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3、感情

 * * *



 二月下旬、卒業コンサートの最終準備のために、卒論を書き終えた四年生が再び集まり始めていた。最後に戻ってきたのは、島沢さんだった。

 より痩せたように見えたが、言葉は以前と同じように達者で特に心配する必要はないようだ。

 そして肩慣らしに一曲弾いたのを聞いたが、全然鈍っているようには見えなかった。

「もう弾きたくて、弾きたくてしょうがなかったから、脳内で練習していた!」

「何だそれ! まったくお前は器用な奴だ。それにしても、卒論提出がギリギリだったらしいな。先生がおたおたしながら歩いているのを見たぞ。お前、計画性というものはないのか?」

「俺にあるわけないだろうー。実験が発表の一週間くらい前に終わったんだぜ? それから発表会までほとんど徹夜」

「……お前って馬鹿だろう、本当に!」

 四年生の男子同士、馬鹿なことで盛り上がりながら、笑っている。そんな様子を周りも微笑みながら見ていた。

 そうか、このやりとりを聞くのも残りわずかなのだ。

 久々に見る様子に思わず目を止めつつも、溢れようとしている想いを考えないようにしながら、黙々と曲の練習をし始める。

 席は隅を取っており、人目から阻むような場所にいた。何度も弾いてみるが、どうにも上手くいかない。一度ギターを下して、楽譜と睨めっこした。

 原因はいったい何だろうか。少しずつ眉間にしわが寄っていく。

「なあ――」

 指の使い方が悪いのかな。

「――河村さん」

 あ、コードを読み違えていた。思い込みで弾いていたみたい。

「河村さんったら!」

「はい!?」

 うるさいなと思い、呼ばれた方に向くと、島沢さんが目と鼻の先にいた。

 思わぬ近さに、椅子に座っているにも関わらず、音をたてて後退りをした。その衝撃でいくつか荷物が落ちたのは言うまでもない。大きな音を出したからだろう、周りから視線が集まっている。恥ずかしさを隠すのかのように、視線を逸らす。

「なんですか、いきなり!」

 くすくす笑い声が聞こえているが、心を無にして受け流す。

「んーと、久しぶりって思ってさ」

「……お久しぶりです。お元気そうで何よりです。……それだけですか?」

 なんと可愛くないことを言っているのだと、自分でも思ってしまう。

「いや、三年生は学年合奏と全体合奏だけだよな、卒コン。……少し時間あるかなって」

「時間?」

 言葉を解釈している隙に、耳元でささやかれた。

「俺と一緒に、また弾かないか?」

 そしてすぐに顔は離れ、にかっと笑われた。そのあどけない表情に思わず見とれてしまう。何も意識をしていないのだろうから……ずるい。

「……そんな急に言われてもプログラムとかの問題があるじゃないですか。急すぎですよ、本当に」

 大学会館を借りてやり、プログラムも業者に頼んで印刷しているコンサートのため、すでに決まっているものは決まっている。

「ああ、あとで訂正版を載せるはめになりそうだが。俺と二重奏やろうって言っていた同期が、どうしても無理って言ってきて。いい気になって何曲もやろうとするからさ」

「けど私なんか――」

「俺は河村さんとやりたいんだ」

 力強い視線と、言葉を出されて、楽譜を手渡された。それは初めての学園祭の弾き語り喫茶でやった曲であった。目を瞬かせながら、手に取る。

「こんな曲でいいんですか?」

「こんなって失礼だな。昔、河村さんがやったのは、音をだいぶ減らしたもの。これが本当のスコアだ。大丈夫、今ならもうできるよ。無理を言っているのはわかっているけど、駄目か……?」

 覗き込んでくる瞳がいつも以上に吸い寄せられてしまう。

 少し躊躇ってしまったのは何故だろうか。

 きっと楽しい日々を過ごした後のことを考えると、辛いのは目に見えている。

 だがそんなことより、せっかくの機会なのだから、始めから断るつもりはない――感情の方が大きかった。

 春休みに入っているため、研究室に縛られることもあまりない状況。大丈夫、時間なんて作ればいいのだから。

「……私でよければ引き受けます」

 おずおずと返事をすると笑顔で返された。



 もうわかっていた。

 わかっていたけど、気づかないふりをしていた。そのまま心の奥に潜めて、何事もなかったかのようにしたかったのだ。

 けれども距離を置かれて、気づかざるを得ない状況になってしまった。

 いつもいるのが当たり前のような存在。それが当たり前と思い続けていたが、実際は違う。ずっと続いていくなどあり得ない。

 その事実に気づき、私は急に意識をし始めたのだ。

 島沢光希さんと言う、一人の男性の存在に――。

 適当すぎるし、約束しても遅刻するのはあるし、その無計画性に振り回されるときがよくある。

 しかしそんな人でも、おおらかという表現があっているのだろうが、常に他人を気にかけてくれてくれる様子から見ても、優しい人だというのは認めていた。

 それは私だけでない、他の部員に対しても、誰でも――。

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