第6話
「それで、どうして私が呼び出されたんですか。どこかに監禁でもするつもり?」
夜。
井ノ原グループが所有するホテルのロビー。
ふかふかのソファに座らされているのは、クラス委員長の橘陽葵だった。
彼女は怯えながらも、目の前に座る私──佐野小春と、井ノ原悠太を睨みつけている。
「人聞きが悪いなぁ委員長。俺たちは今後の方針を話し合いたいだけだよ」
悠太が優雅にコーヒーを啜るが、カップを持つ手は微かに震えていた。
無理もない。昨夜、私たちはこの場所で地獄を見たのだから。
不動院 灯。
あの女は化け物だった。
悠太のスマホを一瞬で蒸発させ、私たちを虫けらのように見下したあの目。
思い出すだけで背筋が凍る。
昨日の今日で、いつも取り巻きだった連中は色んな理由をつけて全員逃げ出した。
散々いい思いをさせたのに、ふざけやがって
いつものたまり場である、ここに残っているのは、もう私と悠太だけだ。
「方針って……閑くんに謝るんじゃないんですか?」
「謝る? ハッ、なんで俺たちが奴隷に頭を下げるんだよ」
悠太が鼻で笑う。
「いいか委員長。親父に聞いたんだがな。不動院家ってのは、鉄の掟で縛られた古い家柄だ。血筋と格式を何より重んじる」
「……それが何か?」
「つまりだ。昨日の襲撃は、灯っていうあの燃えてたガキが独断でやった暴走ってことさ。確たる理由があってやったことじゃない。不動院家を含む守護四家とウチのパイプは太い。どう考えてもあの奴隷のために井ノ原と揉める理由が無いんだ」
悠太の話は筋が通っていた。
血眼になって収集した情報は私たちをしばし安心させた。
まず、歴史が証明しているのだ。あの家は女系家族で、当主の権限は絶対だ。
噂通り灯というあの女がいくら強くても、所詮は次世代の頭で、今現在の組織としての決定には逆らえないはず。
「じゃあ何でその人は砂見くんを助けにきたの?」
「知らねぇよ。ただの気まぐれだろ」
「……そもそも、二人はどうしてそんなに砂見くんに酷いことをするの?」
委員長がまっすぐな目で私を見てくる。
みんなに優しい委員長。
うーん──少し似てるけど、決定的に違う。
たぶん委員長は一般人の範疇。
「砂見くんってさ。たぶん自分を信じてるんだよね。何があっても壊れない強さがあって、優しくて……吐き気がする」
彼の異常性は、きっと幼い頃から見てきた私にしか分からない。
彼を支配して、自尊心をコントロールして、やっと私は心が落ち着く。
だから、あの日、委員長にスマホで口座を見せていた彼を見て、焦った。
これだけ劣悪な環境にいても、また何かを達成しようとしている。
許せなかった。
「……佐野さんの言ってること、何一つ分からないよ」
「それはどうも。とにかく、委員長には学校で砂見くんを誘い出して欲しいんだよね。あ、拒否とかはできないから。お父さんの会社、潰したくないでしょ? ね、悠太。確か井ノ原の子会社よね」
「ひ、酷い……」
「あ、ああ」
怯える委員長と、どこか顔が引きつっている悠太。
私がおかしいのだろうか。
別にそれでもいい。私はこれまで通り、やりたいようにやるだけだ。
手始めに委員長を使ってまた閑の心を支配する。
大丈夫。まだあいつはひとり。私が必要なんだ。
☆
俺は今、どんな顔でいればいいのか分からない空間にいた。
最高級リムジンの後部座席。
右には、俺の腕に抱きついて離れない灯さん。
左には、どう見ても二十代にしか見えない先代当主、熾さん。
前の運転席にはさっき挨拶された金城さん。
助手席には鋭鈴さんが乗っている。
そして前後を固めるのは、不動院家の家紋が入った護衛車両。
「あ、あの。これ、目立ちすぎじゃ……」
「あら神様。これでも随分と減らしたのですよ?」
顔が近い。顔が強い。
「まさか学園まで乗り付けないですよね……?」
「するに決まってるじゃろ。校庭のグラウンドの真ん中まで行くぞ」
