第16話
天ツ風家への襲撃というイベントを終えた私たちは、金城や鋭鈴、不動院のみんなに現場の後始末を任せ、別邸への帰路についていた。
送迎の黒塗り車の中。
後部座席には、私と閑様の二人きり。
運転席との間には防音ガラスの仕切りが上がっていて、密室のような静寂が流れている。
「……」
私は、隣に座る閑様の手を、そっと握りしめていた。
彼の手は私のより少し大きく、骨張っているけど、温かい。
さっきまでの修羅場──というか一方的にボコボコにした──が嘘のように、車内には穏やかな空気が満ちていた。
「……灯さんは、不動院家のみなさんを自由に動かせるんですか?」
閑様が、ふと漏らすように尋ねてきた。
「三分の一くらいは、私の独断で動かせます。でも……それができるって自分でも知りませんでした。あの日、初めて閑様と会った日にそれができるって知ったんです」
「たしかに……井ノ原のホテルにも、ものすごい数が集まってましたね」
閑様が苦笑する。
私は、握っている彼の手に少し力を込めた。
「……私は、ずっと閑様を探していました。情報は少なかったです。同い年くらいの男の子であること。そして……両腕の手首から肘にかけて、火傷の痕があること」
閑様の肩が、ピクリと震えた。
「灯さん……っ……」
何かを言おうとして、言葉にならずに消える。
彼は迷っている。これを言ったら、今の幸せな関係や、何か大切なものを壊してしまうんじゃないかと、恐れているようだった。
以前から、いまだあの日の話について、二人の間で詳細を話したことは無かった。
おそらく、閑様はなぜ私に執着されているのか本当の意味で理解していない。
だから、今日みたいなことが起こる。
鏡介のバカの妄言に惑わされる。
だから私は、踏み込んだ。
鏡介を殴り飛ばしたときの高揚感が、まだ私を大胆にさせていたのかもしれない。
「……聞いてください」
私は今日、覚悟を見せた。
その思いを目に込めて、見つめる。
「……どうして、俺を探して……。どうして、俺に火傷があるのを知ってたんですか?」
「それはっ」
──ちゃんと応えてくれた。喜びで、思わず前のめりになる。
「ご、ごめんなさい。色んなことをしてもらって、一生かけても返せない恩をいただいて……自分が納得するために聞くなんて、失礼ですよね」
なのに、閑様が慌てて言葉を濁そうとする。
私は首を横に振り、彼の手を自分の頬に寄せた。
「ちゃんと話します。だから聞いていいんですよ、私の神様」
ここで、車が別邸の前に滑り込むように停車した。
「……全部話します。でもその前に、ご飯食べましょう? 美味しくないかもしれないですが!」
☆
──三年前の、あの日。
山中で『原初の焔』が暴走し、生きながら焼かれ続けた私は、一人の少年に救われた。
私の身体に一体化した焔を殺し、消し去ってくれた少年。
私は本陣に帰還したとき、「助かった」という安堵よりも、心の一部を持っていかれたような喪失感に襲われていた。
あるいは一つの道標が生まれたのかもしれない。
それからの私は、毎日をどこか冷めた心で過ごしていた。
『原初の焔』を継承してからの日々は、過酷な訓練と、終わりのない怪異討伐の繰り返し。
咲雲日之出学院の中等部から高等部に進学しても、あまり教室には通わず、ただ義務的に任務をこなすだけの日々。
唯一の趣味は、リビングに祀った『天之静ノ尊』の像を眺めながら、自分を助けてくれた少年のことを想うことだけだった。
(あの方は、今どこで何をしているんだろう)
(もう一度会いたい。会って、お礼を言いたい)
捜索を始めて三年。
不動院の情報網を使っても、いまだ彼の手がかりは無かった。
あの火傷痕のある少年など、この世に存在しなかったのではないかと思い始めていた矢先。
そんなある日、鋭鈴が、血相を変えて私の部屋に飛び込んできたのだ。
『お嬢! 見つけました! この動画を見てください!』
差し出されたスマホの画面。
そこには、井ノ原悠太とその取り巻きたちが、一人の少年を笑いながら蹴りつけている胸糞悪い動画が映っていた。
