第4話
お嬢が窓から飛び降り、空中を燃えながら落下していくのを目で追いながら言う。
「誰かエレベーターを呼んでおいて。……二度言わせるな。早く!」
動き出しが遅い。先程はお嬢に無駄に殺生させまいと術師を持ち上げて機嫌を取ったが……。鍛え直さないといけないかもしれない。
お嬢はまるで空中をスキップするかのように飛んでいく。
足を踏み出すたびに踝から下の部分が赤々と燃え光り、煌めく。
簡単な技術ではない。
先代の筆頭守護者であった不動院 熾はこういった細かいコントロールは苦手だったと言われている。
逆に、怪異どころか地形そのものを吹き飛ばす固定砲台としての火力は随一だったらしいが。
「嬉しそうに飛んでますね。飼い主を見つけた犬のようです」
今後、その齢百十を超えて尚鋭い眼光の熾先代や、現当主であり、お嬢の母である烈さん達に対して交渉が始まるだろう。
彼──砂見閑殿を、どう不動院家に引き入れるか、を。
「まぁ、お嬢がフラれたらそんなこと考えなくても良いのですが」
恐らく死ぬしか無いと思い込んでる砂見殿のもとへ、どこか場違いな機嫌の良さを発揮し、大小様々な小技を披露しながら向かっていくお嬢。
その着地点を見定めると、私は部屋を後にした。
☆
「貴方も含めてです。ぜーんぶ救って甘やかすので覚悟してくださいね」
彼女は、俺に抱きついたまま、顔を覗き込むようにして微笑んだ。
夜風に揺れる黒髪から、熱気と甘い香りが漂ってくる。
「ど、どうして……。俺は、もう……」
「死ぬつもりだった、ですか?」
図星を突かれ、俺は言葉に詰まる。
彼女の瞳は透明度の高い紅色で、すべてを見透かしているようだった。
「……はい。俺にはもう何もない。金も、職も、誇りも、全部あいつらに奪われた」
情けないけれど、言葉が止まらなかった。
初対面の、しかもこんな浮世離れした美しい人に言うことじゃない。
でも、俺の堰を切った感情は止まらなかった。
「妹を救うには、もう俺の命を使うしかないんだ。『怪異被害者救済法』……あれのおかげで、遺族には金が入る。俺が怪異に喰われて死ねば、妹は助かると思ったんです」
「……名前は、月ちゃんでしたね」
「え?」
彼女は抱きついていた俺から手を離し、着物の胸元をごそごそとまさぐった。
見えてはいけにものが見えそうで、目を逸らす。
彼女が取り出したのはスマホで、画面を俺に見せるようにタップし、スピーカーモードにした。
どこかに通話をかけたようだ。
数回のコールの後、重厚な男性の声が響いた。
『──はい、はいどうも。国立特別医療センター院長の森本です。不動院様、今朝の話の手配、完了いたしました』
国立特別医療センター? まさか。
「そう。良かったわ。今ここに、兄である閑様がいるわ。安心させて」
『これはどうも、はじめまして。森本です。さっそくですが、患者、砂見月様の術前検査は無事に終了し、現在はチームスタッフにて、術前カンファレンス中です。リーダーは御子柴となっております。御子柴先生、分かりますよね? 彼はずっと相談してくれる砂見さんの力になりたくて歯がゆく思っていたみたいですよ。何度も医療費について事務方と喧嘩していたようです。そちらの不動院様のおかげでその心配は一切なくなりましたが』
「……とのことです。神様」
彼女は、何でもないことのように俺に微笑みかけた。
「御子柴先生だって……嘘じゃない……。術前ってことはオペ……? ち、治療費は……」
「院長さんが言ってるように、すべて支払いました。すべての環境を最高級にするよう色もつけてあります」
思考が真っ白になる。
俺が二年かけて、泥水をすすって、靴を舐めて、それでも届かなかった。
