4、二重奏
「望、恋する少女の顔になっているよ?」
遠慮なく言葉を出す友人に口をとがらせた。
「違うって!」
「そうなの? 顔が赤いよ?」
楽譜を渡されて、島沢さんは別の場所で独奏の練習をしている。その隙を狙ったかのように、奈々はむふふと笑いながら近づいてきた。
「大丈夫だよ。確かにいい先輩だけど、それ以上に求めている人はいないから」
「何が言いたいの。だから、違う!」
「ツンデレもほどほどしたほうがいいよ。――さてそろそろ卒コンか。四年生との思い出作りも最後。いい発表にするためにも、夢見すぎず、後ほど三年生内で合わせようね」
本当にこの友人はいったい何をしにきたのだろうか。頬を少しだけ膨らませた。
背中を向けられたが、言い残しがあったのか再び振り返られる。
「あ、そうそう。四年生へ花束やプレゼントを渡すの、三年生だけど、今回は個性を持たせるためにそれぞれ買う方式になったから、用意しておいてね」
「そんなのいつ決まった? 私って誰かに渡すの?」
「先週のミーティング。望、熱でダウンしていたときに。――渡す相手は決まっているでしょう、島沢さんよ、よろしくね」
さも当然のような顔で言われ流された。
それから何の花を買えばいいか、悩みの種が増えたのは言うまでもない。
* * *
その後は、時間を作って必死に練習をし、夜も遅くまで残って特に二重奏の練習を重点的にしていた。島沢さんはそこまで無理しないでいいから、俺が適当にカバーするからと、何度も言ってくれたが、それに頼りたくはない。走りすぎて弾くときは注意されたが、わからないところを聞けばすぐに優しく指導してもらえた。
ささやかではあるが、期限付きの嬉しい日々が続いていたのだ。
一つだけやられたことがあった。印刷されたプログラムを見たのだが、始めから島沢さんとの二重奏は私の名前が書かれていた。修正が間に合ったのかは定かではないが、始めから載せていたのなら、本当にずるいとしか言いようがない。
いよいよ卒業コンサート当日を迎えた。
ギリギリまで考え抜いた結果、前日に花屋に行き、ある花を中心として、花束を作ってもらった。他にも春の花がたくさん売られていたが、それ以上に想いを込めて、あえて選んだのだ。
初めて公な場で二重奏を弾くという不安な気持ちもあったが、それをはねのけるかのように私は元気よく家から飛び出ていった。
大学会館に到着し、準備を終え、正装に着替えて楽屋に行くと、視界に島沢さんの姿が入った。きちんと髪を整え、正装でもすればそれなりに見栄えはする。その姿が常であったら、惹かれる人も多くいたかもしれない。
「いよいよですね……」
呼吸を抑えながら近づいていく。島沢さんは第一部中盤で私と二重奏を弾いた後、第二部のラストで独奏を弾く。第三部で弾く合奏以外の曲目では、ラストとなる。
「まあ何とかなるさ。河村さんこそ、リラックスしていけよ。これはあくまでも過程だから。俺のことは気にせず、次に繋がれる曲が弾ければいいんじゃないかな」
「そうですね、ありがとうございます」
そう言われたが、島沢さんと一緒に弾くのは最後なのだから、余計に緊張してしまう。
するとぽんっと頭を叩かれた。顔を上げると、白い歯を覗かせている島沢さんがいた。
「楽しもう」
言葉数は多くはないが、その一言が何よりも私を元気づけてくれた。
結果として、二重奏はどうにか乗り越えて弾き終えたという感じであった。ミスをしかけたが、それを島沢さんがカバーをしたため、事無く終えている。やはり時間がないのに、引き受けるのは無茶だったかもしれないと思いつつも、一緒に弾けたことが、本当に嬉しかった。
いつのまにか、島沢さんは弾くときに隣にいるだけで安心する存在になっていた。
だから一緒に弾いている時も、落ち着くことができたし、音を預けられた。
やがて第二部のラスト――島沢さんの独奏を舞台袖からそっと見届ける。
いったいどこで練習をしたのかというくらい、本当に上手かった。勢いがあり、緩急も付いており、そして何より途切れることがない安定感。聞いている人が楽しく、音を一緒に紡ぎたくなる曲調。私との二重奏とのレベルなど比べるものではない。
弾き終わると、大きな拍手が耳に入ってきた。私もだが部員一同、そして観客が手を叩いている。そして満足そうな島沢さんの顔を見て、一筋の涙が流れていた。
大歓声の中、すべての曲目が終わり、小さな楽屋で簡単な挨拶の後に、卒業生に対して色紙と花束が贈られた。まだ打ち上げや卒業式もあるので、最後ではないが区切りとしてこの場でやっている。
島沢さんが話を終えると、私は前に出て色紙と買ってきた花束を手渡した。
オレンジや黄色を中心にした明るい花束に少し照れくさそうだ。
主はオレンジ色で大型の四花弁を開いているハナビシソウ――別名カリフォルニアポピー。見ているだけで明るくなりそうな花であり、素敵な想いが込められている花であった。