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第十一話 最初の一行、そして、神転テンプレ

小説を書く時に、もっとも神経を使うところは、

①一行目。

②一行目から続く二十数行。

③1ページ全体の内容およびバランス。

④タイトル。

⑤序盤全体。


とまぁ、こんな感じになる。本来は。


ところが、なろうのような読者主体で価値観が決定される場所だと順位に変化が出る。


①タイトル

②あらすじ

③1ページ目の内容

④アイデア

⑤序盤全体


こんな感じ。アイデアは、普通だと二の次三の次程度の気の配り具合でいいところだけれど、なろうだと堂々ランキングに昇ってくる重要な要素だ。

あらすじは、普通だとざっくりと書いて読めりゃいい、程度のものでしかないのに、なろうだと非常に重要になる。なろうの場合、あらすじはあらすじではなく、宣伝のキャッチコピーだからだ。


応募作は、とにかく全作品一通り目を通してくれるので、あらすじやタイトルでいくら気を引いても意味がない。そんなところには気を遣うだけ、気の遣い損だ。

なろうは、目に付いたものしか読んでもらえない。だからタイトルとあらすじが重要になる。


兼用で行く人は、だからタイトルとあらすじは無難にランキング上位作品を倣っておけばいい。

(後々内容との乖離が現れると四苦八苦する羽目に陥るが)



では、応募、なろう、両者に共通して大事な「1ページ目の内容」について触れていこう。


一昔前なら、ここで「世界観」をぶち上げても良かったんだが、今はそれをやるのは賭けに近い。よほどよく出来た世界でなければ、当たり一辺倒な世界であるなら、ここに持ってくる意味はない。

『作品にとって、とてつもなく重要な箇所』という認識が出来ているかが、編集者の選択基準には入っている事だろう。

 そんな大事な場所を使ってまで書くべきものであるか?を問われる。


また、読者の目にも第一発目に入ってくる情報が、「舞台設定」という、割とどーでもいい情報というのはどうなのだ、という事を考えれば、書くべきかどうかは解かりそうなものだ。

一昔前はOKだった、というのは、つまり読者が「舞台設定」という情報にも価値を置いてたから、どんな舞台を描写しても食いついてくれた、という意味だ。今は食傷気味で、ありきたりな舞台など受けつけない。

せいぜい、読むのに躊躇が少ない短編でしか使えないと見ていい。


ラノベならば、ここには無難に「主人公の紹介」が入ったほうがいい。奇をてらうよりはよほど。

逆を言えば、よっぽどスゴイ設定を練れたなら、勝負に賭けてみてもいいということ。



さて、テンプレの一つで『神様転生』というのがある。

これは、小説の書き方講座でよく言われる「冒頭には死体を転がせ」を巧くラノベに応用したテンプレートであるよ。実は、このテンプレで重要なのは神様に会ってチート貰う部分じゃない。主人公が死ぬ部分だ。


こういう詳細解説というものをやると、コツを掴んだ人が我も我もとそれを使いだして大バーゲンが始まってしまうんだが、わたしの知ったことじゃない。(笑

(そもそもテンプレ使うなと言ってるわけだしな。)


神転テンプレを使ってんのにウケない、と悩んでいる人は使い方を間違っているんだ。

「冒頭に死体」というのは、インパクトのある事件を最初に起こして読者の注意を引くという意味だね、だからこのテンプレにもその意味がある。

転がる死体ってのが主人公なんだからインパクトは極大だね。

読者が慣れてしまった今も、ちょっと死に方を変えるだけでやっぱり並みの始まり方よりはインパクトを与えられる。


しかし、このテンプレの優れている点はそこじゃない。


気付いてない作者は、死のインパクトと神と会ってチート貰う利便性だけ見てるから、失敗する。

重要なのは、主人公の死の場面を描写出来るという点だ。


ラノベでもっとも重要なのは、「キャラクター」である。


死の場面に見せる人間性ってのは、主人公を印象付けるのにもっとも優れたファクターなのだよ。

主人公がどういう人間で、どういう考え方で、ってのをドラマチックに演出できる。

そこが神転テンプレのもっとも優れた部分だ。


主人公の人間性をアピールし、死のイベントでインパクトを与え、神と会ってチートの理由付けを簡素化。

さらに、テンプレ化しているという事実が、本来は重い出来事であるはずの「死」というイベントを軽くしている。


主人公の死ですら、軽いイメージになるのだから、その後にどんなイベントを仕込んでも読者は自動で軽く捕らえてくれる。作品全体をラノベに相応しい「軽さ」に調整している。よって、描写が薄ければ薄いほど、本来は欠点であるリアリティの希薄さが、物語を気楽に読めるものとして評価に転ずる。


一度で四度もオイシイ、それが神様転生というテンプレの正体だ。


そういう、もともと優れた『演出装置』を使って書かれたものと勝負するのに、同じ装置を使うのは、プロを目指そうという人にはお勧めしない。

編集者の目から見て、どこから類似になるかと言えば、おそらくは「主人公の死が冒頭にくる」という点からしてすでに類似と取られるだろう。つまり、テンプレと見抜かれる。

トラックじゃなきゃいい、だの、神様が出なきゃいい、だの、それは通じないと思うよ。(笑


この『演出装置』としてのテンプレの働きや効果がきちんと解かっていて使っているなら構わない。けれど、解からないままに使っているなら、その作者は「下駄履いた状態の自分の力を過信する」という事になる。


魔改造術で教えた引き算が身に付いていれば、流行の商業作品をざっと見て、すぐにどのパターンのテンプレをやったら埋もれるか、が見えるようになる。

まず、それを避けることが第一だ。

なろうの人気作が応募ではまるで引っ掛からない、というのは、つまり、冒頭からテンプレであるという点をなろう読者は気にしないせいであるよ。

応募作は、流行りものの二番煎じは評価しない。なろうは業界にも名が知れたから、なろうテンプレもまたその存在を知られてしまった、ということだ。


応募作は、冒頭テンプレでは評価がされない。そして冒頭の得点がないまま内容を読まれ、そこにも見るべきものがないとなったら、そら、通過はしないわな、ということなんだよ。

冒頭は、体操競技でいうところの『技術点』であるから、ここが稼げないのは痛いってことだ。計算で取れる部分なんだから。


そんで、なろう読者は内容については、選考者に比べて格段に見る目が劣っている。

なろうにある作品が膨大で、そこから読める作品を探すだけで一苦労だから、厳選するだけの余裕がないってことだ。


テンプレを使い、冒頭だけでトップに躍り出た作品が総合評価50点としよう、重苦しい作風で埋もれたままの作品が90点としよう、後者は決して浮上しない。だが、両者が応募すれば、評価されるのは後者だ。

また、50点の内訳の30点はテンプレによるところが大きい。優れた作品構造が序盤にあるからこその評価だ。

しかし、なろうに慣れた作者や読者は、前者を90点と評価してしまう。価値観がズレる。

主人公や登場人物の魅力、序盤の構造、全体の構造、ストーリー、選考者はそれぞれ別々に評価する。なろう読者はいっしょくたにするために、序盤が優れていれば、他の評価が引きずられて激甘になる。


で、一般的に読書慣れした世の人々も選考者と同じ感覚で読むだろうからね。どっかで見た冒頭、には点数を付けず、中身をパラ見してたいした内容じゃなきゃ「買って」くれない、と。

なろうは、冒頭テンプレは安心の切符だが、商業本を買う読者には二番煎じとしか映らない。


なろうは「タダで読める」点が、良くも悪くも絶大な影響を与えているんだろうかね。



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