御子柴先生に何度も交渉して、やっと治験枠で投薬治療に受けられるかもというところだったのに。
国立特別医療センターで手術してもらえるというのか。
そりゃ投薬より手術で実際に怪異化しかけてる病変にアプローチできるならそれにこしたことはない。
だが、その治療費は青天井で。俺が一生かけても稼げる額ではなくて。
電話口で『移送の日程が分かり次第連絡します』という声が聞こえる。
「どう、して……」
「言ったはずです。貴方の敵を焼き尽くし、貴方を甘やかすと」
彼女は俺の手を取り、自分の頬に寄せた。
熱い。火傷しそうなほどの体温が、俺の冷え切った指先を温めていく。
「死ぬ必要なんてありません。お金も、地位も、平穏も。貴方が望むものは、すべて私が用意します。だから……」
彼女の瞳が、潤んだように揺れた。
「お願い。私の目の届くところにいて」
ああ、なんてことだ。
俺は諦めかけていたのに。
命を捨てて、楽になろうとしていただけなのに。
「…………」
黙ってる俺に対して、何を焦ったのか彼女は慌てだす。
「あ、あの。いきなりすぎて怖いよね。違うんです。私、普段はもっとお淑やかだし、クールだし、こんないきなり抱きついたり、はしたない真似しないんです。それに、私は、貴方の気持ちを無視してるわけじゃない。勝手に出てきて勝手に金を払って、気持ち悪いかもしれないけど」
「待って。待ってください」
俺は思わず彼女の肩を持った。
あまりの華やかさに気づかなかったが、こうしてみると華奢で折れそうな細さだと思った。
「……はい」
なぜか目をつむり、ゴクと唾を飲みこんだ彼女に伝える。
「本当に、本当にありがとうございます。他の感情はまったくないです。少し混乱してただけで、気持ち悪いなんて思うわけがない。ただただ、感謝してます」
「……そう」
なぜか唇をとがらせ、少し上目遣いになった彼女に伝える。
「それで……俺に、何ができる? 身体でも、臓器でも、返せるものはそれくらいしかない」
「いりません」
即答だった。
「ただ、私のそばにいてください。私の名前を呼んで、笑ってくれれば、それだけでいい」
そんなことで、いいのか。
まだ、どうして俺にこんなにしてくれるのか分からない。
それでも、ありのまま事実を受け入れる。
妹を救ってくれた。恩人だ。この人のために生きようと、思った。
まずは言われた通り、名前を呼ぼう。
「灯さん」
「灯、と呼び捨てにしてください」
「……灯。これから、俺の命は──あなたと共に在る」
心からそう伝えた。
☆
「いやいやいや早すぎるでしょ」
「何よ鋭鈴。閑様は言いました。俺の命は──あなたと共に在る、と!」
「ちょっと灯さん……あんまり言われると恥ずかしいんですけど。あと声真似うまいですね……」
「灯、です。敬語もやめてください」
私が十二階の病室からここまで全力疾走してきたというのに。
気づいたらお嬢が砂見殿とイチャイチャしていた。
何だこのだらしない顔は。
これがうちの次期当主で最強の守護者なのですか。
最悪のパターンだと砂見殿がお嬢の不興を買い、消し炭になってる可能性も考えていたので、まぁまだマシだと考える、しかない。
「それにしても、コミュ障お嬢とこんなにすぐ仲良くなるとは……」
「鋭鈴、黙って」
「はい。それで、説明は終わりましたか?」
私の言葉を聞いて、お嬢に抱きつかれるがままの砂見殿が応える。
「聞きました。本当に、ありがとうございます。嬉しくて嬉しくて、夢みたいです」
私は、目を閉じて砂見殿にすり寄っているお嬢を見やる。
直感的に、これは肝心な方を伝えてないだろうなと思った。
「そうですか。そんなに不動院家で暮らすのが楽しみですか」
「……え?」
ほら、やっぱり。




