第5話
車は、山道を登り、テレビで見たことのある巨大な門をくぐった。
そこからさらに車に乗ったまま進む。
窓の外に広がるのは、手入れの行き届いた日本庭園と、歴史の重みを感じさせる荘厳な屋敷群だった。
何だこれは。
さっき通った門に表札があったけど、これじゃ家というよりスケールが町だ。
夜も更けた今、外は暗いが屋敷の明かりが池にきらきらと反射しているのも美しい。
井ノ原グループのホテルも豪華で途方もない金のかかっているイメージだったが、ここは「格」が違う。
そしてあそこはどこか下品な輝きがあったが、この場所はそんなものを一切感じなかった。
千年以上続く、血と歴史の重みが空気そのものを変えているようだった。
「……すごすぎて、反応に困る。本当にお邪魔して良いのかな」
「ふふ、気に入った? ここが貴方の新しい家ですよ」
新しい家……。
隣で灯さんが嬉しそうに笑う。
運転席の鋭鈴さんが、バックミラー越しに補足してくれた。
「本来、外部のお客様は監視の意味も兼ねて本邸の客間にお通しするのですが……お嬢が『絶対に離れない』と駄々をこねましたので、お嬢の暮らす別邸にご案内します」
「駄々なんてこねてないわ。神様をあんな堅苦しい本邸に泊めたら、疲れてしまうもの。それに、私のところの方が、良いベッドを使っています」
「えっ……? 灯さんと一緒の家に泊まるんですか……? 部屋は別ですよね……?」
なんかさっき病院にいた時から有耶無耶にされてるんだけど、一時的に、避難の意味で、泊まるだけだよな。
俺が井ノ原悠太たちに襲われるなんてことがあれば取り返しがつかないからとか。治療はただ栄養剤を点滴してただけだから家に帰っても大丈夫とか。
ただ頷くしかなかったけど、大丈夫なのかな。
昨日からずっと非日常の時間が続いていて、だんだん麻痺してきた。
車が止まる。
案内されたのは、広大な敷地の一角にある、洗練された和モダンの平屋だった。
別邸というにはあまりに立派すぎる。
俺が住んでいたアパートの部屋が十個は入りそうだ。
タタタと跳ねるように進んでいく灯さんに続いて中に入ると、室内は仄かに木の香りがした。
灯さんが一人で暮らしているというその空間は、生活感があまりなく、どこか神聖な気配すら漂っている。
そしてリビングに通された俺は、部屋の一角にある異質なものに目を奪われた。
「……あれは?」
それは、巨大な像と祭壇だった。
そこに祀られているのは、黒やら金やらの色が塗られたおそらく木彫りの像。
閻魔のような死神のような、とにかく人間並のサイズ感の像と目が合う。
こわい。
「ああ、これですか? 可愛いでしょ」
灯がうっとりとした顔で像を撫でる。
それから黙ってる俺に目を向け、続ける。
「私が永遠とも思える時間、炎に身を焼かれていた時、その炎を殺してくれた人がいました。私はその人が神様としか思えなくて、あらゆる文献を探りました。すると、該当した神がいた」
よく分からないが聞いてみる。
「それがその像なの?」
「はい。その神の名は──天之静ノ尊」
「あめのしず……?」
「天地創造の折、燃え盛る混沌をただ一太刀で切り裂き、世界に静止をもたらした神。荒ぶるものを鎮める、平穏と死を司る神。そういった逸話が残っているそうです。……閑様、気づきましたか?」
「な、何に?」
いきなりぐいっと顔を近づけてきたので仰け反る。
動き方のせいか、なんというか美しすぎる顔ってすこし恐怖感がある。
「静かと閑。同じですね。本当にあなたが神様なんだわ」
「……ははは」
俺が苦笑いしていると、灯さんのうっとりとしていた顔が急に難しい顔になり、俺の袖をまくった。
「そうだ。閑様、失礼します。この腕、こうなった時の記憶はございますか?」
灯さんはまるでこの手首から肘にかけてある大火傷の痕を、知っていたのかのように聞いてきた。
「……いや、実は憶えてないんだ。気づいたらこうなってて。見苦しかったらごめんなさい」
俺がそう答えると、灯さんは俺の腕を自身の胸元で抱きしめた。
「え? 灯さん……」
「見苦しいわけがありません。心から愛おしいと思います」
「灯さん……」
「神様、良いベッドにいきましょう」
触れた身体の熱さが、陶然とした潤んだ瞳が、感情を支配する。
時が止まったかのように思えた。
その直後。
「……あの、私もいることをお忘れでは?」
本当に忘れていた俺は、飛び上がった。
「え、鋭鈴さん!?」
「ちーっ」
灯さんの慣れてなさそうな舌打ちを聞いて、少し落ち着きを取り戻す。
「大丈夫です。俺は床で寝れるのでお構いなく」
