑
生理の違い、本能の違い、てことなんだろう。種付ける側の価値観は十把一絡げで、畑側の価値観は選別式なんだからさ。差別じゃなくて、ヒロインは「畑などどれも同じ」、お相手は「振い落した結果だけを表示してる」に過ぎないわけでさ。どっちもどっちと言うべきかね。
畑と見なしているから、一般文芸作で恋愛のみを主軸にした男性向け作品など皆無というほどに数が少ないんだよ。純粋にヤるヤレないだけで作品を作るのに抵抗でもあるんだろう。そこにテーマ性は無いと思ってるわけだ。大抵は、仕事や人生とセットで放り込むスパイスの位置付けに過ぎない。
女性向けはヤるヤレないだけでもテーマ性を見い出すから。複数からの選別がテーマに成りうるんだね。
男性向けは、それゆえの反発でラノベはヒロインの魅力に重点が置かれているとも言える。複数のヒロインたちが出てきて、ただ恋バナするだけの作品すらあるそうだしな。(笑
だから、ラノベのヒロインを魅力的に書けという事にしても、基本は十把一絡げであるという事を忘れちゃいけない。畑に過ぎないという事だ。
キモとなるテーマが他の何かであるなら、畑に区別は要らない。女性向けのように「複数からの選別」がテーマならば格差は必要になる。
にんじん畑なのかキャベツ畑なのか、畑に区別はあれども、男性読者を当て込む限りは「選別は必要ない」ということで、複数ヒロインはまんべんなく描写したほうがいいという事だね。
ヒロインたちの描写で格差を設けないのが男性向け作品のキモで、格差を付けて描写するのが女性向け作品のキモになるはずだ。モテまくり設定作品の本命キャラに対し、意図的に描写に格差を作ったほうがいいのは女性向けね。
男性向けでヘタにこれをやると、本命じゃないキャラのファンが煩い。(笑
女性ファンは割と本命じゃないからという理由で、そういう格差は容認する。(笑
だんだん候補が絞られていくごとに、女性向けは描写の比率が変わるわけだね。そういう計算をしなくていいのが、十把一絡げの特質を持つ男性向け、ということだ。
女性心理は「いい加減で絞り込めよ、この優柔不断が!」という不満が湧き出てくる。一途に愛する相手が居ての、想いを寄せてくれる周囲の男が複数居ますよ、てのが女性の一番好むシチュエーション。
男性心理にはそれがない。決められない事を優柔不断と見るような、そういう観方をしないんじゃないかと思うね。