ネットに話題になっていたらしい。
拡散され始めてすぐ井ノ原の力で削除されたらしいが、鋭鈴はそれを入手していた。
動画を見て、私の目は一点に釘付けになった。
暴力を受け、服がめくれた少年の腕に刻まれた、あの特徴的な火傷痕。
『……場所は?』
『詳細を特定中ですが、おそらく井ノ原グループ所有のホテルで間違いないでしょう』
私は弾かれたように立ち上がった。
『原初の焔』を継承する前にそうだったように、屋敷中の人間に声をかけて回り、助力を願った。
私の鬼気迫る様子に、大人たちは驚きつつも従った。
実際に後から駆けつけてくれたみんなの数を見て、思わず笑ってしまったのも懐かしい。
ほどなくして場所の特定が完了し、金城と鋭鈴と先行して井ノ原のホテルに向かった。
その道中、助手席の鋭鈴が、沈痛な面持ちで口を開いた。
『……お嬢。大変言いづらいのですが、調査の結果、砂見閑がお嬢を助けた日……同じ日に、砂見閑の父は自ら命を断っています』
『え……?』
『情報はなぜか井ノ原に隠蔽されているようですが、おそらく一家心中が失敗し、砂見閑と妹の月だけが生き残ったのかと』
私は、息が止まりそうになった。
あの日。彼が私を救ってくれたあの瞬間。
彼は、自分の家族を、父親を失っていたというのか。
自分が一番辛い時に、見ず知らずの私を助けてくれたというのか。
胸が張り裂けそうだった。
だからこそ、私は誓ったのだ。
彼の失ったもの全てを、私が埋めてみせると。
☆
──現在。
別邸のリビング。ローテーブルのもとに横に並んで座り、温め直した手作り料理を食べながら、私は全てを話した。
閑様は、箸を止めて、静かに俯いていた。
「そっか……そうだったんですね……」
重い沈黙が流れる。
私は胸が締め付けられる思いだった。
「ごめんなさい……辛いことを思い出させてしまって」
事情はまだ分からないが、閑様は父親に殺されかけたのだ。
私が謝ると、閑様はゆっくりと顔を上げた。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。
そこにあったのは、信じられないほど優しい笑顔だった。
「……灯さん、苦しかったでしょう。その日の灯さんが救われたことが、本当に嬉しい」
「え……」
私は、言葉を失った。
私の予想していた反応と、少し違ったからだ。
「……灯さん、俺、やっぱりその時のこと、まったく憶えてないんですよね。だから、そんなに恩に感じなくていいですよ。本当に」
閑様は、照れくさそうに頭をかいた。
そこには保身や打算といった人間が持つ醜い感情は一切なかった。
そばで、触れられる距離にいるからそれが分かる。
──この人は。
この人は、過去の自分が「不動院家の次期当主」を助けたという事実に安心しているわけじゃない。
三年前、名もなき一人の少女が、炎の苦しみから救われたことに、ただひたすら安堵している……!?
それはきっと、助けた相手が私じゃなくても、誰であっても、同じように笑ったのだろう。
私は、それを実感した瞬間、背筋に電流が走ったような衝撃を受けた。
そしてただひたすらに、震えが来た。
(このヒトは……何なの……?)
底が見えない。深すぎる。
この自身を顧みない精神性は、どこからくるの──?
気づいたら、私は閑様に身体を寄せて、全身を擦り付けるように抱きついていた。
「んっ……閑様ぁ……」
自然と甘い声が漏れる。
止められなかった。
好き。好き好き好き。愛おしい。カッコイイ。大好き大好き大好き。
もう、離れられない。離さない。
貴方が誰にでも優しいなら、私が貴方の全てを独占して、私だけのものにする。
──今日こそ良いベッドに招待する。
そのまま、この身を神様に委ねて、どっぷりと堕ちていきたいと願い始めた、その時。
「……そうだ、思い出した」
「なぁに?」
閑様が、おっかなびっくり私の髪を撫でながら、ふと呟いた。
「この不思議な『眼』の力が目覚めた時のこと」
続く話は、私が正気に戻るために必要なハードルを、軽々と乗り越えられるモノだった。