もうキャパオーバーの俺はのろのろとリビングの一角に座り込んだ。
「砂見殿、そのソファを使ってください。お嬢、せめて布団を持ってきてあげるべきです」
「ちーっ。良いベッドが泣いてるわ」
☆
翌朝。
障子の隙間から見える空はまだ薄暗い。
時計を見ると午前五時だった。
バイト生活で染み付いた早起きの習慣は、環境が変わっても抜けないらしい。
じっとしていても落ち着かないので、庭に出ることにした。
早朝の空気は冷たく、澄んでいる。
知らない土地なので、迷わないように気を張って歩く。
ザッ、ザッ。
先客がいた。
作務衣を着た、小柄な女性だ。
白髪を後ろで束ね、自分の背丈ほどある竹箒を持って、黙々と落ち葉を掃いている。
使用人だろうか。これだけ広い屋敷群なら掃除も大変だろう。
俺は迷わず声をかけていた。
「あの、手伝ってもいいですか」
女性の手が止まる。
ゆっくりと振り返ったその瞳は、きょとんとしていた。
白髪にしては顔が若すぎる。
体幹の入った所作もあって奇妙な感じがした。
「……見ない顔だねぇ。新入りかい?」
「ええ、はい。昨日からお世話になっている砂見といいます」
「ほう」
上から下まで俺のことを見る。何やら考えてる様子。仕事は邪魔されたくないのかな。そりゃそうか。俺が非常識だった。
「……勝手に手伝うなんて言ってすいません。ただ……」
「ただ?」
「少しだけ肩に触れてもいいですか?」
「ほぇ?」
俺は箒を握ったまま不思議がってる女性の左肩をポンと払った。
────瞬間、女性が飛び跳ねるように後退し、俺が払った肩に触れながらこちらを睨む。
一瞬で鋭い眼光になったことに驚く。
「す、すいません。きっと肩が楽になったと思いますが……」
「……はぁ!? これ、お前ッ 三十年解けなかった呪いがこれ! はぁぁああ!!??」
三十年? 呪い? そんなに生きてないだろうし少し変わった人なのか。
俺は、昔からやってる肩こりを解しただけなんだが。
確かに他の人と違ってその『黒さ』は濃かった。あまりの濃さにいきなり触れてしまった。
きっと使用人の仕事も辛かっただろう。
「少しでも楽になると思います。では」
☆
朝食後。
俺は鋭鈴さんに連れられ、灯さんと共に本邸の「大広間」に向かった。
急に呼ばれたらしい。
「なぜ昨日の今日なんでしょう。早すぎる。まだ交渉材料が固まってないのに」
「いざとなったら私が暴れるから大丈夫」
「やめてください。熾様、烈様と三つ巴の喧嘩になった時のことをお忘れですか!?」
早歩きしながら言い合う鋭鈴さんと灯さん。
「あの……俺のことはいざとなったら切り捨ててください。月を助けてもらえただけで十分すぎる恩を受けてます」
「だめ。一緒に住む」
灯さんがそう言いながら襖を開くと、そこには重苦しい空気が充満していた。
ズラッと並んだ不動院家の面々は、世間で言われてる通り女系が力を持ってることを裏付けるように並んでいた。
鋭鈴さんの指示に従い、礼をしてから座る。
もっとも上座には、事前に説明された通り、鋭利な刃物のような雰囲気を持つ女性──現当主の不動院 烈が座っているのだろう。
確かに灯さんの面影があると思った。
その左右には、親族と思われる重鎮たちがズラリと並んでいた。
「……灯。説明なさい」
烈さんの声は、静かだが絶対的な威圧感を持っていた。
「ただの一般人を、しかも男を別邸に住まわせるとはどういうつもり? 鋭鈴も、なぜ止めなかったのです」
隣で鋭鈴さんが胃のあたりを押さえながら一歩進み出る。
「も、申し開きもございません。ですが当主様、彼にはそれだけの価値が……」
「価値? 井ノ原との関係悪化というリスクに見合う価値が、この貧相な少年に?」
全てお見通しなのだろう。
俺は俯くしかなかった。彼らの言うことは正しい。
灯が自身の手を強く握りしめ、何事か言い返そうと腰を浮かせた、その時だ。
「──すまん遅くなった。少年、顔をよく見せろ」
しわがれた、しかしよく通る声が広間に響いた。
奥の襖が開き、一人の女性が入ってくる。
全員が息を呑み、一斉に平伏する。
「熾様……」
「先代……!?」
俺は驚いて顔を上げた。
そこにいたのは、今朝、庭で掃除をしていたあの女性だったからだ。
服が作務衣でなく、着流しに変わっていたが、確かにあの白髪の女性だった。
頭が混乱する。
鋭鈴さんの説明では先代は百十歳を超えてるって話だったのでは……。
どう見ても、二十代にしか見えなかった。
「あ、さっきの」
俺の声に、先代当主、不動院 熾がニヤリと笑う。
「その子の滞在は儂が許可するよ。文句がある奴は、相手になろう」