熾さんが楽しそうに笑い、俺の太ももをペシペシ叩く。
この人が隣にいるだけで、空気がビリビリと震えているのが分かる。
先程、本邸の大広間の空気を切り裂いて登場した熾さんは、俺の学園での話を聞くと、挨拶しにいくと言って聞かなかった。
詳細は省いたものの、虐められていた話も説明したのが不味かったかもしれない。
初めて話を聞いた灯さんも、気づいたら戦闘態勢になっていて怖かった。
今は猫のように機嫌よくくっついているが。
それにしても──『それは、行ってきた方がいいです。ですが、やりすぎないように』と言った烈さんの表情は、怖くもあり優しさも感じられて暖かかった。
ああいう人が当主であることに、俺は好感を抱いていた。
そんなことを考えていると、リムジンが減速する。
事前に連絡していたのか、車列は学園の正門を、何なく通過したようだ。
警備員が敬礼をして道を開ける。
そして──車はそのまま、校舎棟の前にある広大なグラウンドへと乗り入れた。
タイヤが土を噛む音と共に、リムジンが止まる。
授業中のはずだが、窓という窓に生徒たちが鈴なりになっているのが見えた。 ざわめきが、かなり離れたここまで聞こえてくる。
う。注目されすぎている。昼休み前かな今頃。
そもそもここから皆さんは何をするんだろうか。
俺について教室まで行くの?
「さあ、行きましょう。神様」
灯が俺の手を取り、エスコートするように引く。
俺はおそるおそる、グラウンドの土を踏んだ。
一斉に視線が突き刺さる。
全校生徒、教師、そして──おそらく校舎のどこかにいるであろう、あいつらの視線が。
「空気が悪いねぇ。澱んでいる」
熾さんも車から降り立ち、獰猛な笑みを浮かべ、校舎を見上げた。
「お祖母様、さっきから霊輪を組み続けているようですが。校舎を吹き飛ばす気ですか?」
「あっはっは。それもええが、灯に奥義を見せちゃる。少年に肩を治してもらったから久々に撃てそうだ。焔は灯に譲ったから連発はできんがね。ちゃんと見とき」
「え、お祖母様。まさか……!!」
熾さんが、スッと左手を天に掲げた。ただそれだけの動作。
瞬間、世界が赤く染まった。
☆
「な……なに、あれ……」
教室の窓から立ち上がってその光景を見ていた私は、へたりと椅子に座り込んだ。
腰が抜けて、立てなかった。
窓の外、グラウンドの中心に立つ五つの人影。
校舎中の注目を集めたあと、リムジンからまず降り立ったのはスキンヘッドの大男と、只者ではないオーラを発するスーツ美女だった。
その二人がドアを開けると、降りてきたのは砂見閑だった。
平凡な、私が長年見てきた、ただの砂見閑。
──なのに。
隣にいるのは、一昨日も見たこの世のものとは思えない美少女、不動院灯。
は……? なぜ寄り添っている……?
そして。
今、空を焼くほどの炎を放った、正体不明の若い女。
「う、嘘だろ……」
隣で悠太が、引きつった声で呻く。
顔面は蒼白で、脂汗が滝のように流れている。
「あの炎……昨日調べたときに出てきた。あれは先代当主、人間固定砲台と言われた不動院 熾しか使えないはずの技……」
「先代って……百歳を超えてるって言ってたわよね? でも、あそこにいるのは若い女よ!?」
「わからねぇ! わからねぇけど……ヤバい。ヤバいぞ小春」
悠太がガタガタと震え出す。
「灯とかいうガキの独断なんかじゃない……。先代が出てきたってことは、不動院家の総意だ。あいつら、本気で砂見の味方なんだ……!!」
絶望が、冷たい手となって私の心臓を鷲掴みにした。
あんなの、勝てるわけがない。
学校での地位? 親の権力? 井ノ原グループ?
あんな、空を変えるほどの暴力の前で、何の意味があるというのか。
グラウンドの彼らが、歩き出すのが見えた。
こちらに向かってくる。
私がいるこの場所が、処刑台に思えた。
「逃げなくちゃ」
私のつぶやきが、静まり返った教室に響いた。




