第十八話 一人称の書き方・捕捉
これは私自身の反省も含めてのエッセイなんで、一人称で実際に小説を書いてみて気付いた点を挙げているよ。
まず、一人称と相性がいいのは恋愛物と言われている。
書いてみて実感したのが、主観だけで人物を書くというのは大変だということ。
主人公は簡単に書ける。生き生きと書けるし、特に序盤の盛り上げが楽なんで人気も出やすい。
感情移入がしてもらいやすい、という事ね。
けれど、「相手」が出てきた途端に純粋に一人称ではやっていけなくなる。(笑
大抵の作品はここで一人称から三人称へ移行する。
巧い作品はそのまま三人称で固定され、『〇〇は思った、』の〇〇を俺とかわたしにしただけのなんちゃって一人称で誤魔化しきる。(むろん、選考委員の目は誤魔化されない上に、三人称文章を俺だのわたしだので書いちゃうのは、一般読者が一番読みにくい文章なので、完全にスルーされる。)
ん? ラノベだと通じるのかな? わたしが覚えてる限りは、論外と蹴られた書き方だったんだが。
で、一人称で「他者」について書くとなると何が起きるかというと。
相手への関心の度合いで描写出来る量が決定する、ということはもっとも重要な点だからね。
恋愛物なら、登場人物を絞れるわけよ。せいぜい4~5人で。
ヒロインは、興味が深まるにつれてどんどん描写量を増やせるし、登場人物もイベントに絡めて「使い回す」ことで登場回数を増やして、描写する機会を増やせる。
つまり、一人称で「他者」を描写するのに重要なのは、「登場回数」ということね。
だから、多数の登場人物が出てくるような話は、そもそも一人称で書くべきじゃないて事になる。
「なんちゃって一人称」に慣れた読者にしか、読みやすいと感じてもらえない、ひじょうに内輪な作品が仕上がってしまう。
一人称で作品を書くなら、完全に一人称で書くように。
なんちゃって一人称になっているという事が自分で判断付けられないようじゃ、世間じゃ通用しない。
(ラノベ界隈はどうか知らないんで悪しからず)
んで、なんちゃってだろうが、ウェブ小説ルールだろうが、こんだけ世間に浸透してんだからそのうち認められるようになる、という考え方もあると思う。
で、実験してみた。
一度、なろうから離れて一般小説を三作品ほど読んで、それからランキング作品を開いてみた。
・・・以前は読めたものが読めなくなっていた。(笑
いや、読めないていうか、鼻に付くというか、イライラした。(笑
もちろんこれは、わたしが元々一般的な小説の方に慣れていたからって事かも知れないんで、一概には言えない。読みにくく感じたってことね。
も一つ、一人称は戦闘描写にも向いてるね。(だからこそ、欠点をテキトーに誤魔化す「なんちゃって」をやられると勿体ないつーか。)
で、三人称一元視点に限りなく近い一人称ってのもアリなんでー。
ほんとうに、描写の匙加減が難しいんだよ一人称は。
追記:
一人称の代表「吾輩は猫である」を、注意して読み返してみた。
特に、情景描写。
いきなり、猫が棲家となる教師の家の外観描写をまるでやらない。
生垣に穴が開いてる、程度しか書いていないんだ。
猫が知っているモノは、いきなり単語で登場する。
そんで、読み手に語りかけるに近い技法を使う。
読者に向かい、その単語をわざわざ説明もしない。
知って当然の扱いで物語が進んでいく。
人間を初めて見た時の驚きで、”人間”描写は細かい。
つまり、一人称の書き方で言いたかったことは、そういう事なんだ。




